Essay2021

白石さん1.20
HPに茨城県常陸大宮市の上岩瀬館という城を掲載している。

その記事のリバイスにおいて、ある時代の城主が「白石さん」ということが分かり、その旨を追加した。
・・・・で、「白石さん」?どこか引っかかる。「白石さん」って、・・・俺、昔、そういう名前の人と関わったことがある。
ここの城主だった白石さん、戦乱での対応を誤り、没落し城主の地位を失ってしまう。
そんなトホホな御先祖なら、彼が子孫であったとすれば、納得できないことではない。
(なお、この館のある常陸大宮市出身のタレントに「白石美帆」さんがいるが、彼女の名前は芸名であり、子孫ではない。)
で、思い出したその「白石さん」のこと。
俺のブログにこうして書くくらいであるので当然?ながらかなりの変人である。
だいたい、俺のブログに取り上げた人物、普通の人は取り上げない。
第一、取り上げても面白くない。「変人」でないと記事にはできない。
その「白石さん」は、俺の大学時代の同級生?いや、一時期、たった、1年間だけ同じクラスになった人である。
たった1年の付き合いだが、強烈な印象を残した。
彼の顔に強烈さは皆無、ごくありふれた顔である。
丸顔に黒ぶち眼鏡、地味で真面目そう、どちらかと言うと「暗い!」。
どことなく「大橋巨泉」さんに似た感じだった。
この人、大学に8年間近く在籍した。
俺が入学した時には既に在学していた。俺が卒業した後もまだ在学していた。
俺が大学4年の時に在籍していた大学院生も「俺が入学した時には既に彼は在学していた」というので、生きた化石、シーラカンスのような存在である。
余程、勉強が好きだったか?・・いや、そんな訳がない。
不思議なことにクラスメイト、誰も彼と話した者がいなかった。
誰も彼の声を聞いた人はいない。どんな声か誰も知らない。
こんな不思議な人であった。まあ、留年を繰り返しているのでクラスに馴染みにくいので、仕方ない面もあるが。
授業には顔は出しているのだが・・・・、クラスメイト間ではそのため、「幽霊」と呼ばれていた。
ちなみにちゃんと足はあった。短かったが。
その誰も話したことがない白石さん、クラスでただ1人、話したことがある人間がいる。
俺である。まあ、なんてことはない。大学3年の時、実験で彼とペアを組んでいたからである。
会話もせずにペアで実験などあり得ない。
実験は特段、問題はなかった。当時、白石さんは大学6年生、俺より年上だったが、実験は常に俺が仕切って行った。
ただし、実験以外のことを話したことも、まして冗談を交わした記憶もない。
笑顔は一度も見たことはない。顔には表情はなかった。そういう人に彼以外に会った記憶はない。
教授によると白石さん、高校時代は生徒会の役員を、大学に入ってからは自治会の役員をやっていて、凄く活発だったという。
でも、大学2年の時、突然、無口になり冬眠期に入ってしまったようだという。

躁鬱病の場合、こういうことはあるらしい。躁と鬱が年単位という長期サイクルで現れる人もいるという。
社会人になり、本物の躁鬱病患者に対応したことがあるが、実験時に交わした会話からは白石さんは鬱状態ではないと感じた。
会話もごく普通だった。何でしゃべらなくなったのかは今も分からない。
その白石さん、何とか大学を7年間で卒業できそうな状況になった。ようやく単位も揃い、卒論も書いたらしい。
出身地の中堅企業への就職も内定した。いったい彼のどこを評価したか、謎だが。
そして、めでたく卒業式の日を迎えた。そこで悲劇が起こった。

卒業式の日、皆、スーツを着て会場前の広場に集まった。
もちろん、その中には白石さんの姿も。
まず、クラスことに集まり、大学の職員により手順等の説明が行われた。
その前に職員がそこそこと白石さんの所へ。「君は2単位が足りない。卒業証書は渡せない。」と告げた。
どうやら白石さん、取得単位の集計計算の間違いをしていたらしい。
・・さすが白石さんと言えばそれまでだが、なんというお間抜け。
大学職員も事前に何度か連絡を試みたそうだが、連絡がつかなかったそうだ。
式会場に皆が入って行く中、会場の外に一人残され、スーツ姿で茫然と立ち尽くす白石さん・・・。
笑いをこらえていた卒業生、会場に入った途端、爆笑。
でも、俺は余りに不憫で笑えなかった。多分、実験でペアを組んだ縁があったためだろうか?どこか不憫でもあり・・。
その後、どうなったか?大学院に進学した同級生の話によると、白石さんは次年度の9月30日付けでめでたく卒業した。
前期で2単位分を取得したのだ。
就職が決まっていた会社は半年間、授業がある日は休暇を認めてくれていたそうだ。
いい会社があったもんだ。
結局、入学から卒業まで足掛け7年半の年月がかかった。よく挫折しなかったものだ。並みの人なら中退だろう。
挫折という概念があったのかも疑問である。おそらく何も考えていなかったのではないだろうか。
悩みはあったのだろうか?不思議な人だ。
社会人になった後、どうしたかは知らないのだが。
あのノー天気振りなら何とかやって行けたのではないかと思う。(そんな甘くはないかな?)
でもあの調子じゃあ嫁さんは来ないだろうなあ。

リタイヤ 3.31
今日、3月31日、今の仕事から完全にリタイヤした。
70歳過ぎても、80歳過ぎてもまだまだ現役でやっている人も多い。凄いと思う。
趣味が仕事、仕事が生きがいなら続くかもしれないが・・・。
でも、俺はもう今の仕事をする気力、熱意はなくなっている。
ちょうどよいころ合いだ。

約40年間働いた。
ちゃんと仕事をしたかと聞かれれば、答えは「分からない。」
やったような気もするし、やってないようにも感じる。

俺はエンジニアだった。
でも、現場でエンジニアとして仕事をしたのは社会人生活の前半だった。
その頃は趣味が仕事だった。面白かった。
職場は物を造る現場だった。開発部門と量産部門を経験した。
量産部門では、数種類ある原料のどれを選ぶか?原料の配合割合は?添加剤の添加量は?混合条件は?圧力、加熱条件(昇温速度、保持温度、保持時間)は?そういった製造条件は俺が決めていた。
その造っていたもの、日本じゃ、勤務先しか造っていなかった。
世界でも数社のみしか造っていないものだった。

俺が指示した条件で造るとなぜか人よりも製品が良くできた。
何故、できたかというと、大学時代にやっていた研究と全く原理が同じだったからである。
違うのは原料のみ。製造するために必要な基礎理論がそのまま使えたからである。
当たり前だが、自然界の物理法則は物質が違っても共通して適用されるのだ。

製造条件の決定にちゃんとした理論はあるのだが、それを文章にはできなかった。
どうしても勘と経験に基づく直観に頼らざるを得ない部分があり、そこが文で表現できないのだ。

今は何でもデジタルという風潮。デジタルが最先端、アナログは時代遅れという風潮がある。
しかし、物造りなどの職人の世界は超アナログの世界である。
最先端の製品製造さえ、AI化は無理だろう。
従業員が600人ほどいた工場の中心の製造ラインだったので発言力は工場長と同じだった。
どこの企業でも同じだが、実績が第一、仕事のやり方、性格、態度などは第二以下なのだ。
あれが、俺の人生の絶頂期、人生の「春」だった。

でもいつかはそんな時期は終わることは認識していた。
霞が関の国家公務員もやった。それもその前準備のようなものだった。

管理職になると世界は違った。
ライン管理職は組織の運営者、経営者でもある。そのライン管理職を20年やった。
特に難しいのは人の管理、これは物造りより遥かに厄介。
物理法則など通用しない。四次元世界、霊界に住むような人間さえいる。
世界にはそういう民族もいるけど。

ある課の課長の時は課員は100人以上いた。部長の時は部員が250人いた。
20年やっているので、おそらく外見上は組織を上手く管理しているように見えたのだろう。
独断専行をモットーにしていたので、一見、行動力、実行力はあるように見えたかもしれない。
「キムジョンイル」という綽名も頂戴した。俺は独裁者か?

