奥久慈男体山(茨城県常陸太田市/大子町)
秘境、平家の落人集落「持方」(茨城県常陸太田市)
バンンジージャンプで有名な竜神大吊橋は竜神峡の渓谷にかかるが、橋の下は竜神ダムのダム湖である。
この湖は竜神川を堰き止めたものであるが、その竜神川は北西の奥久慈男体山(653.7)が源流であり、源流の男体山の北側は径1kmほどの小さな盆地になっている。
そこが持方(もちかた)集落である。
現在は道路(武生林道)が通っているため、行きやすくはなったが、それでも常陸太田や大子からはかなりの距離があり、行くのに時間がかかる。
昔は東の水府の谷から山道を上がって行ったという。
完全に隔離された地であり、まさに秘境である。
こういう場所には必ず平家の落人伝説があるが、まさにその通り。
東に位置する高崎山(594.3)を挟んで東側に位置する「安寺」(あでら)集落とともに平家の落人集落として知られる。
↑武生林道から見た北東に見える安寺集落、まさに隔離された天空の集落である。
ここに武生林道経由で向かった。
山田川の流れる下高倉町から武生神社方面に一気に比高200m以上を上がる。
この比高、ここに棚倉断層が走っているためである。
ほとんど東側は絶壁状である。
その後は標高450〜500mの林道のアップダウンを走り、持方に至る。
ここの標高は約450mである。
この集落、2016年、「にほんの里100選」に選定されている。
それを広報した「グリーンパワー2016年4月号」では次のように紹介している。
「コンニャクの在来種守る。
常陸太田市の中心部から北へ約25km。持方は11世帯26人が暮らす山あいの小さな集落である。
隣接する大子町の観光地「袋田の滝」と違い、ひっそりとした「隠れ里」のような存在だ。
在来種のコンニャク芋作りが受け継がれている。
農家が手間暇かけて育てている在来種は、一般的な普及品種に比べずっと玉が小さく収量は少ない。
だが、独特の風味と弾力で「在来種ならではのおいしさ」と評判だ。地域の婦人部が加工販売で活躍している。
↑ 持方集落は山の南斜面に展開する。
持方には古文書が数多く残っている。
年貢の出納帖には△や□などの記号も使われ、文字の読めない人でも理解できるような工夫がある。
民俗学者の柳田国男も取材に訪れた。」
↑ 男体山への登り口の集落。別荘地のよう・・。ここまで車で来れる。
盆地と書いたが、平地はほとんどない。
北に位置する白木山(616.2)から東の高崎山に延びる稜線の南側の緩斜面に集落と畑がある。
現在、何軒の家があるのかは分からないが、昔は「こんにゃく」だけじゃ・・・。
ここでは作物もそれほどは採れないだろう。
水田は今は見られない。さぞ、生活は大変だっただろう。
で、今は?それが意外と人が来ている。
行ったのは2021年3月の平日である。
来る人の目的はこの集落の南側にある男体山の登山のためである。
男体山、ここ持方から登るのが一番楽なのだそうだ。
↑ 登山ルート(赤は登り、青は下山)
奥久慈男体山
せっかく、秘境「持方」まで来た目的の1つは、この男体山に登りたかったからである。
この山、標高は653.7mそれほど高い訳ではない。
しかし、山は標高ではない。
この山の南側には高さ300m以上もある絶壁があるのである。
その絶壁上から崖下を見下ろすのは快感そのものという。
↑山頂にある男体山上神社の社。絶壁の縁にあるので空中にあるような・・。この先端部まで行けるのであるが・・・
この山は袋田の滝の北から大子町と常陸太田市の市町村境に沿って南に続く絶壁の南端に位置し、この崖は1500万年前の海底火山の噴火で噴出した岩が隆起後、西側、南側が浸食で削られて堅い岩の部分が絶壁となって残ったものと言われる。
俺は登山は趣味ではない。
景色が楽しみたいのだ。
本当は登らずにそういう景色が楽しめる場所に立ちたい。
山城もそうだが、楽して行きたい。
↑神社から見た西方向、集落は長福集落、右の山は長福山、遠くの集落は久慈川が流れる頃藤。
そのために欲しいのが「どこでもドア」なのだが、残念ながらアレは空想の世界。
そのうち、ドローンで目的地まで・・って時代が来るかもしれない。
しかし、俺は高所恐怖症である。高い所はダメだ。
地に足が付いていないと落ち着かない。
したがって、歩くしかないのであるが、できれば最短距離を最小高度で・・・一番、楽でかく汗も、疲労度も少ないルートを選択する。
この男体山に登る一番ポピュラーなルートは南下、「大円地」(おおえんじ)あるいは「長福」から登るルートである。
しかし、そのルート、比高は各450m、360mもある。
これは疲れそう・・・。
一方、北の持方から登れば比高は200m弱なのだ。
躊躇なく持方ルートを選択した。
選択枝はそれしかない!
