湯草物見台(常陸太田市上高倉町)36.7380、140.4548
竜神狭の入り口付近からほぼ真っすぐな谷が北に続く。
西側は崖を持つ山が連なり、崖面の高さは200〜300mある。
これが棚倉断層または棚倉破砕帯である。
山田川の谷は西縁断層と言うのだそうである。
この崖上にある城としては竜神大釣橋の対岸にある武生城が知られているが、それ以外には城は知られていない。

ところが、竜神狭入り口部から北にある上高倉の湯草地区で西側の崖上の山に城があるとの伝承があるとの情報が得られた。
当然、麓から行けるのであろうが、この付近一帯は断層崖が立ちはだかる。
一度、チャレンジしたのだがまるでロッククライミングである。
とてもではないが危険で撤退した。

とは言え、上高倉から西の持方や安寺方面に通じる道もあるので行けないことはないはずである。
上高倉の湯草付近から山に登れるという情報があったのでこのルートを行ってみる。

湯草公民館から一段上の花園神社に行き、そこから登るルートである。
しかし、満足な道はない。
斜面をよじ登る。
何とか尾根に出るが、細尾根Aで両側は崖、ようやく、平坦地@に出るが15m×4mほどの広さしかない。
北側に2段ほどの平場があるだけ。
ここの標高は309m、谷からの比高は約90mである。

@崖に囲まれた平場、ここが物見の場だろう。 A @の北側麓からの登りルートは細尾根、両側は崖。 B @の西側も細尾根、歩くのが恐ろしい。

この平坦地から西の山に行くには再度、両側が崖となる岩だらけの細尾根Bを通過しなくてはならない。
恐ろしいことこの上ない。

この地形、武生城とそっくりである。
さしずめミニ武生城である。
前後の細尾根A、Bの存在があれば防御は十分である。
この場、物見としてそのまま使うことが可能である。
一応、ここを湯草物見台とする。

C細尾根を通過すると土塁が北側にある尾根となる。 D Cの先は土塁の上を行く感じとなる。
E Dの先に石で囲んだ方形の平場がある。 F Eの南側は比較的フラットな場所がある。

西の細尾根を通過すると比較的緩やかな尾根が続く。
北側に土塁Cのようなものがあり、この尾根が道であったことが分かる。

やがてフラットな土塁または土橋状の場所Dがあり、約4m四方の方形の場所Eがある。
周囲は石で補強されている。
その南側は緩い斜面Fになる。
この崖の上にこのような場所があるのはピンとこない。

方形の場所であるが、物見台ではないだろう。周囲を見ても城郭遺構とは思えない。
修験の祭祀に関わるものではないかと思われる。
岩がないので「磐座」とは言えないかもしれないが、それに近いものであろう。

西に登って行く尾根は広くて歩きやすい。 尾根の周囲は崖になっている場所が多い。

さらに山は西の山に続く。
斜面は崖が多いが、尾根上は比較的歩きやすい。
尾根上がこの山系の通路になっている感じである。

この山系の北の谷には湯草から西の安寺の北側に通じる古道が通っている。
大子と太田を結ぶ中世の街道は現在の国道461号線とは違う場所を通っていたという。
谷沢要害の西下を通り、その先が今一つ不明であるが、安寺方向に向かい、途中でこの古道を湯草に下りたのではないかと思われる。

そのような重要な道を抑える城が湯草物見台とすれば納得が行く。
なお、東下にある花園神社は修験に関わる神社である。
西の山中にも修験に関わる遺構が存在するので修験者が係わっていたことが想定できる。
付近の武生神社や男体山も修験に関わるといわれているので、修験者がここで活動していても不思議ではない。

その常時の居館が古道の湯草に出る場所にある。
湯草公民館の地ではなかっただろうか?

東下の公民館の地は分教場の跡、その昔は高倉院があった。
おそらく修験の寺院だろう。裏を西から下る古道が通る。
公民館の上の段には花園神社がある。
花園神社は修験に係わる神社である。

ここの標高は232m、谷筋より12m高い場所である。
かつてここには高倉小学校上高倉分校(分教場)があったという。
明治11年(1878)に開校し昭和40年(1965)に廃校になった。

その当時の建物が現在公民館としてそのまま使われている。
60年以上前の建物である。
それ以前には「高倉院」という寺院があったという。
廃止された居館跡に寺院を置くことはよくあることである。
(高倉院自体が修験に関わる寺院であろう)

夜城(常陸太田市天下野町)
多分、「やじょう」と読むと思う。
この名前を知ったのは昔の絵図に名前が記載されていたことによる。

でも、「夜城」という地名だからと言って、城だという根拠はない。
本当は全然関係ないのかもしれない。

しかし、城にしては変わった名前である。
まるで飲み屋街にある飲み屋の店の名前のような?どこか怪しい雰囲気、いかがわしい雰囲気プンプン。
でも、そこは深い山の中、飲み屋がある訳ない。