しかし、それはあくまで外見だけ。本人はイヤイヤやっていた。
とても自分にはライン管理職が向いているとは思わなかった。自分の性に合わない。
俺は一人でいる方や一人で何かをやっている方が好きだ。
そのうち、仕事は家族を養うためと趣味の資金源と割り切るようになった。

仕事をするのは家族を養わさせてもらったことに対する会社への返礼と位置付けることにした。
パワハラを受け、パニック障害が出た。
これは俺のメンタルが弱いからだ。
小室圭氏や斎藤祐樹氏の持つメンタルの1/10が俺にあれば、そんなことはなかっただろう。
(もちろん、そいつにはばっちり仕返しした。俺の仕事のモットーは「義理と人情、貸と借、恩とかたきは倍返し」である。)
パワハラ親父と好きじゃない仕事から逃避する手段が「城」であり「菜園」だった。
屋外で好きなこともしていると嫌なことは忘れられた。
これがあったから管理職が続けられたと思う。

いつしか、趣味の範疇が拡大し、本まで出してしまった。それだけ仕事が嫌だったってことかもしれない?
歴史講座の講師や自治体の委員会委員も依頼されるようになった。
そういう時、家内が病に倒れた。
その対応でライン管理職どころではなくなった。パニック障害も再発した。
休んでばかりじゃ、ライン管理職は勤まらない。
「無理だ!」そこで会社上層部に相談し、ある程度、自由度が効くスタッフ管理職にさせてもらった。

発病から約5年、闘病の末、家内はこの世を去った。
するとどうしたことか、「やる気」「熱意」がなくなってしまった。
特に仕事に対してはそれがてき面に表れた。
結局、仕事をプッシュしてくれていたのは家内だったってことか?
車のアクセルを踏んでもエンジンの回転が全く上がらない感じなのだ。
何度か、自分を「よいしょ」してみたが変わらない。
でも、それ以外、「城」とか「菜園」にはそれほどの影響は出ない。
あれは屋外、お日様の下で動いているからか?

これは鬱なのか?そう、これはあの「新型鬱」というやつか?
家じゃ元気なのに、会社に行くと鬱になるというアレ。
でも会社に行くのは抵抗はない、社員と話すのも普通、仕事に対する抵抗感はない。
違うのは仕事をする気がしないだけ。
新型鬱とは違うか?「燃え尽き症候群」「喪失感」だろうか。
熱意に再点火はないだろう。「未練もないし、もういいや」。

さて、この先どうするか?
家族を養ってきた仕事はもうしないが、まだまだ、何だかんだと有りそうだ。
考えてみれば、ストレスの反動が趣味の世界への逃避と没頭だったとすると、ストレスがなくなったら?
でも、何だかんだとストレスは形を変えてあるだろう。なくなることはないだろう。

行ったことのない所にも行ってみたい。でも、一人では行きにくいかな。
俺の第二の人生、これからスタートだ。


ローレライ!!危ないねえちゃん4.4
ローレライとはドイツの伝説。
この伝説、ライン川沿岸の船の遭難が多発する場所にある岩山に関わるものであり、魔女が美女に化け、岩山にたたずみ、船頭を誘惑し、それに見とれ、魂を奪われた船頭が船の操作を忘れ岩に激突し激流に飲み込まれてしまうという内容のものである。
(実際は、川幅が狭くなり、水面下に岩が多く隠れていて事故が多発したということらしい。)
この伝説は川に関わるロマンティックなものであるが・・・・川を道路に替えると・・・・ロマンティックは吹き飛ぶ。
ローレライのイメージをぶち壊すものとなる。

副題は「危ないねえちゃん」
タイトル、誤解を招きやすい・・・まあ、それが狙いだけど。
別にねえちゃん自身が暴走するとか、暴れるとか、人にけがをさせたりとかの犯罪を犯すとか、その手の「危険性を持った」という意味ではない。
しかし、別の意味での危険性を持ったということである。
そのねえちゃん、直接手を下さず、人を危険な目に会わせる可能性があるのだ。それを意識しているかは分からないが。
その点がローレライと共通するのだ。(どこが?)

そのねえちゃんは朝、通勤時に時々、目にする。
国道脇の歩道を歩いて通勤している。どうやら国道沿いにあるどこかの事業所に勤務しているらしい。
歩いて通勤する人、車社会の田舎では少ないが何人かはいる。世間ではよく見る光景の1つだろうが。
ねえちゃんが歩いていること自体に危険性は全くない。
しかし、危険なのはその恰好なのだ。普通じゃない。ただし、冬場は危険性はない。
夏場が非常にヤバイ。あれは赤信号、レッドカードである。
キャミソールやタンクトップ、ミニスカートが定番。露出度半端ない。
凄い時はほとんどレーシングクイーンの恰好。
ミニスカからハイヒ−ルを履いた細い脚が延び、髪の毛は背中まで。
そう、ねえちゃん、足は長くスタイルは抜群なのだ。
そしてレーシングクイーンがさすような派手な日傘。
そんな女が歩いていたらよそ見しない訳がない。もちろん、俺も見る。
まさにローレライである。

センターラインをはみ出しそうになりスマートアシストから警報が鳴ったことがあった。
車のルームミラーを見たら後続車のおっちゃんも顔を横に向けていた。
俺っきりじゃない。男はみなスケベなのだ。
渋滞のない道路だが、前の車がねえちゃん見たさに急減速したら追突、あるいはわき見運転ではみ出して対向車に衝突、または歩道に乗り上げる可能性はある。
俺が知らないだけで、既にそのような事故は起きているかもしれない。

スタイルがいいのは分かるが、顔がよく分からない。どんな顔なのか?
じっくり見たいのだが、歩く方向が車の進行方向と同じ、それに渋滞がなく交通量も多いので徐行もできない。
そして、傘をさしていない時や夏場以外はつばの大きい帽子をかぶっている。
見たらずっこけるような「ばばあ」だったらどうしよう。世間には「見返り美人」と言われる人もいる。
顔を見た瞬間、動揺してブレーキとアクセルを踏み間違えてしまうかもしれない。
徐行などしたら多重衝突事故を誘発しちゃうだろう。
事故った時は「ブレーキを踏んだのに車に何らかの異常が起き、暴走した。俺は無罪だあ。」とどこかの誰かさんを真似て主張すればいい?・・・通用しねえなあ。

