城山(青木村大字奈良本)
長野県内の城郭については、宮坂武夫氏によって調査され、8分冊にも及ぶ大書「信濃の山城と館」が刊行されている。
ほとんどの城郭はこの本に詳細に記述されるが、それでも抜けている城郭もある。この城もその一つである。
「青木村史」には記述があるそうである。

↑南東側、龍仙院から見た城址(ピラミッド型の山の手前の山)

ネットでは「らんまる殿」が始めてその城を紹介した。
そして「らんまる殿」の案内で訪れることができた。

しかし、この城の名前・・・「城山」というのはどうも・・・。おそらく地元では昔からそう呼んでいたのであろう。
城に名前などなかったということを表している証拠でもある。

でも、当HPを運営しているものにとっては困る。名前がなければ、ほとんどの城が「城山城」「館山城」「要害城」になっちゃうのである。
これじゃ、大混乱に陥る。せめて識別するための便宜上の名称は欲しいものである。
例えば、ここなどは地名を取って「奈良本砦」とか。

青木村を通る国道143号線から村中心部で南の沓掛温泉方面に県道12号線が分岐する。県道沿いに約2.5q南下すると下奈良本地区になる。
ここに西から滝川が流れ込み沓掛川に合流する。

この滝川を遡ると滝川ダムがあるが、途中で北の山に入る林道がある。
例によってグチャグチャの凄まじい道である。
「Jニー」でも苦戦は免れない。

しかし、城のある上の方は道は傷んでいない。
麓の方は大雨時に道路が沢になり路面が抉れてしまうようだ。

この林道の途中に国土地理院の地図にも載っている917mのピークがある。
滝川ダムの北東約450m、位置は36.3591、138.0986の場所である。
城址一帯は広葉樹の林、11月ともなると落葉していて非常に見通しが良い。
ちなみに城址付近は「まつたけ」山でもある。
至る所に立ち入り禁止の看板があり、ロープが張られている。
おそらく熊もいるはず。

@北の尾根筋にある竪堀。何故か東のみに下る。 A主郭北側の2重堀切。 B主郭南下の堀切。

肝心の城であるが、径約80mの小規模なもの。
単郭で尾根上部側の背後に土壇があり、曲輪の前後に堀切を置くという標準仕様のものである。

主郭Cは長さ24m、北側をU字型に高さ1.5mの土塁が覆い、背後に深さ約7mの2重堀切A、主郭南側も深さ約7mの堀切B、堀切は竪堀となって斜面を下る。
また主郭西下には腰曲輪Dがある。
主郭周囲には石が多く、石垣で土留めされていたようである。

C主郭内部、北側にU字形に土塁が覆う。 D本郭西下に腰曲輪が2段に渡ってある。

主郭内には南の堀切Bから、西下の腰曲輪Dに入り、登るルートであったと思われる。
現状、木が多くて眺望は悪いが、麓の龍仙院が居館の地と思われ、その詰めの城であった可能性があろう。

龍仙院館(青木村大字奈良本)36.3556、138.1105 642m
城山の東約1q、麓に曹洞宗龍仙院という寺院がある。
この寺の標高は642m、沓掛川からは比高約40mの段丘東縁にある。

この寺は元々は別の場所にあったが、天文年間の上田原合戦で焼失し、梵鐘は小笠原軍に持ち去られてしまったという。
現在の寺は慶長3年(1598)、真田氏重臣、池田出雲守定信の館に再建されたものという。
西側には堀切が残る。
おそらく、池田氏以前はここはこの地の土豪の館だったと思われ、その者が城山を詰めの城として整備したのではないかと思われる。