松尾古城(長野県上田市真田)

  この城はとんでもない痩尾根上に築かれている小さな規模のものである。
 しかし、管理人が今まで見た数百の城の中で最高と言える城である。

 この城へは脱水症になりそうだったので2度と登る気はしない。
 でも、何度でも訪れてみたい魅力がある。

 城址には麓の日向畑遺跡の横道を一度西に行ってから尾根筋に出て、尾根を登る。

尾根は石や岩がゴロゴロしており尾根の両斜面は急である。
 途中、尾根道を塞ぐ大きな岩があり、そこを迂回する。

岩場の上や途中にある杜の周辺はやや平坦であり曲輪であったと思われる。

 麓から100mほど登ると尾根を遮断するように若干崩れてはいるが、幅10m、高さ1〜1.5mの石塁@が出現する。

 中央部が虎口と思われる。その上は15×10mほどの小曲輪となっている。
さらにその上に15×5mほどの小曲輪があり、そこからしばらく登ると一部は崩れているが、最高で高さ3m、幅3mの立派な石垣Aが見られる。
 特に南側の部分が立派であり、かつては石塁状に囲われていたのかもしれない。

この石垣の上は幅3mほどの狭い曲輪Bとなっている。
 この少し上部の南に30×10m程度のこの城最大の平坦地CDがあるが、なぜか「馬場」と呼ばれている。

 といっても馬がここまで来られる訳はないが、ここには石垣の残骸と思われる石が転がっており、周囲は石垣で補強されていたものと思われる。

 古図によると登城口は尾根筋の他に南の斜面をジグザグに登るルートもあり、この場所に至ると思われる。

 ここから上に登ると途中、いくつか小さな曲輪が見られ、目を上に転ずると、尾根の上に石の砦Eが出現する。
これが本郭である。

 木々の間から突然現れる石垣Fは素晴らしい光景であり、ここまで登るのに息が絶え絶え状態であるが、この光景を見ただけで疲れが吹き飛ぶ。
 本郭の標高は1034mあり、麓が822mであるから比高は200mを越える。
 本郭は西が狭く虎口になった三角形上であり、周囲は高さ1m程度の石塁GHで覆われている。
かつてはより高かった可能性もある。


東側は石垣が段々状になっており、郭内からは2.5m程度の高さがある。
本郭の東側は大きな堀切りがあり、堀はそのまま竪堀となって斜面を下る。

 一度低くなった尾根をさらに東に行くとまた登りとなり、本郭から160m登ると遠見番所という物見台に至る。
 ここも石塁で覆われているとのことである。
真田本城から見た松尾古城 尾根の途中にある社。この場所も曲輪の1つ @1番下の石垣。
A3番目の曲輪の石垣。 B3番目の石垣の上の曲輪 C 馬場と言われる本城最大の曲輪
D馬場を上の曲輪より見る。 E突然木々の間から顔を出す本郭の石垣。 本郭から見た遠見番所方面。後ろに大堀切
F本郭虎口付近の石垣 G本郭内部。北側の石塁。高さ1m程度。 H本郭東側の石垣。

 この城は古城と呼ばれているが、決して古いタイプの城郭ではない。
 石垣を多用していることから、この地域では最新の部類に入る。
 石垣の石は山自体が侵食により岩盤がむき出たような山であるため、全く調達に問題はない。

 この城に居住性はほとんどない。
はじめは麓にあったという真田氏初期の居館の詰めの城として造られたものと思われる。

その後、真田氏が真田の谷の南に本拠を移すと真田の谷の北端に位置する城であるため
谷の北を守る城としてそして下を通る街道を監視する城として使われたのであろう。
この街道は本領と上州の領地を結ぶ重要路であり、石垣を多用したことからも重要な城との認識があったものと思われる。

ここに籠れる兵は精々50名が最高だろう。
この人数では攻撃は無理だが、ここに籠城して短期間戦うことは可能だろう。
城方は上から石をぶつければ敵を撃退できるだろう。


それならここに兵を置いて包囲したまま、先に進軍する方法もあるだろうが、地理を知った城兵に夜襲をかけられたら大損害を受けるだろう。
敵の進軍を妨げる役目ならこの上ない価値を発揮するだろう。
もちろん、敢闘力と統率力に優れた城主の指揮下でないと無理だろうけど。