あのねえちゃん、ドライバーに妄想を掻き立てさせるのが目的か?事故の誘発を狙っているのか?
まさか、それに引っかかっているのは俺だけ?(な、訳ねえよなあ・・多分)
それとも、あのねえちゃん、AV出演願望か?露出狂か?エロ気違いか?少なくともその気は十分に感じる。
そうじゃなきゃ、あんな恰好で歩く訳がない。
でも、なんでこんな田舎道を?繁華街なら分からんでもないが。
しかし、色々な人間がいるものだ。・・・と、とても人のことは言えない。俺の煩悩も限りなし。
ねえちゃんの顔、知らない方がいいのだろう?知ったら落胆するかも?
知らぬが仏とも言うし。いつまでも妄想の世界に浸れるし?・・・なに、訳分からんこと言ってんだか!

涙4.29
俺は昔、20年位の間、泣いたことがなかった。
涙を流したのはゴミが目に入った時くらいだった。

どんな感動的な映画やドラマを見ても、悲しい話、かわいそうな話を聴いたり、体験しても泣くことはなかった。余程、ドライで冷たい性格だったのだろうか?
でも、考えてみれば、できる限りそういう映画や話は見たり、聞かないようにしていた気もする。
あえて直視しないようにして、逃げていたかもしれない。
臆病だったかもしれない。
で、ここ10年は・・どうも違う。
ちょっとしたことで、やたら涙が出る。
悲しいニュースなど聞くと、自然に涙が出て来る。

特に幼い子供が虐待受けて殺されるようなニュースなんか聞いたらもう堪らない。
こういうニュース、聞きたくもないのだが、聞こえてきちゃうのである。
困ったもんだ。

ところが、3年ほど前、家内が死んだとき、涙は出なかった。
あれは、もう涙が出るのを越えた次元だったのか?
あるいはとうに覚悟していたからか?

少し前からハードディスクに録りためた番組をディスクの整理を含め、必要なものはDVDやブルーレイにダビングしている。以前、NHKの衛星放送等で録画した映画等だ。
その際、ちょっと映像を見たら、今度は完全に見始めてしまった。
そしたら涙が出て来る作品に行き会ってしまう。
これは困った。見るべきじゃなかった。

最初に見たのは「ひまわり」、
ソフィアローレン主演の悲しい別れの話、感情移入してしまい最後は泣きっぱなし。
やはりソフィアローレンは凄い女優だ。

次に見てしまったのが「タイタニック」
内容は言うまでもない。何度か見ているはず。見なくてもいいのだが、見始めると止まらない。
困った。以前、見た時は感動はしたけど、泣くことはなかった。
しかし、今度はどうだ。涙が止まらない。
ケイト・ウインスレット、あの時、美人だけど、今、どうなんだろうね?

3月24日、田中邦衛さんが亡くなった。
その追悼番組として4月3日「北の国から87 初恋」を放映していた。
見る気はなかったのだが、ちょっと見ているうちに引き込まれて最後まで見てしまった。
不憫な結果に終わってしまうはかない初恋の話だ。また、泣いてしまった。
どうやら、俺の中ではあの不幸なヒロインが俺と始めて付き合ってくれた女性と重なっていたようだ。
その彼女はもうこの世にいない。

映像の美しい風景とヒロインの何ともいえない悲し気な表情が涙を加速させる。
ところで放映後、検索したらあのヒロイン、誰かと思ったら「横山めぐみ」さんじゃない。
知らんかった。
横山めぐみって「真珠夫人」そしてスマスマでキムタクとやっていたコント「体感エレベータ」の人?
あのエロスフェロモンぷんぷんの・・・。ドラマのヒロインと全然、違うじゃない。

同姓同名の別人かと思ったら同一人物だった。
いつ、アナキン・スカイウォーカーがダースベーダーになってしまったのだ?

ちなみに「北の国から」の倉本聡の未完の構想では、純とこのヒロインは最後は結ばれることになるとか?
まあ、そのストーリーが撮影されるか分からんけど?
そしたらドクターコトーと真珠夫人のカップルか?

涙について書き始めたが、また、最後は違うことを書いている。
俺らしい?

マッチ1本火事のもと、明菜デビュー40周年5.2
Yahooニュース等を見ると5月1日は中森明菜が1982年にデビューして40周年にあたる日だったそうだ。
デビュー曲は「スローモーション」、俺が一番すきな曲だ。
そのEPがある。どうやらかあちゃんが買ったものらしい。
実家を整理していて見つけたものだ。40年って今思うと凄く長い時間だ。もうそんなに経つのか。
そういえば、生まれた子供に「明菜」と付けようとして、大荒れになったこともあった。
「北の国から」を見たら、五郎さんを助ける犬の名、「アキナ」だった。それほどインパクトある存在だった。
彼女の歌、今、聴いても歌唱には全く遜色はない。今の歌手は足元にも及ばない。
一時、復活の兆しがあったが、その後、どうしたのか?また、見たいものだ。

一方、彼女を崩壊させた奴は相変わらず逃げ回っている。ついに事務所は実質的にクビのようである。
その姿、「見っともない。」の一言。
その報道が明菜デビュー40周年とほぼ同時期なのは偶然か?呪いだ!
マスコミの報道はあまり信用おけないけど、奴に関する報道はほぼ妥当な感じがする。
俺が「卑怯」と思う位だから余程だ。ああいう男にはなりたくないものだ。
結局、明菜さん、男を見る目はなかったってことか!天は二物を与えず。

幼馴染6.10
以前、帰省した時、幼馴染のKさんに会った。
最後に会ってから、実に40年以上の時間が経過していた。
しかし、会話は40年以上の時間の空白は感じない40数年前のままだった。

Kさんは管理人より2歳年上、仕事はかなり以前、50代で早期退職したそうだ。
早期退職と言っても実家が大地主であり、急激な都市化で今はアパート、マンション経営でいくらでも収入はあり、親の高齢化でその業務を継いだとのことだったという。
・・・・でも、それは表向き。

Kさんは県立高校の校長先生だった。
どうやら教育者の理念からは外れた仕事である校長業務に嫌気がさしたのが、一番の理由のようであった。
Kさんのような人物が校長なら理想的、とは思ったが、現実はそんな理想の世界とは違ったようだ。

そんな校長先生になるほどの優秀な人物Kさんと住む世界が違うリンゴドロボーのくそガキが、親しくなったのは、どこかで波長が合ったのだろう。
Kさん、幼少のころから俗に言う評判の「良い子」「優等生」だった。
管理人は親からは常に「Kさんのように・・・」と言われ続けた。親の気持ち、ごもっともである。
何せ真面目で誠実、もちろん教師を目指したくらいだから勉強もできた。
信用も抜群なので中学の時は生徒会の副会長だった。
そればかりではない。
中学の時はバレーボール部のレギュラー選手として県大会で優勝した輝かしい実績もある。

