上州紀行2

女堀(おんなぼり)群馬県前橋市〜伊勢崎市

名前は聞いたことはあったが、あんなでかいものとは思わなかった。
遠くから見ると土塁のように見える場所もある。高さは3〜4mほどもある。まるで長城である。
でも城郭として利用された記録はないようであるが。

赤堀菖蒲園は女堀の水路が菖蒲園になっている。
女堀とは、群馬県の赤城山南麓にある用水路跡であり、標高95mの等高線に沿う形で、前橋市上泉町から伊勢崎市国定町までの東西12.75qの長さを持つ用水路であり、幅は15 〜 30m、深さは3〜 4mの規模を持つ。
かなり破壊されてはいるが部分的には完全な形で残っているところもある。

女堀という名称であるが、女性が簪で一夜で掘った溝の跡であるとか、女天下の時(推古天皇や北条政子)に掘られた溝の跡であるなどと言われてきた。
しかし、各地に「女堀」が点在していることから、現在では「嫗(おうな)=役に立たない」ことに由来する)という説と、「大溝(おおうてな)」に由来するという説もある。
この女堀、記録はないそうである。

しかし、平安時代末期に造られた未完成の農業用水路跡と推定され、一部が国の史跡に指定されている。
時代が分かったのは1979年(昭和54年)から1983年(昭和58年)にかけて行われたの発掘調査で、女堀の掘削排土の下から1108年(天仁元年)の浅間山噴火のテフラが見つかったことによる。
そのことから、平安時代末期に秀郷流藤原氏の一族によって開削されたという説が有力となっている。

赤堀菖蒲園は水路跡を利用している。 赤堀菖蒲園北端部、水路は西に向きを変える。 前橋市荒子町の遺構は窪地程度に埋まっている。
前橋市二之宮町南側の堤はまるで土塁である。 前橋市二之宮町の水路遺構には水はあるが流れていない。 前橋市二之宮町の遺構の北側の堤
前橋市二之宮町の遺構の堤の一部は櫓台状である。 前橋市荒子町の遺構から二之宮町遺構を見る。
畑部分は破壊され若干窪んだ感じが残る。

工事の主体は秀郷流藤原氏の一族、大胡氏や山上氏と推定される。
取水地は当時利根川の主流であった現在の桃木川とみられ、上泉付近である。
そこから東に水を引き伊勢崎付近に給水しようとしたらしい。
しかし、その間には荒砥川、神沢川、粕川が流れており、それらの河川を越える必要があり、高度な技術の要求される難工事だったと思われる。

結果として通水されたの痕跡がないことが確認されており、未完成であったことになる。
その原因としては、洪水などの自然的原因、渡河方法などの技術的要因、内乱などの政治的要因が指摘されている。

近年では現地の有力な武士であった新田義国等の河内源氏と秀郷流藤原氏の土地支配を巡っての対立関係により、工事が中断されたという説も出されている。
現在ではそのほとんどが埋没したり、水田などに転用されているが、前橋市富田町、二之宮町、飯土井町などに比較的保存のよい部分が残り、国の史跡に指定されている。
伊勢崎市下触町36.3663、139.1928に残る遺構は約600m。
前橋市飯土井町(36.3700、139.1800)の遺構は約200m、前橋市荒子町(36.3718、139.1736)の遺構は約200m、前橋市二之宮町(136.37145、139.1659)の遺構は約600mに及ぶ。

伊勢崎市下触町では女堀が桂川の河道に転用されている。
部分的に水路として使われた場所もある。
しかし、平安時代にこのような大規模な土木工事が行われていたとは驚きである。
(Wikipediaを参考)


田代湖(群馬県嬬恋村田代)
群馬県渋川市から長野県上田市までの間、吾妻川に沿った街道、国道145、144号線は何度も通った。
この道、日本で一番有名な温泉の一つ、草津温泉に行くルートでもある。
草津温泉に行く道は長野原で分岐するので、その先、信州との境、鳥居峠までの道は国道144号線となり嬬恋村を通る。
浅間山北麓の高原野菜の村である。また、有名スケート選手を何人も輩出した村である。
そこに「田代湖」という湖がある。地図では結構大きく描かれている。あと5qくらいで長野県である。
直径は約1qある。

でもその付近、何十回も通っているのだが、行ったことがなかった。
取り立てて有名な観光地だとか、リゾート地だという話も聞かない。知名度も低い。案内板さえない。
ちょっと時間があったので興味本位で立ち寄ってみた。
湖はちゃんと存在していた。湖面の標高は1116mである。高原の湖である。
しかし、周囲には何もない。林と高原野菜の畑や牛舎、放牧地があるだけである。


