牛伏城(36.4210、138.2498)と荒城(36.4267、138.2528)(上田市常盤城)
2019年11月、上田市北の太郎山に登った。https://ameblo.jp/spxwd1031/entry-12549789687.html
いや、実際は簡単に行ける東端の花小屋城を見るだけのつもりだったのだが、つい欲を出して・・・こういう行き当たりばったりなことをやるとろくなことがない。
ともかく、めでたく標高1165mの太郎山は制服した。

そこであっさり下山すればよかったのだが、下山中「そうだ、途中の尾根にも城があるはず。」ことを思い出した。
そう、この太郎山山塊、山城がたくさんある。
山城が「数珠」のように並ぶので、太郎山連珠城塞群ともいう。
その数、どこまで城と言っていいか所説あるが、20城近くあるという。
標高1000m近い山に城が並び、いずれの城も石垣を持ち、ごつい。
城マニアにとっては最高の御馳走がぶら下がる山塊である。
かく言う管理人もその一人、この山塊の山城に魅せられ、地元の猛者「らんまる殿」の支援を受けてかなりの城を潰した。

いずれもこの地の戦国大名、村上氏が運用していたという。
武田VS村上の砥石城攻防戦でも使われ、最後の登場は天正壬午の乱での上杉VS真田の虚空蔵山城攻防戦である。

そんなことでまだ未征服の城、牛伏城と荒城を狙った。
しかし、致命的なミスを犯した。
携帯を車に置き忘れたのである。もっとも花小屋城を見て帰るはずだったのでなくても問題はなかったのだが。
太郎山に登る道はメインの道なので整備されていて迷うことはない。
しかし、派生する尾根の尾根道って、人も余り通らず、非常に分かりにくい。曖昧な感じなのである。
こういう時はGPS機能と連動させた地図アプリが武器になるのだ。
しかし、そんなものないので勘に頼った。
そして案の定、迷子になった。山の中で自分の位置が把握できないことは恐怖である。
来た道を戻り何とかメインの登山道に合流し、生還を果たした。

しかし、ここからがいけない。「悔しい!おのれ、今に見ていろ!」
復讐心に火が付いた。執念深い!
この執念を仕事に活かせれば良かったのだが、仕事面では淡泊そのもの、困難に直面すると、すぐ諦める。
もっとも、失敗しなのは自分のせいなのであるが、そんなことは棚に上げて・・・。
こういうのを「逆恨み」という。どこかの国の人間と同じだ!

ターゲットは牛伏城と荒城である。
この2つの城、同じ尾根上にあるので1回で行けるのである。
2023年11月、ようやくリベンジが実現した。

今度は上からではなく、麓から。下調べも装備もちゃんと確認して。
秋の山道、これが怖い。
乾燥して積もった落ち葉が滑るのである。雪や氷の上を普通の靴で歩くのと同じである。
落葉の下は岩がゴロゴロ、へたに転ぶと大けがをする。
さらに熊が生息する山である。熊鈴を付け、ラジオをつけ,こっちも緊張で神経が磨り減る。疲れる。

↑ 南西側から見た牛伏城(尾根下側の緑の林)と荒城(上側の緑の林)

登り口は上田城の真北にある標高503mの虚空蔵堂から。
沢を挟んですぐ西には矢島城がある。

山道を登って行くと、標高650mの石切り場D(36.4203、138.2488)に到着、上田城の石垣の石はここから切りだしたという。
もう少し登ってようやく牛伏城に到着、標高は685m、ここはほぼ単郭の城である。

@牛伏城の主郭、地元が整備してくれている。感謝! A主郭北側を覆う土塁

曲輪@は36×25mの広さ、内部は平坦である。
北側に高さ約2m土塁Aがある。
その背後、山側が幅15mの箱堀Bになっている。
土塁上からは約3mの深さである。
堀の中央部に水場Cがあり、どうやら猪の水浴び場になっているようである。

B 主郭背後の箱堀 C 掘の中央部に水場がある。今は猪の水浴び場である。 D牛伏城の下側にある石切場跡。

牛伏城からさらに尾根を登って行くと、荒城である。
標高は900m、牛伏城からは比高にして215mも高い。

ここは尾根式の城である。
牛伏城からの尾根はかなり広く、緩やかである。


@一番下側の掘

A主郭直下の多重堀切

尾根が狭くなった場所に堀切@が2つ続き、2または3重堀Aを経て主郭である。
主郭周囲は石積で補強される。
主郭背後に土壇があり、後ろを3本の堀切で遮断、さらに太郎山方面に登り道が続く。

B主郭南側の切岸は石垣になっている。 C 主郭の土壇、これも石で補強されている。
D主郭背後の堀切は岩盤を掘り切っている。 E末端の堀切から主郭方向を見る。

この2つの城、牛伏城が主城であり、荒城は後方防護及び太郎山方面へのさらなる退避援護用と思われる。
牛伏城も麓近くにある矢島城の詰めの城であろう。
つまり、矢島城は詰めの城、逃避用の城を多重に設けていることになる。
この2つの城、一連の太郎山連珠城砦群の城とはそれほど関連は深くなく、太郎山に矢島城や付近の武家家族や住民を山に逃がすための施設のようにも思える。
(宮坂武男/信濃の山城と館3 を参考。)