まさに文武両道のまぶしいくらいの人物だった。それに引き替え管理人は・・・。
そんな対照的な2人が仲良くなったのは、波長が合ったとしか言いようがない。
Kさんとは家が近くのため、幼少時から知ってはいたが、小学校時代は学年も違い、話すことはほとんどなかった。
中学になると通学途上一緒になることが多く、通学距離も長かったため長時間の会話ができた。
その時の会話が親しくなるきっかけだった。どんなこと話したか、記憶はない。
多分、大したことは話してはいないと思う。
それもたった1年間、管理人中1、Kさんは中3だったからKさんが卒業してからは会う機会は自然と無くなってしまった。

でも40数年前の1年間が、40数年の空白を経ても継続できるのは驚きでもあった。
その40数年振りの会話の中味。
Kさん校長業務の理想と現実のギャップに悩み、趣味に逃避。
その趣味が陶芸。実家の状況もあり、思い切って退職。
家業の傍ら、趣味に没頭。最近はコンクールで入選するまでなった。
将来、陶芸の学校にも行きたい・・こんな内容だった。
笠間、益子にも来ているというので、知らずにすれ違っているかもしれない。

管理人、かつてセラミック製造の仕事をしていた。
陶芸はオールドセラミック、管理人の仕事はニューセラミック、原料の粘土の種類が違うが基本は同じ。
粘土等の材料の成分や粒度、添加剤の選定、焼結温度、還元炎と酸化炎での発色の違い等、その辺は陶芸と話題が共通、陶芸にも多少の知見はある。
すぐに会話を合わせることができた。
多分、これが同じ波長というのだろうか。
管理人とは趣味に逃避したところまでは同じであるが、管理人は仕事を家族を養うための生活費を稼ぐ場と割り切っていたのが違う。
Kさんとは、再会を約束して別れた。
今度、いつ会えるかな?

妻が死んで3年 7.9
今日は妻の3回目の命日でした。
あの年2018年は梅雨が6月中に明け、今頃は連日の猛暑、ロシアではサッカーWカップが開催されていた。
妻が死んで3年が経つけど、それは遠い昔のことだったような気もする。
凄く長い時間が経ったような気がする。
そんなことはなかったこととし、俺は忘れてしまいたいのだろう。

あれ以後、俺は何となく生きている。
やりたいことはあるのだが、どうもやる気が起きない。

一人で出かけてみるが、人出が多い所で、自分と同世代の夫婦が楽しそうにしているのを見ると落ち込む。
あまりイチャイチャしているカップルを見ると棒でぶん殴りたくなる。
そして、結局、つまらなくなって帰ってくる。
それなので、行くのはほとんど人に会わない山ばかり。

結局、俺はまだ妻の「死」という現実に縛られ、抜け出せてはいないようだ。
俺だけがこんな感じなのか、と思ったがそうではないらしい。
俺のかつての上司は30代で奥さんを亡くしたそうだが、20年以上経っても抜け出せていないと言っていた。
近所のおっさんは若くして死んだ奥さんが今だに夢に出てきて落ち込むと言っていた。それも若い姿で。
それは同じだ。脳裏に浮かぶ妻は20歳の頃の姿で出て来る。娘よりはるかに若いじゃないか!
老いた親の死なら年齢による宿命と納得できるが、若くして亡くなった奥さんや子供の死はまた違うのだろう。

今も引っかかっている妻の言葉が脳裏に残っている。
自分に残された命がもうそれほどはないことが見えて来た頃、妻は俺に「私の人生は充実していた。」と言った。
それを聞いた時、俺は何も言わなかったが、「えっ?そんな訳ないだろう。不完全燃焼のままじゃないか」と思った。

あの言葉は自分を慰めるため、自分を納得させるために言ったのだろうか?
それから死ぬまで、彼女は自分の人生に対する後悔じみた言葉は一切言わなかった。
俺には何度か「ごめんね。こんなことになってしまって」と言った。「そいうことは言うな!」と俺は言い返した。

みっともない後悔の言葉を吐いていたのは俺だった。
そいう時、妻は「めそめそしてんじゃねえ!」と怒鳴りつけてきた。
しかし、情けないことに、今もこうやって吐き続けている。
結局、俺には何もできなかった。そのことが今も俺を苦しめている。

妻は童顔だった。いつも実年齢よりかなり若く見られていた。
せめてもの救いは、老婆になった妻の姿を見ずに済んだことだけだ。

最近、DVDで「俺たちの旅」の本編の後に作られたスペシャル版、10年目、20年目、30年目の3作品を見た。
本編は1975年頃に放映されたもの。もう45年も前のこと。
多分、このドラマをリアルタイムで見ていた者は60歳以上の人だろうか?

俺はまだ実家に住んでいて、実家のTVで見ていた記憶がある。
第1作での金沢碧のおっぱいぺろんちょが衝撃的で、また、見れるかと期待して見続けたが、第1作だけだった!
あれは撒き餌だ。詐欺だ。それに引っかかる俺も間抜けだが。

本編については今もYOU TUBUでかなりの作品が見れる。
しかし、続編にあたるスペシャル版はYOU TUBUにもあまり載ってない。
その内容も断片的にしか知らなかったので改めてDVDで見てみた。

この作品は、カースケ(中村雅俊)オメダ(田中健)グズ六(秋野大作)3人の織りなす青春ドラマの傑作である。
でもこの作品にはもう1人の主人公がいる。洋子(金沢碧)である。
俺も当時、金沢碧の魅力にノックアウトされた一人である。あんな目で見つめられたら・・・。

スペシャル版は青春ドラマとは違う壮年期、中年期になった主人公達の苦闘を描いた重厚な作品である。
スペシャル版までを見るとこの作品の本編からのメインは「カースケと洋子のすれ違う恋の物語」だったのと思う。
しかし、洋子とカースケの恋はいつもすれ違い、お互いに好きなのだが結局、二人が一緒になることはなく、洋子はとても幸せとは思えない状況で50歳くらいで病気で死んでしまうのだ。
実ることのなかった悲恋で終わる。

その死の病床で洋子が夫に言った言葉が「私は幸せだったのよ。」である。
その時の彼女の設定年齢は50歳弱くらいだろう。不完全燃焼の人生と言えるだろう。
この洋子の言葉は経済的な状況とかではなく「カースケとオメダが母親のように常に自分を頼ってきてくれる。」という精神的な幸福を言っていたものと思うが。そんな悟りの境地に至れるものだろうか?

