興野要害(那須烏山市興野)
那珂川の東岸の山にある。
烏山は那珂川が東を流れ、水堀の役目となり、川の西岸は佐竹氏の侵攻に対して有利であるが、この興野の地は那珂川を要害として使えない不利な点がある。
城のある山には国土地理院地図の標高251mの表示がある。
ここは烏山市役所の北東約3.2q、東下を県道27号線が通り、城はそこからの比高が約150mである。
結構高い。

↑興野大橋西側から見た城址。フラットな山に見えるが、沢が山を浸食し、尾根と谷が複雑に巡っている。
かつ、深い山の中である。
この付近の山は浸食が進み、尾根と谷が複雑に入り組んでいるが、尾根上は道も兼ねているのであろう比較的歩きやすい。
ここに行くには、この山系にある日枝神社へ向かう参道を行き、尾根付近に出たら尾根を北に進めば到達できる。

尾根に出てしまえば多少のアップダウンはあるが、特に難所もなく何とか城址まで行きつくことができる。
しかし、この城、あまり城らしくない。

4つの尾根上のピーク部が城であり、平場が段々になっている。
土塁を持つ場所もある。帯曲輪と思えるものもある。

それが人工物であるのは分かるが、それが城のパーツであるのか、違うのか判断できない。
そして4つのピークを比較的しっかりした曲輪状の鞍部でつなぐのであるが、鞍部付近には堀切もない。
このため、城かどうか確認が持てなかった。

@南東端のピーク上の曲輪 A主郭南側の尾根鞍部、広くフラット。ここも曲輪か。 B西端の尾根から北に派生する尾根にある堀切

しかし、ピーク部から派生して下る尾根に行ってみると、あちこちに堀切があるのである。
都合5か所確認したが、まだ、未確認のものがあるかもしれない。

4つのピークがあるが、主郭は三角点の建つ標高253.6mのピークであろう。
他のピークは主郭を守る場所だろう。

C主郭であるが・・・笹藪! D主郭から北に派生する尾根にある堀切、藪で分からん!

場所的に麓、興野大橋東岸付近にあった興野城の詰めの城と思うが、ここはほとんど居住性はない。
比高150mもあり、安全性は高いが、一時的、短期間の避難しかできず、それほどの人数も収容できそうにもない。
果たして佐竹勢来寇時、ここに避難したことはあったのだろうか?

滝田要害(那須烏山市滝田)36.6702、140.1475
烏山城から北に延びる尾根の北端部近くにある。烏山城(の本郭)からは約800m北に位置する。
標高は153m、東下の滝田本郷からは比高は約50mである。

烏山城の北の出城のような気もするが、烏山城までの尾根筋には城郭遺構はなく、この城自体も遺構が埋没した感じであり、かつ古風な印象である。

今に残る烏山城の遺構と共通するものは感じられなく、時代が違うもののような気がする。
烏山城とは特に関係がない城なのかもしれない。

城は単郭で曲輪Aは南北約60m、東西約20mの広さであるが、内部は微妙に段差がある。
また、帯曲輪があるが、切岸が曖昧でどこまで曲輪なのか判断がつかない。

曲輪の南側は土塁を持つ幅約5mの堀@があり、土橋も確認できる。
北側の堀Bは尾根が下りになる場所にある。
幅約4m、深さは約2mの規模である。

東下、滝田本郷に滝田城があり、その詰めの城の可能性がある。
@南側の堀切、小竹の藪が酷い。 A曲輪内部 B北側の堀切。この先に遺構はない。