考古学コーナー

開設にあたり

この度、平成18年4月19日、考古学コーナーを新設しました。
 しかし、良く考えれば「城」も考古学の領域の立派な一分野、最近盛んになっている「中世考古学」の範囲に入ります。明治時代のものも太平洋戦争中の遺構も今では考古学の範囲に含まれます。ということで、さて困った。
とりあえず、このコーナーでは「考古学」を1時代前の古墳時代ころまでの範囲と捉えて、遺物等を少し紹介することにします。
 何で管理人が城から飛んで、考古学の紹介をするかということですが、かつて管理人、考古学にはまっていました。
 そのきっかけは自分の土地から土器や石器が沢山出て、いつごろの時代のものか面白がって調べたのがきっかけです。

しかし、それ以前にルーツがあります。管理人の小学校時代の恩師が考古学者でした。長野県考古学会の会長を務めた「森嶋稔」という人です。
(森嶋稔氏については「八ヶ岳旧石器通信」(http://www.avis.ne.jp/~tsutsumi/)の「日本の旧石器考古学者」で紹介されています。)

考古学界の世界の人なら大体知っているでしょう。「柳又ポイント」、「男女倉技法」、「上ケ屋形彫刻器」などで名を残す人です。
この人から色々教わりました。なにしろ小学生の子どもに「これが旧石器だ。神子柴形石斧だ。」と今は重要文化財に指定されているものまで、手に持たせて回覧ばかりしている人でしたので当然、影響は受けています。この人に出会わなかったら、拾った遺物もただの石ころ、かけら程度としてポイと棄てたと思います。

これらのベースがあることが背景ですが、それに加えて熱しやすく、冷めやすいという性格そのものも背景にあります。熱するとなるとかなりやるという困った性格のため、いくつかレポートまで作成してしまいました。
 しかし、冷めるのも速く、興味も他に移り、レポートもどこかにしまい忘れていました。「家の中、石だらけにするのか」という女房の怒りの声に、遺物も置場がなくなり、しかも重量物であったので、ほとんどはあの有名な「虎塚古墳」に隣接する「ひたちなか市埋蔵文化財センター」に寄託しました。(ありがたいことに当センターの資料室に一部、展示していただいております。)
 熱中したのは平成5年から9年頃、あれから10年の年月が経ってしまっています。
 最近、偶然当時作ったレポートの電子データが最近見つかりました。すでに遺物になりつつあるフロッピーに入っていました。当時はOASISで作成していますが、便利なもので、WORDに変換ができます。
 最近はHPという便利なものがあり、自分も運営しているため、一つ、この便利な道具を使ってこのレポートを世に公表してみようと考えました。
 遺物と管理人が出会ったのは偶然でしょうが、これも何かの縁、管理人は出会った遺物を世に出すのが義務かもしれません。たかが石ころ、土器片にすぎないでしょうが、これは知られていないヤブ城を努めて紹介しようとするこのHPのポリシーと共通します。

ただし、その遺物についてのレポートも、所定の専門教育を受け、発掘等の実践を積んだプロが書いたものではなく、所詮、素人が書いたものです。内容については余り詮索しないで下さい。
 事実誤認も多いのではないかと思いますが、このHPは学会発表等、学問・学術どうのこうのという場ではないのでご容赦願います。ご指摘いただければ適宜修正を行うつもりです。

このHPで紹介するレポートはオリジナル原稿の全文では有りません。オリジナルはもっと容量が大きいのでかなりカットしたダイジェスト版にしてあります。また、作成時から現在までの空白の10年間の知見等は反映していませんことをご了解下さい。

数年前、考古学界は捏造で揉めましたが、捏造はしておりません。大体、管理人には捏造する理由がありませんし、捏造する価値のあるほどのものでも有りません。

追記)城巡りをしているとどうしても目線が地面に行きます。おそらく石器拾いをしていたころの癖でしょう。このため、遺物を拾うことも結構有ります。最大の拾い物は5千円札です。(それどうしたかって?・・・聞かないでよ。)
平山城がある川に面した岡というのは縄文、弥生遺跡と複合していることが多いためです。これらもいずれまとめて発表します。

掲載レポートメニュー
「常陸太田市幡町台出土の土器及び石器について」(の草稿)は、下記の文献に参考資料として挙げられているものです。
横倉要次  「常陸太田市幡山遺跡群内出土の縄文後期注口土器をめぐって」『常総台地14』 1998
常陸太田市教育委員会 『茨城県常陸太田市幡町幡台遺跡発掘調査報告書』 2001
岡本孝之「茨城県における弥生文化観の再検討」『茨城県史研究87』 2003

那珂市山王原遺跡の石器について

常陸太田市幡町台出土の土器及び石器についてT

         旧石器について

常陸太田市幡町台出土の土器及び石器についてU(その1)

         縄文土器について  

常陸太田市幡町台出土の土器及び石器についてU(その2)

         縄文時代の石器及び遺跡立地論について

常陸太田市幡町台出土の土器及び石器についてV(その1)

         弥生土器について

常陸太田市幡町台出土の土器及び石器についてV(その2)

         弥生時代の石器について

常陸太田市幡町台出土の土器及び石器についてW

         弥生時代以降の土器について

梶内城と梶内遺跡・陣向遺跡


 那珂市谷津向遺跡の土器及び石器について


 城址で拾った土器と石器

他のもあったと思いますが、見つかり次第、html形式にして掲載予定。

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