この言葉を夫が言う場面を見た時、死んだ妻が言った「私の人生は充実していた。」と重なった。
表現は多少違うが同じことを言っているように聞こえた。
洋子と妻がシンクロした。相手はフィクションの世界なのだが。
こうなると俺の涙腺は崩壊である。

しかし、妻は俺の人生をそれなりに充実させてくれたと思っているが、俺は妻の人生を「充実」させてはいない。
「充実」させる矢先にいなくなってしまったのだ。それが俺の「悔い」でもある。
いったい妻のあの言葉はどういう意味があったのだろうか?今もそれが脳裏に引っかかっている。

「俺たちの旅」鑑賞記
のドラマについては7月9日にアップした「妻が死んで3年」で引用した。
結構、懐かしくもあり、意味深なドラマなのでその感想を書いてみる。
重複した記述になるが、45年も前、日曜日の夜、1年間にわたり放映されていた本編は主人公達の大学卒業前後の青春期を描いたもので、コントのようなドタバタ喜劇も交えて、主人公達の恋の葛藤、社会との葛藤を見事に描いている。
シリアスあり、コメディあり良くできているドラマである。

放映されていたのは1975-76、昭和50-51年である。
高度成長期の終末期であり、今で言うブラック企業全盛の時代でもある。
モーレツ社員という言葉もこの頃だったか?
映像を見るとそんな当時の世情と昭和レトロの風景が記録されている。
完全なるアナログの世界であり、当時を知る人間に取っては懐かしさを感じさせる映像である。
画質も当時はフィルム撮影なので粗い、今のデジタルハイビジョン映像とは比べものにならない。
これをブラウン管TVで見ていたのである。

この物語のメインテーマの1つ、いや、裏のメインテーマがカースケ(中村雅俊)と洋子(金沢碧)の恋の行方である。
これが普通じゃない。だからドラマが成立しているのである。
だいたいは本編の最終回はカースケと洋子がハッピーエンドで終わることを多くの視聴者は期待していたようである。
俺もそう思っていた。
でも、そうはならなかった。
そうしなかったのがこのドラマが名作として名を残した要因だろうか?
非常に中途半端、消化不良な終わり方をしているのである。
もちろん、そういう終わり方になるように伏線を張り物語を展開させている。
この終わり方があったので続編が作れたとも言える。
それも30年間にわたり。
20歳で演じた俳優が50歳になっている。
そして同一の俳優が演じ続けている。若者がジジイ、ババアになっている。
これは凄い。
「北の国から」でも21年、「男はつらいよ」でも26年なのでそれを越えている。
カースケと洋子の恋、これが普通の恋ではない。
確かに2人は好き合っている。
しかし、相手を無条件に好きなのは洋子であり、「私の大学生活4年間は彼のためにあった。彼は私の青春だった。」とまで言わしめているのである。
でも、カースケは必ずしもそうではない。
感性がかなり疑問なところ(鈍感)があり、洋子は恋人でもあるが、それより保護者、母親的存在としても見ているところがある。
それに「今が楽しければいい、人生楽しまなきゃだめだ。束縛されたくない。」というモットーがある。
結婚という概念は希薄である。
最後は洋子もそれを認めているところがある。
さらに、オメダも洋子が好き。
洋子もオメダをカースケほどではないが好き、さらに、カースケとオメダは親友であり、洋子をお互いに譲ろうとする。
不思議な三角関係となっている。
このような複雑な関係で三竦みとなり結局、ハッピーエンドにはならなかったのではないかと思われる。
また、回が進むに従って、カースケとオメダは洋子を恋人というより女神のような崇めるべき対象にまで昇華させている面が感じられ、洋子も母親的行動が多くなる。
この洋子を女神のような崇めるべき対象としている状況は、スペシャル版になるとより明確になっていく。
カースケ、オメダとも苦境に陥った時、助けを求める相手は決まって洋子なのである。
洋子の発言は神のお告げに等しいようになっているのだ。
最後はカースケに「洋子は俺とオメダにとっては、ただの女じゃない。特別な女だったんだ。」と言わせている。
まさに女神、菩薩、本尊という位置付けに昇華させているのである。
カースケ、オメダの妻もそれを認めているのである。
凄いストーリーである。フィクションの世界であるので、どんなストーリーも作れると言えばそれまでだが。
フィクションの世界としては良く出来ている。
よくこんなストーリーを作れたものだ。
でも、実際、この作品のようなことあり得るのか?
俺はないと思う。

3人は不思議な恋愛の三角関係にあるが、それぞれ別の人と結婚しているのである。
恋愛と結婚は別物なのである。
もつれた恋愛だったから結婚に至らなかったということでもあるが、これは非現実的である。
普通はどちらかと一緒になるのではないだろうか。

3人にはそれぞれ結婚相手がいるが、それぞれの結婚相手との恋愛関係があまり見えてこないのも不思議である。
結婚に至った経緯もそんな深いものではなさそうである。
特に洋子の初婚、再婚の結婚相手にはそれが全く感じられない。
結婚したプロセスも分からない。
学者なので経済的理由ではないだろう。

あるとしたら社会的地位くらいか?
果たしてその程度のものが結婚の引き金になるものだろうか?

そしてその夫は妻が結婚後も2人の男と恋愛関係のようなことが続いていることは知らない。
実際、そういうことはあったらそれは怖い。
俺の妻が俺の知らない男達に女神と崇拝されていたとしたら?
それを俺が知らないで・・・。
それじゃ、自分は何なの?何で俺と結婚したんだ?・・そうは考えないだろうか?
逆に俺がどこかの女性を女神様として崇拝していて、それを知った妻はどう思うだろうか?
多分、ただじゃ済まないように思うが。

非現実的なストーリーではあると思うが、ドラマ、フィクションだからこれでいい、これだから名作として伝えられるのだろう。

「北の国から」鑑賞記 1
「俺たちの旅」の鑑賞記https://ameblo.jp/spxwd1031/entry-12693944775.htmlを書いたので、こっちも。
「北の国」というと今では、あの「労働者の楽園」と自称していた国を指すことが多いが、あの国のことではない。

言わずと知れた主に「北海道の大自然」の中で繰り広げられたTVドラマ史に名を残すあの名作のことである。

でも、俺はリアルタイムではほとんど見ていない。
本編放映当時の昭和56年(1981)は俺は就職したばかり。寮でマージャンに明け暮れていて見ていない。
しかし、断片的に多少の記憶はある。再放送を一部、見ていた記憶かもしれない。
いや、とんねるずのパロディから知ったのかも?

2021年3月26日、主人公の五郎さんこと田中邦衛さんが亡くなり、4月3日追悼番組として「87初恋」を放映した。
4月29日にアップした「涙」https://ameblo.jp/spxwd1031/entry-12671515045.htmlでその感想を一部書いたが、改めてこのドラマに引き込まれた。
見たのは20年か、30年振りか?かすかに記憶にあるが、こんな凄い作品だったっけ?

