細田西砦(常陸太田市上深萩町)36.6645、140.5183
里川の谷が一番狭くなる深荻にある。有形文化財賀美発電所の南側の標高227.3m、里川からの比高約90mの山にある。
城と言っても物見台程度のものである。
ここは広葉樹の山なので冬場はスッキリして良く見ることができる。
しかし、落ち葉で滑ること!
東を流れる里川に面した尾根を上がって行けば城址であるが、この山の東側、北側は崩落しており崖状になっている。

そこを登る細尾根@が急であり怖い。
場所によっては這って登る。
何とか登ると、比較的平坦で広い緩斜面VAに出る。
ここの標高は180〜195mである。
井戸のような窪んだ場所もある。(倒木跡かも?)
ここが城域かどうか分からないが兵の駐屯場所のように見える。
そこから西の尾根を登ったピーク部が本郭TBである。
その間に堀切はない。
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| 南東側里川東岸から見た城址(広葉樹の山) | @賀美発電所から登る細尾根、両側が崖状、おっかねえ。 | A細尾根を登り切ると緩やかな斜面となる。 |
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| Bここが先端の曲輪T、物見の場であろう。 | CB背後の堀切 | D曲輪U背後、西側の二重?堀切。ここが城域末端である。 |
本郭の東端は直径約7mの平場があるが、周囲はだらだらしている。
その約15m西側に深さ約1.5m、幅約4mの堀切Cがあり、さらに西側に長さ約20mの曲輪U、その西に幅約5m、深さ約0.5mの堀切Dがある。
そこは二重堀切のようにも見えるが微妙。
西側の1本は北から合流する道のようである。
この堀切の西側は尾根が高度を上げながら続いて行く。
前述したようにここは物見台だろう。
南東約700m、里川の対岸に十殿坂館がある。
その向館として里川と並行して通る棚倉街道を抑えていたのかもしれない。
十殿坂館の下で山入の乱で佐竹氏が弱体化した隙を狙い、奥州の諸大名の連合軍が常陸国に侵攻して佐竹氏の軍勢とぶつかった「深荻の戦い」が文明17年(1485)に展開され、麓では鎧らしい鉄製品が出土しているという。
立地からこの城はその戦いに関係している可能性があろう。
佐竹氏の支配が確立した戦国後期には使われなかったであろう。
大菅石尊砦(常陸太田市大菅町)36.6958、140.5155
細田西砦から北に約1.2q、里川西岸の大菅集落の西の山際に常陸太田市の天然記念物、小菅家のヤマ桜がある。
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そこに向かう道をさらに西に逸れ、そのまま約250m進んでいくと谷合に石尊社の鳥居Cがある。 鳥居をくぐり北の山に延びる参道を行くと、緩やかで広い斜面Dに出る。 さらに登ると尾根上に出る。 鳥居からの比高は約35mである。 尾根直下は這って登るくらいの急勾配である。
城の名前はこの石尊社に敬意を払う意味で付けた。 |
石祠のある曲輪@はバナナ形をしており、全長約50m、幅は約6m、標高は242〜244mである。
内部は平坦である。
北側に数段の小曲輪がある。
東は細尾根が延びる。
ここまででは城館とは思えない。
田舎の山の山の神を祀った場所にしか見えない。
城郭遺構はこの曲輪の西側にあり、約2m低い鞍部を経て、西側に鞍部から6mほど高くピークAがある。
そこが城内最高箇所であり、標高は248mである。
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| @ 石尊社が立つ曲輪Uはバナナ形をしている。 | A主郭Tのピーク。頂上は径2mほどに過ぎない。 | B主郭の西下にある唯一明瞭な城郭遺構の堀切 |
その西下に曲輪があり、さらに幅7m、深さ約2.5mの堀切Bがある。
これが唯一明瞭な城郭遺構であり、ここで城ということが分かる。
その西は尾根が高度を少し上げながら続くだけである。
歴史等は全く分からず、伝承もない。
この城のある山は南北に谷津があり、さらに山がある。
里川沿いからは山に隠れて見えないような場所にある。
もちろん、城からは里川の谷の一部しか見えない。
このため、山の写真も撮れない。
物見や狼煙台の砦でもなさそうである。
可能性としては城の西側に東金砂山あり、そこの通じる道を抑える目的だった可能性も想定されよう。
大中西館(常陸太田市大中町)36.7350、140.4857
城のネーミングは里美の谷の東側に「大中館」があるので、それに対して谷の西側にあるので大中西館とした。
しかし、i「館」としたが、でもここが城なのか、どうも今一つ納得できない。もしかしたら違うかもしれない。
いわゆる詐欺物件の可能性もなきにしもあらず。まあ、ともかく、城館ということで記事を作っていく。
管理人の中では城館率は80%くらいか?
常陸太田市北部、福島県矢祭町と境を接する旧里美村の中心部、大中にある常陸太田市役所里美支所、大中神社から北西にある鍋足山方面にハイキングコースが延びる。
そのハイキングコースがこの山の南下部を通る。
城のある尾根を西に行くと大中防空監視哨である。
↑ 里美の谷東側見た大中西館(中央部の山)右の高い山は鍋足山
最高箇所の標高は295m、里川からの比高は約85mである。
城と思われる部分は東端部約100m、幅20〜30mにわたる段々状の部分である。
高度差としては約13mである。(東端の裾野部は墓地になっている。)
この段々の場所、場所によっては約2mのはっきりした切岸となっている場所もあるが、風化が進んでいるのか、かなり切岸は緩やかになっており段差も不明瞭な部分もある。
しかし、自然地形ではなく、人工適な地形であることは間違いない。

神社があったという話もある。
あるとすれば最高箇所495mの場所@であるが、そこは平場になっているが、どうも社があった感じはない。
参道と思われる道跡も見当たらない。
神社があったとすれば、・・もしあったとすれば小さな木造の小殿か?
しかし、麓に大中神社があるのに?ここに置く必要があるのかどうか?
| @最高箇所、本郭としたらここだが・・神社の形跡はない。 | A東側に向けて舌状に曲輪?がせり出すが切岸が緩い。 | B末端部になると曲輪?や切岸が明瞭になる。 |
城とすれば最高箇所西側に定番の堀切があるはずだが、・・・「ない」。
もっとも最高箇所西側の尾根は約2mの幅しかなく、尾根の勾配も考慮すれば細尾根に堀切が不要ということもあり得る。
それとも最高箇所の西約100mに位置する大中防空監視哨の建設で破壊されたか?
もし、ここが城だったら防空監視哨の場所もピーク部であるので、そこも曲輪の1つだろう。
ここに曲輪を置けば、尾根続きの西側からの防御はでき、東側の最高箇所付近の安全性は高いと思われる。
結局、ここは城館の可能性は高いものの、決め手に欠けるというのが今の所の結論である。
もし、城だったら何時頃のものか、分からない。
しかし、古そうで簡素なものである。
城とすれば尾根に段々状の平坦地があるだけであり、山入の乱初期の頃、1400年前半頃の軍勢の宿営地程度のものだろう。