↑湖の南側、右側は堤防に見えるが、一応「ダム」である。
湖の周囲には何もない。水位はかなり変動する。撮影時は水が少ない時だった。右の山は浅間山。

人もいないし、湖には近づけないように有刺鉄線が張られている。
森に囲まれた人気のない湖って、けっこう不気味である。夜になんか来たくない。
看板があって知ったのだが、この湖、発電用の人工湖だったのだ。てっきり天然ものかと思っていた。
くぼ地の南側をせき止め、湖にしているのだ。そのせき止めるダム、鹿沢ダムというのだそうだ。
高さ18.2mのアースダムで、東京電力リニューアブルパワーの発電用ダムで同社の水力発電所・鹿沢発電所に送水し、最大5,200キロワットの電力を発生させているそうである。
土木学会の「日本の近代土木遺産〜現存する重要な土木構造物2800選」のひとつだそうである。

結構古いダムで、大正14年(1925)に工事に着手し、翌年、大正15年・昭和元年に完成したという。
ダムと言うより、長堤と言った感じである。
湖側はコンクリートの遮水壁があるが、外側は土でカバーしているので山の斜面にしか見えない。
長さは981.8mもある。一見、ダムにも堤防にも見えない。
自然地形のくぼ地に水が溜まった自然の湖のように見える。
このような特異性が「日本の近代土木遺産〜現存する重要な土木構造物2800選」に選ばれてた理由だそうである。

湖には近づけない。発電の取水のため、水位の変動が激しいためとのことである。
地図で見るより小さく感じたが、水が少ない時に行ったためのようだ。

湖ではワカサギが多く生息しており、採卵事業を行っている。
採取されたワカサギの卵は全国各地のワカサギ釣りのスポットや漁業協同組合に流通され、養殖されている。
(Wikipediaを参考)

八ッ場ダム2024
2024年5月、国道145号線を通って長野に向かった。この道は群馬県渋川から吾妻川を遡り、名湯草津温泉に行く道である。
信号機も少なく、クネクネしているけど、比較的走りやすい道路だ。
難点は軽トラの爺さんのノロノロ運転だけど・・これはどこに行っても同じか!

その途中、久しぶりに八ッ場ダムに立ち寄った。
もっともダムに立ち寄った訳ではなく、道の駅八ッ場ふるさと館に立ち寄り、ダム湖を見たのだけど。ダム湖は実に綺麗だった。
2020年から営業運転を始めたそうだが、その前年の試験貯水が台風の大雨による利根川の増水を防止するのに効果があったとか、なかったとか、話題になった。
このダム建設を巡っては昭和60年くらいからゴタゴタが続いていたそうである。

八ッ場ダムの名前を一躍全国区にしたのは、民主党政権時の事業仕分けとやらによる工事中止という件だろう。
賛否両論があったこの工事だったが、これは「嫌がらせ」「復讐」に映った。
まあ、首相が鳩ぽっぽじゃ、事故みたいなものか?
もちろん、かなりのリベートが裏で行きかい、天下りによる公金チュウチュウもあったのだろう。

↑ダム湖下流方向、この先にダムがあるのだが。
一番、困ったのはここを地盤にするドリル優子さんだったかも?
だいたい、工事を中止したら金利負担等で返って金が必要となり、事業仕分けの目的に逆行すると思うのだが・・そこは怨念優先ってことだったのか?
ともかく、民主党政権が倒れ、工事が再開され、ドリルさんにもめでたく?お金が入るようになったようだが・・・・。

↑ダム湖上流側、右手に長野原の街がある。中央右の丸い山は「丸岩」。
そのダム湖、そんなドロドロは置いておいて、綺麗だった。
湖面の標高は535mだそうな。
長さは約5q、幅は約700mくらいか。

渓谷沿いに走っていた大雨で交通止めになる国道も吾妻線も、しなびた川原湯温泉街も全て水の底、過去のドロドロも人間の欲望も深い水の底。
対岸には吾妻線の新駅と新川原湯温泉街ができている。

↑丸岩拡大、この岩山の上が城なのである。

目を西に向けると「タコ坊主」、「丸岩」が。
あの上に城がある。yaminabe36.tuzigiri.com/gunma2013/naganohara.htm
並みのセンスじゃない。築城者が「真田昌幸」さんじゃあ・・納得できる?