我が家には「北の国から」のDVDが一式24枚組がある。(多分、海賊版?)
それを時間を見て改めて全部通しで見てみた。

この作品、本編24話18時間、スペシャル版8話24時間、見るだけで合計で42時間を要する大作である。
第一話から最終話までの時間差は21年、その間役者は変わらず。
10歳だった吉岡秀隆演じる純は31歳になっていた。凄い時間軸だ。

各話では放映当時の流行歌やはやりのものが見れて懐かしい。
蛍が抱いていたアラレちゃん人形とか、ガンダムとか、純の被っていたABBAの帽子とか、昭和の車とかYS11とか・・。
犬の名は「アキナ」、もちろん「中森明菜」から取った。
彼女はこの頃が全盛期だったのか。

名作とされる要因は原作、俳優、監督以下のスタッフが優れていることはもちろんであるが、舞台の北海道富良野の自然と風景、効果的な音楽、これらが見事に融和しているからだろう。それに電気も水道もない生活、まるでロビンソンクルーソーのようなサバイバル・冒険ドラマの一面も。これが今では返って新鮮である。

しかし、あくまでドラマではあるが、人間模様が凄い。ドロドロしている。
主人公の黒板家は何でトラブルに継ぐトラブルの連続なのだろうか?
どんな家にもトラブルはある。
しかし、黒板家は普通の家10軒分のトラブルにこれでもか、これでもかと見舞われている。
トラブル濃度が極めて濃い。
火事に、借金踏み倒しに、離婚、浮気、不倫、死・・・
その点がドラマと言えばドラマなのだが。
特に不思議なのは、やたらの不倫、浮気、離婚のオンパレード。
それは、あの一家と一族の血統なのだろうか?

また、皆さん、飲み屋には車で行っている?
代行なんかなさそうだし。こりゃ、皆、酔っ払い運転で、免停だ!
色々、疑問点は多い。
ドラマなので面白ければいいということではあるけど・・・。

大体、ドラマの主人公はどこか欠点はあるが、必ず何かしらの技術、特技とかのヒーロー的要素は持つ設定が多い。
しかし、このドラマの主人公、五郎さんは・・?。
サバイバル力、耐久力、体力はあるが、経済力は決定的に無い。常に貧乏である。
子供に十分な教育もしてやれない。
力強いようで、「情けない。」。こんな主人公、そんじょそこらにはいない。

この作品、色々な要素が詰め込まれているのでとても感想など書ききれない。
切り口、視点を変えればいくらでも書ける。

登場する純の彼女について書いてみる。これが一番、面白い。

五郎さんはちと情けないが、その息子、「純」もやっぱり情けない。親の遺伝でもあろう。
意思もフラフラで優柔不断、「くず」とまでは行かないが「ヘタレ」人間、卑怯者に近い。
こう挙げていくと、こりゃ、自分のことを書き出しているみたい・・・?。

その純、どういう訳か「もてる」のが不思議である。そこが俺と違う。
頼りないので女性の母性本能をくすぐるのか?
そして付き合う彼女達は皆、超一級の美人ばかり。
もっとも「ブス」じゃ、ドラマ自体が成り立たない。まさか、お笑い女芸人のような彼女たちじゃあ・・(失礼)
ドラマにはヒロインが必要である。
ヒロインは美人じゃなくてはならない。それが絶対条件である。
とは言え、ドラマではあるが、あのレベルは世の中の男どもの羨望かつ嫉妬の対象である。
なお、同時期、吉岡秀隆が出演していた「男はつらいよ」の彼女は後藤久美子、牧瀬里穂だった!

このドラマの最大のヒロインは、横山めぐみ演じる初恋の彼女「れい」と宮沢りえ演じる「シュウ」が双璧と思う。
片や正統派(当時は!)、片や天使のような天真爛漫さ、全くタイプが違う。
その二人の間で心が揺れる95「秘密」における純は贅沢の極みである。
何と、この二人と平行して付き合っているのである。これは異常である。

結局、この二人とも最後まで純に対する「想い」はあるのだが、純から離れてしまう。
離れざるを得ない状況になってしまう。
というより、純が今の自分と一緒になっても・・・と身を引いているというのが真実に近いのだろう。
その場面、何とも言えなく悲しい。

その要因は純の経済力、社会的地位、自立性のなさ、不安定さであろう。学歴も入るだろう。
ゴミ収集は立派な仕事とは思うが、本人は負い目を感じているのが分かる。周囲もそう見るだろう。
身分も市の臨時職員では不安定である。
2002遺言では牧場経営を引き継ぎ、経済破綻し、破産者となる。

結局、経済力(金)がないと、愛はあっても結婚は成り立たないのである。

その点で「れい」と「シュウ」の選択は正しい。
「あなたの愛があれば他には何もいらない」・・歌の歌詞によく出てくる言葉だが、現実にはそれはあり得ない。
そうやって一緒になってもそのうち破綻する。
これは純の両親が破綻したパターンでもある。

転職ばかり繰り返し、ガソリンスタンドの従業員になっていた五郎と美人で美容師で技術を持ち、美容院を経営する母、令子の関係がいい例である。・・多分、純が彼女達の一人と結婚すれば両親の二の舞を演じるだろう。
そう、母親と叔母の不倫癖も遺伝か?蛍もちゃんとそれを継いでいる。

一方で「愛も金で買える」「愛も金次第」というのも嘘ではないのだ。
それは美人芸能人などを奥さんにしている成金実業家、芸能人やスポーツ選手をみれば分かる。

結論、「結婚、家庭維持に必要なものは金だ!」経済基盤がないと維持できない、それが現実だ。

時代屋の女房
9.11は今ではアメリカ同時多発テロが起きた日と記憶されている場合が多い。
あれを契機に起きたアメリカのアフガニスタン侵攻は奇しくも20周年でアメリカの撤退・敗北で終わった。

しかし、9.11はその記念日だけではない。
伝説の女優「夏目雅子」の36回目の命日なのだ。
わずか27歳だった。
美人女優は多くいるが、俺個人としては彼女が一番美人じゃないかと思う。
歌手なら俺にとっては坂井泉水が一番だ。
共通点は比較的若くしてこの世を去った女性である。二人の姿は亡くなった時で止まっている。

その伝説になってしまった女優、夏目雅子の出演した代表作の映画の1つが「時代屋の女房」である。
この映画は1983年の作品、主演の夏目雅子は25歳である。
当時の彼女の美しさ、ある種、凄みさえある。
その一方で子供のような表情もし、大人の女の顔にもなり、不思議な感じもする。
2年後、彼女が亡くなってしまうので、一層そう思うのかもしれない。

この映画、村松友視の小説をベースにし、骨董屋「時代屋」の安さん(渡瀬恒彦)の所に、野良猫とともに夏目雅子演じる真弓という女が転がり込み、猫とともに居着くが、時々、数日間行方不明になるというストーリーである。
行方不明の間、自殺願望の若者に付き合っていたり、旅をしていたりしているようだが、真相は分からない。
しかし、最後はまた「時代屋」に帰ってきてハッピーエンドとなる、という話である。
映画の中で中森明菜の「少女A」に乗って皆が踊り狂う場面があるが、もうそんな昔のヒット曲だったかと思い知らされた。

結局、彼女の過去も、正体も最後まで謎のままである。
ストーリーもよく分からないところが多い。夏目雅子が美郷という別の女性も演じるが、彼女の位置付けが分からない。始めは美郷は真弓の別の姿と思えたのだが、どうも違うようである。

俺は真弓は猫を連れて現れるので、猫が化けているのではないかと思った。あの大きな目、あれは猫の目である。
あんな目で見つめられたら、男はおかしくなる。安さんもおかしくなり、振り回される。
天女であり魔性の女である。