持方からの登山道。よく整備されている。 | 山頂。電波塔が建つ。 | 神社の社の東側をそろりそろり先端部に・・ 足がガクガク。横は絶壁である。 |
神社先端から見た南からの登り口、大円地(おおえんじ)の 集落。比高は450m! |
大円地越への下り道。緩く一番一般向けコースとは言うが・・ 結構きつい。 |
大円地越への道の途中のにある絶壁 |
大円地越に向けて尾根上に広い整備された道が続く。 | やっと集落に下山。横を流れる川は竜神川の源流。 | 持方集落から見た南西の男体山。 こちからは緩い山に見える。 |
江戸末期、天保5年(1834)4月5日、徳川斉昭もこのルートで登ったそうである。
休憩した岩が腰掛石として残る。
また、その時、持方に泊まったらしく、伝説、「安寺持方の話」が残る。
案の定、持方ルート、比較的楽だった。(と言っても、それなりではある。)
それに岩場もほとんどなく比較的安全である。約25分で到着。
登ってきた山の北側は比較的斜面は緩いが、絶壁の縁に出て南側の300mの崖を覗き込んだら、足が震えた。
山頂部には電波塔と男体山上神社がある。
この神社の社が名所である。
高さ300mの崖の先端部にある。
空に浮いたように建てられている。
そして絶壁ぎりぎり、その先端まで行ける。
なお、この神社については、持方からの登り口に遙拝所があり、山頂の神社を拝むため、現在も旧暦の2月15日に集落の人が集まって例祭を行っているという。
この日は10名ほどの学生のグループと3名組2組が来ていた。
平日なのにかなりの人が登って来るものだ。
学生グループは交代で崖先端部に立ち記念撮影をしている。
彼らの撮影が終わったので「俺も・・」そろりそろりとそこに行ってみる。
行ったはいいのだが、足がガクガク震えてしまう情けない状態に。
直ぐに引き返す。怖かった!
でも、さすがにここはこの山系の最高峰、360度が視界に入る。
ここからの眺め、素晴らしいものであった。眼下の集落は豆粒のようだった。
帰りは大円地越という南の大円地から持方に行く峠に下り、持方に戻るルートを選択。
しかし、途中で尾根を下る所を尾根沿いに進んでしまうミス。
まあ、途中で帰る道に合流したからいいけど。所用時間約30分。
安寺持方の話(勝田の民話から)
奥久慈の男体山と白本山のふもとに、昔、平家の落人が隠れ住んだと伝えられる安寺と持方と呼ばれる村があります。
そこは、里の人もめったに行かない山奥でした。
村びとは、炭を焼いたり、猟をしたり、焼畑といって山の斜面の一部を焼きはらい、わずかな作物を作って暮らしていました。
ある日、村の庄屋のもとに役人が来て、水戸の殿様が近くおなりになるので、高声、鳴り物は一切まかりならないと、命じていきました。
殿様が来るというので、安寺持方の人びとはおおわらわ。庭先に積み重ねてある堆肥を崩したり、柿や栗をはじめ、木の実を残らず落としはじめました。
そこへ、殿様がやって来ました。殿様はその様子を見て不思議に思い、村びとにたずねました。
「これこれ百姓、その方らはせっかく重ねた淮肥をなぜ崩してしまうのじゃ。柿もクリも、まだ実が青いのではないか。食べ物を粗末にするものではない」
村びとは、恐る恐る殿様に申し上げました。
「せんだってお役人様が来て、殿様が来っから高肥、成り物は一切まかりならんと、きつく命じられたんでござんす」。
「高声」を「高肥」、「鳴り物」を「成り物」と間違えてしまったのです。
殿様は、ただ苦笑するばかりでした。
明くる朝、殿様が「これこれ、余は顔を洗う。手水(ちょうず)を持て」と、村人に命じました。
「ちょうずっちゃ、なんだっぺ」。村びとは、ひそひそと相談を始めました。
その結果、村の禰宜(ねぎ)様が物知りだというので相談したところが、禰宜様も分かりませんでした。
「ちょう」は「長」、「ず」は「頭」という字であろうと禰宜様が言うので、村で一番頭が長い者を殿様の前に連れて行きました。
殿様は、はじめからかわれていると思いましたが、「待てよ、これは油断ならん。平家の落人の里だけあって、皆有能じゃ」と、大層感心して帰ったということです。
(昭和61年の勝田市報に掲載)
大円地(大子町頃藤)
「おおえんじ」と読む。2021年3月26日、北の持方から男体山に登った。
この山、北側は比較的緩やかな山なのだが、南側西側は高さ300mの絶壁である。
その山頂に立って下を見下ろしたら、集落がいくつかある。
かなりの山奥なのに・・・。
ここに比べたらあの「高井釣」など極めて平地に近い。
男体山の写真を探すと、大体は南側から撮ったものが多い。
かなりの迫力ある風景である。
男体山から見た南方向。〇は滝倉、〇は弘法堂。 | 男体山から見た大円地方向。〇が弘法堂。 |
そこで、山から見下ろした場所に2021年4月1日に行ってみた。
ここには久慈川沿い国道118号線の頃藤から向かった。
細い道だが、舗装道、途中に民家も結構ある。
この道、滝倉で大子の袋田から常陸大宮市の諸沢まで延びる林道「奥久慈パノラマライン」に合流する。
林道とは言え、ちゃんとした舗装道である。
それを南に少し走ると「大円地」である。
ここから撮った男体山の写真がポピュラーなのだ。
確かに崖が覆い被さるような様は大迫力である。
さてどこから写真を撮ろうか、撮影スポットを探す。
←〇、滝倉から見た男体山
ある民家でばあちゃんに聞いたら、弘法堂がいいよと教えてくれた。
その後、30分くらいばあちゃんと話す。
昔は大変だったけど、今は車があるから不便じゃないという。
確かにこの風景を見ながら生活できたら幸せだ。こんな山の中じゃ、新型コロナも無縁かも。買い物は大宮に行くのだという。
←大円地南の古分敷集落。正面の森が弘法堂、橋は林道 奥久慈パノラマライン
そのばあちゃんお勧めの弘法堂に行く。
ここは標高251mの高台。遮るものはない。
絶景である。男体山山頂までの比高は約400m。
望遠で男体山神社のお堂が捉えられる。
あんな所に俺は立ったのか。足が震えるはずだ。
弘法堂から見た男体山とその東側の山塊、ここからの比高は400m。
弘法堂から山頂部をアップ。あの社殿脇に俺は立ったのだ。 | 左の写真の反対側、持方から見た山頂部。こっちは緩い山型である。 |