大海砦?(那須烏山市小木須)
小木須の大海地区にある。ここは茂木町との境付近にある小木須川が流れる谷間である。
周囲は山また山、超田舎である。

しかし、あちこちから道が延びけっこう道が複雑に交差する。
おそらく、戦国時代は重要な場所だったようである。
この大海地区の南約1qの山に四斗蒔砦が2024年3月に確認された。
その後、北の大海地区の西側の山に城郭遺構らしいものがあるという情報がもたらされた。
直ぐに確認に行きたかったのだが、なかなか行くことができず、そのうち夏に近くなった。

↑ 東側から木須川越しに見た城址?のある山
2024年6月16日、ようやく確認に行った。・・でも、行くべきではなかったかも?
城らしきものがある山、ここの谷の東側にある宝蔵寺の西側の山である。

前日は雨、この日は一転して快晴、気温は30℃近くまで上がった。
そんな時に藪の山に突撃するなんて気違い沙汰である。
でも、突撃しちゃうのである。
これで城が見つかれば、モトが取れる。
ところが世の中、そう都合よくはいかない。

山の中は凄い湿気と蒸暑さ、もちろん長袖着用、汗が噴き出て、足にGパンが張り付き不快そのもの。
で、肝心の城、あったのか?
結論から言えば「分からん」。

尾根上には所々にピークがあり、堀切と思われるものもある。
堀切は幅約8m、深さ約2m、切通しではないようだ。
帯曲輪のような場所もある。でもほとんど自然の山である。

確かにピーク部は物見の場には使えないことはないが、整地されていない。
自然の山状態である・・で、物見の城なら何を見るのか、ここからは東下の谷間は良く見える。
しかし、谷の先が山が邪魔になって見えにくいのだ。
狼煙を上げるにもピークや尾根上のスペースが小さい。
竪堀もどきはあるが、あれは浸食や崩落による自然地形だろう。

@南に延びる尾根にある堀切?もどき? Aこれは本物の堀切と思うが・緑が盛んで、よく分からない。 B東端のピーク、不整地、ただの山じゃねえ?

俺は城かどうかは保留にして下山した。
全身、汗まみれで不快そのもの。
もし、城だったら北の那須氏が使ったものか?それても南の茂木氏が使ったものか?

ちなみに麓の山の持ち主のじいちゃんに聞いたが、城との伝承は聞いたことはないとのこと。
どなかか、好き者の人、いましたら冬場に行ってみて下さい。
標高は200mくらいで比高は約70m、それほど大変な山ではない。
誰も行かんだろうなあ。

大沢天ヶ沢砦(那須烏山市大沢)36.6678、140.2222
T氏が2024年2月に発見した城である・・・が、小さい!でも本物である。
茨城県境、常陸大宮市鷲子から那須烏山市方面に県道29号線を約750m西に下った場所、県道の南、大沢川を渡った対岸の山にある。
県道からは比高は約45mに過ぎない。
ほぼ県道に隣接していると言ってよい。
この街道筋を見張る砦であろう。

↑ 北側を通る県道29号線から見た城址
城は小規模なものであり、249mの山頂部の主郭@は10m×5mの大きさに過ぎず、見張りの場と思われる。
主郭の北西側斜面部に3段ほどの腰曲輪、帯曲輪Bを展開させる。
その間を縫うように登城路がジグザグにつけられ、上側の曲輪から攻撃できるようになっている。

主郭の背後南東側に11m×5mの曲輪があり、その南側を深さ約3m、幅約6mの堀切Aで仕切られる。
この先は南側に尾根が延びる。
城域は直径50m程度であろう。

この城であるが、西側に字名ともなった天ヶ沢が流れ、水堀的な役目を果たす。
このことは西側、すなわち烏山方面を意識していることが感じられる。
また、主郭の位置も烏山方面を見ているような感じであり、常陸方面の視界がよくない。

このため、この城は常陸側、佐竹氏に属する城と思われる。
高沢城などの出城であり、烏山方面を監視する城であろう。

この城がなければ、高沢城、高沢向館が佐竹側の最前線の城となるが、両城からは烏山の那須氏の軍勢の動きはつかめない。
いきなり奇襲を受けてしまうリスクがある。
そのリスクを回避、低減するための早期監視用の施設と捉えるのが妥当であろう。
@ここが主郭であるが、狭いものである。 A主郭背後、尾根を遮断する南側にある堀切。 B斜面に展開する腰曲輪