昔、実家で三毛猫を飼っていた。その猫は家猫なのに何度も行方不明になった。数日間も帰って来ない。でもそのうち帰ってくる。
当然、その間、何をしていたのか?何を食べていたのか分からない。どこかの家に世話になっていたのかもしれない。
最長、半月、帰ってこなかった。そのため、死んだと思い、墓まで建てた。そいつと重なるのである。

かなり、消化不良なストーリーなのだが、夏目雅子が演じたことで強烈な印象を残す。
その強烈さは、この2年後には亡くなってしまうので、まるで残り少ない生命を一気に燃やしている輝きのようでもある。
この姿のままで伝説の世界に行ったのだろう。

もし、彼女が今も生きていたら、どんな女優になっていたか?
64歳になっているはず。
若い頃、美人だった女性も見る影もない姿になっていることもあるが、吉永小百合みたいに全く輝きを失っていない場合もある。
果たして夏目雅子なら・・・。
まあ、そんなこと考えるのは野暮か?
彼女はこの映画出演時の姿のままでいいのかもしれない。

この映画、久々に見たら涙が止まらなかった。
それは、やっぱり俺に取っては死んだ妻に重ねてしまうからかもしれない。

なお、23年後の2006年、渡瀬恒彦が安さんを再度演じ、真弓役を大塚寧々が演じてTBSがドラマ化した。
映画とストーリーはだいたい同じなのだが、真弓が行方不明になった理由が彼女が別れた子供を見に行っていた設定になっている。
この版も結構、よくできている。

「男はつらいよ」鑑賞記 〜偉大なるワンパターン〜10.19
ご存知、渥美清演じる「寅さん」を主役とする映画である。
1969年から1995年まで26年間にわたり48作が製作されたギネスにも載る喜劇大作である。
基本的にはギャグ満載のコメディであるが、その中にちゃんと真面目な教訓的なことも盛り込んでいる。

この映画により役名「寅さん」は世にメジャーとなり、渥美清イコール寅さんが定着した。
幸か不幸か、この映画により、渥美清は寅さん以外を演じることが困難になってしまったという。
渥美清が登場すれば、どんな役でも寅さんに見えてしまうのである。これは不幸なこともかも?

その30作ほどのDVDが我が家にある。
2005-7にかけてNHKのBSで放映していたものを録画し、DVDにダビングしたものである。
その存在をそのまま忘れていたが、DVDの整理中に見つかりついでに、ちょっと見てみた。
それがまずかった。
この作品にはまり込んでしまった。さすが名作と言われる作品である。
少しづつDVDを見て、不足分はレンタルで借りて全作品を見た。足かけ3ヶ月もかかった。

今まで俺は「男はつらいよ」はまともに見たことはなかった。
「男はつらいよ」はよく観光バスの中で流されていたことがあったが、興味も全くなかった。
どこか「どんくさい」イメージがあり、あのテーマ音楽が流れる度、ダサくて古くさい昭和を感じ、頭痛がするくらいであった。
どちらかというと俺は「嫌い」だったと言ったほうがいいかもしれない。
そういうのを先入観と言うのだが・・・。

ストーリーは基本的にはワンパターンである。
「旅先等で寅さんが美女と出会って、一目惚れ。結婚する、しないで現地や葛飾柴又の「とらや」を舞台に親族、近隣を巻き込んだ大騒動となり、最後は失恋で終わる。」の繰り返し。
これを基本のパターンとし、作品毎に美女、マドンナ(ヒロイン)、場所(舞台)、ストーリーが替わる。
(伊藤蘭、田中裕子、樋口可南子等は恋愛対象から外れる。また、渥美清が病気がちになった最終作近くは吉岡秀隆演じる満男とのW主役になっている。)このワンパターンで48作も作られたのが凄い。

映画では、マドンナとの恋は成就しないという結末は最初から見えているのだが、基本のパターンは変えないが結末に至るまでの設定、場所等色々なアレンジが加えられるので、全て違う作品になっているのである。
各作品のつながりは少なく、順番に見なくても余り問題はなく楽しめる。各作品がほぼ独立している。
やはり最大の要素はマドンナであろう。もちろん、喜劇作品であるので「笑い」の要素は申し分ない。
これも山田洋次のシナリオの素晴らしさであろう。ワンパターンでも「飽き」が来ない。マンネリ化していない。
これぞ、副題とした「偉大なるワンパターン」である。

現実に「寅さん」のようなキャラクターは、古きよき昭和の時代でも絶対あり得ない。
少し(かなり?)頭が足りなく、性格もメチャクチャという人物設定であり、柴又界隈では子供が「遊んでばかりいると寅さんみたいになっちゃうよ」と親に注意されるほどの存在である。実際、その手の人、程度の大小はあるが地域や会社にも必ずいる。
社会の「落ちこぼれ」であると言ってもよい。。
寅さんの本業?は全国を放浪する「テキ屋」であり、「自由人」である。
社会にはほとんど貢献していない。特に当時の高度成長期における日本のGDP等への貢献はほとんどない。

会社社会などで束縛される現代人の対極にいる人物であり、「束縛」の裏返しとして現代人が羨む「自由」を寅さんに託したのが人気を集めた1つの要因なのかもしれない。
観客は自分の束縛からの解放を寅さんに代行してもらっていたのかもしれない。

街角とか旅館でとか、都合のいいタイミングで寅さんがマドンナや関係者と偶然再会することもあり得ない。
テキ屋程度の稼ぎでは現実には食べるのが精一杯、寅さんのように旅ができる訳はない、この辺は娯楽映画を成立させるための設定ということでいいだろう。

「とらや」を舞台とするドタバタ劇も核家族化が進む昭和末期の当時では、昔の大家族、近所付き合いの濃厚で温かい人間関係の懐かしさ、人情の厚さを感じさせるのだろう。

この映画でやはり凄いのはマドンナを演じる女優群である。
吉永小百合、浅丘ルリ子、栗原小巻、大原麗子、田中裕子、樋口可南子、秋吉久美子、竹下景子、松坂慶子等、昭和を代表するそうそうたる女優がその全盛期の姿で出てくるのだ。(でも真のマドンナは倍賞千恵子なのだろう。)この作品は昭和女優辞典でもある。
この映画にマドンナとして出演することは、一流女優としての証でもあるだろう。
ここに山口百恵と夏目雅子が加わっていたら・・・?