↑ 南側から見た夜城推定地(一番左のピーク)
しかし、どんな場所なのか?行ってみたくなる。
名前に魅かれた訳である。怪しい響きである。
だが、これ、非常にヤバイことである。
名前が魅力的でも実際にそうとは限らない。
魅力的な女性の名前の人が美人とは限らない。
実際に会ったらずっこけることなどざらだ。
むしろ、美人が意外と平凡な名前の場合が多い・・・おとっとっと、脱線。

実は数年前にここにチャレンジしたのだが、山を間違えてしまった。当然、空振り三振だった。

再度、絵図と地図を照合し、場所を精査すると、その場所はバンジージャンプで有名になった常陸太田市の竜神狭にかかる吊橋、竜神大吊橋の西側の山であることが分かった。
その場所の位置座標は36.6788、140.4620である。
標高は370m。竜神大吊橋が標高250mなので120mほど登ることになる。

↑ 赤岩展望台から見下ろした竜神大吊橋と竜神ダム。釣橋からは約120mの高さがある。
どうやらそこまで歩ける道があるようである。
しかし、地図を見ると勾配がきつそう。
下りならいいが、登りは・・・つまり疲れそう。疲れることは嫌いだ。
こういう時、どこでもドア、瞬間物質移動装置があれば・・・。
竹コプターでもいい。いや、ダメだ。俺、高所恐怖症だった。
そのうち人が乗れるドローンも実用化されるだろうが、やっぱり高所恐怖症じゃ無理だ。
それに山の中じゃ降りれる場所がない。結局、徒歩以外にない。

地図を眺めていたら、西に集落があり、道が延びているのでそこまで車で行けそうである。
でもそこは山間僻地のさらに僻地である。
手強そう。乗用車じゃきつそう。

そこで我が日本最強の4WDの登場である。何てことはない。軽トラだけど。こいつならだいたいの所は行ける。
曲がりくねった細い道を走り、背後の標高350mの赤岩集落に到達。
ここからなら歩いて多少のアップダウンで行けそうである。

ところでこの赤岩集落、ここが凄い!「ポツンと一軒家」の世界である。
10軒くらいの家があるが、ほとんどは廃屋、それでも2軒ほどは住人がいる。

↑ 赤岩集落の北端、ここまで車で来れる。家はあるがほとんど空き家。
今は車があれば何とかなるが、それでも麓まで下るのは大変である。
麓の天下野(けがの)地区の標高が90mなので、高度差約260mを下る必要がある。
ド田舎の定評が高い天下野地区であるが、ここ赤岩から見れば大都会である。
車のなかった戦前などいったいどんな暮らしをしていたのだろう。

その赤岩から山道を東に向かうと夜城推定地である。
その場所、西から張り出す尾根の先端部が盛り上がった場所である。

尾根部標高357m付近は土橋@のようになっており、両側は竪堀のような感じである。
盛り上がり部の標高は370m、頂上部Aは長さ約15m、幅約4mの細長い平坦地で土饅頭のような塚が3つ並んでいる。
これは何だ?
頂上部からは残念ながら木があって視界が効かない。
多分、ここが城なら主郭ということになる。
そこから北に下ると赤岩展望台Bがある。

@夜城推定地のピーク西側は土橋状になっている。 A主郭と推定されるピーク平坦地。土饅頭が3つある。 B北端部にある展望台

ここからの眺望は抜群。眼下に竜神ダムと竜神湖、竜神大吊橋が見え、その対岸に武生(たきゅう)城が見える。
武生城までは直線で北約1.4qの距離にあり、狼煙や鐘で連絡が取れそうである。
目を東に向けると東金砂山が見える。
竜神大吊橋を見下ろすロケーションは武生城とここだけと言う。

↑赤岩展望台から見た武生城と竜神大吊橋
結局、ここが城なのかどうか判断できない。人工的な部分もあるが、ほぼ自然地形に近い感じである。
しかし、この地形自体、城のような感じではある。

もし、ここが城としたら、その目的、役目はなんだろう?
南北朝期の瓜連合戦では、佐竹氏は武生城と金砂山城に立て籠もったというが、両城の山中連絡路がこの付近を通っていたと思われる。
中継所がここだった可能性がある。
それとともに武生城の死角をカバーする物見でもあったかもしれない。
夜、篝火を焚けば武生城からも見えそうである。
それで「夜城」と呼んだのかもしれない。

南北朝の頃の城ならほとんど遺構は期待できない。
金砂山城も武生城も遺構はほとんどない。
自然地形に防御を頼る城である。
夜城も城であったとしても似たようなものであろう。
ここが城とすれば、赤岩集落の者が管理していたのだろう。

なお、赤岩集落の北に国土地理院の地図にも標高表示がある標高412mの山がある。
この山の方が四方への見通しは抜群そうである。(木があって期待できないが。)

もしかしたら何かあるのでは・・と、そこに行ってみるが、見事に三振、ただの山だった。
山頂は径2mの平坦地、アンテナの残骸があった。
周囲に尾根が下るだけ。
落ち葉で滑り、無様に転げ落ちる。
まあ、そんなもんだ。