城址で拾った遺物
中世の城の多くは山城、丘城である。
山城はどちらかというと緊急時の避難所的な感じであり、城番はいただろうが、普段から城主が山の上に住んでいるということはなかったようである。

一方、丘城(平山城)の多くは河川に面した河岸段丘に築かれ、大体は地域支配の拠点・政庁であり、領主の居館も兼ねている場合が多かったようである。
丘城が築かれる場所は、大体において生活がしやすい場所である。
これは中世のみではなく、時代によって変わらず、原始時代の人にとっても住むに適していることでもある。
このため、原始時代の遺跡が、城郭遺跡と複合している場合が多い。

いくつかの中世城郭の発掘においても、必ず原始時代の遺物が出てくる。
東海村の石神城、常陸大宮市の山方城、美浦村の木原城、これらの城の発掘調査でも旧石器からや弥生時代の遺物・遺構が発見されている。
管理人も多くの城をうろつきまわっているが、結構、城址で遺物を目にすることがある。
さすが山城では拾ったことはない。
山城は大体、山林であり、枯葉等で地面が露出していないし、縄文時代でも山の上に定住するケースは少ないからである。

丘城で遺物を拾うのは、管理人が過去に考古学を面白がってやっていたことにもよると思う。
昔の癖で、足元を見て歩くことがどうも癖になっているようである。

これは大嫌いな蛇に対する警戒でもあるのだが、お陰で木の枝に頭をぶつける失態も演じている。
このため、城址で土器片は良く目にする。
しかし、よほど派手な模様の土器でない限り、余り拾うことはない。
もっぱら拾うのは石器である。
なぜかというと、どちらかというと管理人は土器よりも石器の方が好きだったからである。
以下に拾ってきた石器を中心とした遺物を紹介する。

那珂市 門部要害城
めのうの石片。
15pある大型品であり、石器の素材か?そのままでも石器として使えそうである。旧石器?
水戸市内原 有賀城
石鍬のような石斧。
縄文か弥生時代の所産?落ちていた場所の上にスズメ蜂の巣があり採取が怖かった。
常陸大宮市 前小屋城
典型的な分銅形の石斧。
縄文中期のものに間違いないだろう。ここでは大きなメノウの残核も拾った。
常陸大宮市 小場城
かなりの厚手の石斧。
山王原遺跡のスタンプ形石器に似る。縄文前期のものか?土塁の中から顔を出していた。
那須烏山市 稲積城
くるみ等の堅果の殻を割るための
「たたき石」。中央部に窪みが見られる。
日立市 金沢館
金沢葬祭場付近にあった館である。
大窪氏の家臣の館か?この土器片は縄文後期堀の内1式と思われる。
常陸太田市 馬坂城
滑石製紡錘車の破損品。本郭で採取。
古墳時代のものであろう。本郭の地には土師器の破片が見られた。
筑西市 久下田城
二郭跡の畑で採取。打製石斧の先端部のみの破損品である。二郭の畑に縄文土器片が散布していた。

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