美女がいないと映画は成立しえない。美女と「ブ男」寅さんのアンバランスが絶妙である。
「寅さんが、あんな美女と・・何で俺には・・」と世の多くの男達は悔しがるが、それはこの映画自体が巨大な妄想の世界だからである。現実と混同するのはとんでもない!・・とは言え、寅さんは羨望の的である。

吉永小百合、浅丘ルリ子は同じ役で複数回登場し、栗原小巻、大原麗子、竹下景子、松坂慶子は違う役で複数回登場する。
寅さんのような少し頭の弱いブ男と彼女達はとても釣り合いは取れないが、そこは娯楽作品、やはりヒロイン、マドンナは美女じゃないと映画にはならない。「北に国から」の純の彼女達と同じである。いや、あらゆるドラマも同じパターンだろう。

結局、最後は寅さんの失恋で終わる・・のであるが、それが意外にそうでもない。
マドンナからアタックしてくる場面も多い。
八千草薫、浅丘ルリ子、竹下景子、風吹ジュンがヒロインの場合は「奥さんにして・・。」という態度でアプローチしてくるのだが、そういう場合に限って、寅さんは「冗談だろ」と言って、自分から逃げてしまうのである。

風吹ジュンがフラれて寅さんを睨み付ける目は怖い。
竹下景子演じる「石橋朋子」が寅さんに振られるシーンなどはかわいそうなくらいである。
一方、いしだあゆみ演じる「かがり」が寅さんに迫るシーンは怖いくらいである。
偶然にもこの二人「北の国から」では姉妹を演じていたが・・・。
満男に言わせると寅さんは「恋の臆病者」である。
それがどこか妙に悲しみを誘うのである。
ともかく、この作品は娯楽作品ではあるが、単純な娯楽作品ではない。
名作と言われるだけある深みを感じる。あの生き方、メチャクチャであるがどこか凄く魅力的なのである。
SL等なつかしい昭和の風景が収録され、タイムカプセルのような作品でもある。


「北の国から」鑑賞記 2 〜れいちゃん〜
テレビ東京の土曜日9:00から放映されている「ウルトラマントリガー」を見ていたら、横山めぐみさんが出ていた。
そう彼女こそ「北の国から」に登場する伝説のヒロイン「れいちゃん」なのだ。
いや、「だった」のだ。

その面影は今は余りないように感じる。
かつて俺は「体感エレベータ」「真珠夫人」の横山めぐみさんと「れいちゃん」を演じていた人は別人と思っていたくらいだ。

この大作を通して見て、どれが一番好きな作品かと問われれば、個人的には彼女が登場する「87初恋」である。凄く悲しいストーリーの作品である。
このシリーズは連続しており、前作までの流れを知っていないと入って行きにくいが、田中邦衛さんの追悼番組で放映したように、この「初恋」は比較的ストーリーの独立性が高く、前作までを知らなくても入って行ける。
多分、前作までの筋を知らなく、始めて見るい人にも分かりやすいのでこの作品が追悼番組に選ばれたのだろう。

この初恋ではこの作品史上宮沢りえ演じる「シュウ」と並ぶヒロイン「れい」が主人公として始めて登場する。
演じる後の「真珠夫人」となる横山めぐみは当時、高2の17歳、彼女のデビュー作であるとともに今も「れいちゃん」は彼女の代名詞でもある。
ちなみに純を演じる吉岡秀隆は1歳下の16歳だった。
名作では役者名より役名の方が有名になることが多いが、これは純や蛍等と同じか?役者としては名誉なことと言われる。

この初恋では本来の主人公、田中邦衛演じる五郎さんは脇役である。
「れいちゃん」は近所の農家の中3の娘という設定である。
でも、既に純は数年ここに住んでいるのに彼女に出会うまで、知らなかったというのもおかしいことではあるけど。

素朴な田舎のかわいい女の子であるが、れいちゃんの新鮮さ、清純さ、瑞々しさの破壊力は図抜けている。
単純な純が一目惚れしてイチコロになる訳だ。

放映当時、れいちゃんに心を射貫かれたのは世の野郎どもにもたくさんいたというが、確かにその通りである。
放映した1987年当時、俺は既に2人の子持ちだった。
その俺でさえ「ときめいた」くらいである。
俺が今までにときめいたのは、れいちゃんとガッキーと「どん狐」くらいと思う。

しかし、彼女は素朴ではあるが、とても田舎の少女といった感じではない。
垢抜けている。容姿、服の着こなしは都会的である。趣味は何とジャズダンスである。
田舎にあんな洗練された雰囲気の娘がいる訳がない。だいたいは垢抜けないイモねえちゃんばかりのはず。
これは非常に違和感を感じる。まあ、そこはドラマの世界だから・・まあ、いいか。

彼女に下心を持って接近する純の行動も、知り合ってからの浮かれ具合もバカ丸出しで微笑ましい。
彼女、やたら東京志向が強い。
れいちゃんが「私、東京に行くわ」と言ったら、特に考えずに「俺も・・」・・純の目的はもちろん「れいちゃん」である。。
これはバカの極み。軽率。まあ中3ではこんなものかもしれないが。

挙げ句の果て、純の東京行きは五郎さんの努力で可能となったが、れいちゃん一家は破綻し、夜逃げをしてしまうことで梯子を外される。
結局、れいちゃんと一緒に東京に行くことはできなくなり、一人で行くことになり、後でひどい目に会う。

でも、なぜこんな情けない純をれいちゃんはどうして好きになったのか?
まだ男を見る目がないのか?そこもよく分からない点である。でも中3じゃ、そんなものか?
どこか、純が頼りなくて母性本能を刺激するものがあるのか?

彼女のぼそぼそと話す口調、ショートヘアでボーイッシュなのであるが、返って可憐な女の子に見える。
表情で演技をしており、表情次第で時として別人のようにさえ見えるのは不思議である。
大人っぽくも見えるし、子供にも見える。
そして行動や話す内容、発言には、どこか「天然」の一面がある。その容姿とのギャップがいい。
あの容姿でこの発言と行動!それがたまらない魅力となっている。

彼女はこれがデビュー作、素人ぽさが残るが、それが逆に未完成の魅力になっているのだろう。
その後に登場するヒロイン、宮沢りえ演じる「シュウ」、内田有紀演じる「結」には俺はそれほど魅力を感じなかったが、多分、彼女らは登場時点で女優としてのキャリアを持つ完成品だったからだろう。

終盤の純と富良野の街で出会った時のさみしそうな笑顔、雪の中を二人で歩くシーン、純の頬をそっと白い手袋で触れるシーン、最後の笑顔で手を振りながら雪の中を去って行くシーン、どれも秀逸である。
あれじゃあ、世の当時の若い男どもがメロメロになるのも分かる。
一番衝撃なのはやはりあの「潮騒」のシーンか?
彼女が登場しないプレゼントが置かれた納屋のシーンや泥の付いた1万円札のシーンもまた秀逸である。

結果として、親の経済的破綻による失踪がこの作品における純との別れとなってしまう何とも悲しい終わり方だが・・・。

なお、彼女とは後、続編の89帰郷で純と再会し、92巣立ちで遠距離恋愛し、95秘密で破局を迎える。
95秘密に登場するれいちゃんは大人の都会の女性になっており、87初恋の素朴なれいちゃんの面影は消え、全く別人になっている。
8年間でれいちゃんから「横山めぐみ」に変身してしまっているのだ。

彼女は98時代の放映時はスマスマでキムタクと体感エレベータなどのコントをやっていた。
2002遺言放映時は「真珠夫人」になっていた。
こうまで変わってしまうと「ときめき」は消えてしまった。
完成品になってしまったからか?
確かに体感エレベータは面白く、コントのセンスもなかなかのものと思うが。

なお、倉本聡の未完の構想では、純とれいちゃんは紆余曲折を経て、再会し再婚することになるのだそうである。
初恋の人と最後には結ばれる。それもまたいいシナリオと思う。ドラマとして見たいものだ。