青木要害(大田原市両郷)
この城、横堀が尾根にそって何本も走るなど、なかなか技巧的で面白い。
しかし、欠陥の城としか思えない。
山城は山の最高箇所に本郭をおいて、その周囲に曲輪を展開させるか、尾根末端部に本郭を置く場合には、尾根筋に何本もの堀切を構築して、尾根伝いの攻撃を防ぐ形式を取るのがセオリー。

この城、タイプとしては後者に近いが、尾根筋には大きな堀切Dが1本だけである。
右の写真は東側から見た城址である。中央の森のある山である。左の山が尾根続きでこちらの方が高い。

その尾根最高箇所には岩場Gがあるのだが、そこ付近には特段なにもない。
普通ならこの岩場に通じる尾根筋は3本あるのだが、城に通じる尾根以外の2本の尾根に何本もの堀切を入れるのが常識と思う。
しかし、そんなものは全くない。
この最高箇所の岩場は若干、防衛の役には立ちそうであるが、ここを占領され、背後の堀切付近までは簡単に侵攻可能である。
攻撃側からすれば、この岩場Gを占領すれば、城を落したも同然なのである。
この堀切D付近から弓矢で攻撃されたら、ターゲットはすべて低い位置にあり、やられ放題、まして、火矢での攻撃を受けたらどうにもならない。

しかし、どういう訳か遺構だけは文句なく素晴らしい。
メリハリが効いているのである。

城の本郭、ここがどこか分からない。
山頂側の一番高い場所、普通はここが本郭と思えるが、内部はだらだらしており、背後を守るための曲輪のようである。
どうも龍念寺裏手に位置する細長い曲輪Wこそが本郭のように思えるのであるが。

その青木要害、黒羽市街から県道27号を伊王野方面に約7km北上。
すると両郷中学校がある。中学の西500m、松葉川の対岸に龍念寺という寺がある。
この寺の裏、北の山が城址である。
城には寺の住職さんの住まいの裏手から道が延びるので、断りを入れて登れば行ける。
その道は重機が入る道のようであり、伐採した木を搬出する道のようである。
山の北側にも同様の道路があり、その道からも行けるようである。
城は寺北側の標高280mのピークから東の尾根に展開する。
なお、東の松葉川付近の標高は220mであるので比高は60mほどである。
城はT字型をしており、岩場から東に下る尾根にT、U、Vの3つの曲輪、さらに曲輪Uから南東に分岐する尾根に曲輪Wを配置する。
一番高い位置にあるのが曲輪TEである。30m×15mの曲輪であり、岩場からは高さで10mほど低い。

岩場側に深さ6mほどの堀切Dがあり、堀は横堀となり曲輪T、U、Vの北側と曲輪Tの南側Fを覆う。
先に述べたが内部Eの削平は甘く、ただの地山の状態である。
堀を介して、1段低い場所にある曲輪Uは20m四方ほどの曲輪であるが、段々状の曲輪の集合に過ぎない。
その東が曲輪VBであるが、ここは40m×20mほどの広さの曲輪であるが、やはり内部の削平は甘い。
曲輪Tから曲輪Vの末端までは高度差として15mほどはあると思われる。
一方、曲輪Uの南東に深さ6mほどの堀切@があり、曲輪Wが展開する。
60m×20mほどの広さで、曲輪U側の堀切に面して土塁があり、さらに堀がある。
この曲輪の東側は5m下に横堀Aがあり、西側は5m下に帯曲輪がある。
内部は比較的平坦である。やはり、この曲輪Wがしっかり造られている点では本郭のような気がする。
曲輪TからVは曲輪W防衛用のものではないかと思う。

@曲輪U(右)とW間の堀切 A曲輪W北側を覆う横堀 B曲輪V内部は平坦化されていない。
C曲輪U(左)V間の堀。通路か? D 曲輪T(右)西端の堀切 E曲輪T内部。平坦化されていない。
F曲輪T南の横堀 G尾根ピークの岩場。防衛上、重要地点であるが、
周囲に堀切等はない。
南の麓にある龍念寺。ここは居館跡か?

城主は、この地の領主青木氏という。多分、居館は龍念寺の地ではなかったかと思う。
佐竹義昭が那須領に侵攻し、小滝城(大田原市)攻撃し、落した時、青木要害の兵は逃亡して城は、自落してしまったという。
その時の城主は青木三河守というが、地元の土豪とは思うが、大関氏の家臣であったかどうかは不明である。
城の構造も理解できないが、城主、城兵の行動もまた理解できない訳の分からん城である。・・遺構は素晴らしいのだが・・。
なお、この城も余湖さんの縄張図で見逃すことなく遺構を堪能できた。感謝!
参考:那須の戦国時代、栃木県の中世城館跡、余湖くんのホームページ