孫根城(城里町桂孫根宿)

 大山城の支城と言われているが、肝心の大山城よりはるかに立派である。
谷津を隔てて2つの城からなる。いわゆる「1城別郭」形式を取る。

 大山城の西1.8km岩舟川右岸の台地北端にあり、城域は東西350m、南北250mほどである。
若干、台地続きの南側が高く、南側から城内が見透かされてしまうという欠点がある。

 北と東は低地に望む崖面であり、低地からの比高は約30m近い。
本郭に相当する曲輪Tの周囲は土塁に囲まれ、西側の土塁が残存する。南側と西側は堀が築かれる。南側の堀は侵食谷を拡張したものと思われる。 東側の曲輪Tは出城とも言うべきであり、北端が櫓台状に盛り上がり、西側から南側にかけて土塁を持つ。この土塁は高さ3mほどある立派なものである。
 築城は室町初期応永年間大山義孝の子、義通という。

 この城が歴史に名を残すのは山入の乱で常陸太田城を追われた佐竹義舜が外祖父である大山義長を頼り、この城に匿われたことによる。
 義舜はこの城で13年間を過ごし、西金砂城、大門城を経て最後には常陸太田城に復帰し、山入氏を滅ぼしている。

大手口の位置より本郭部(民家の場所)を見る。 大手口より西側の土塁を見る。手前の畑は掘跡。 本郭 櫓台が見られる。 曲輪Uの土塁。

以上は2003年の記事
以下、2007年の再訪結果。
本郭と二郭が離れているため「1城別郭」の城のように思えるが、どうやらかなりの遺構が湮滅してしまっているようである。
東側の「宿」地区にも土塁が見られ、西側にも土塁や堀跡が確認できる。
さらに南側の戸の内地区も外郭であったようである。したがって、かなり巨大な城郭であったことが想像される。
↓の想像復元図は上記の情報を元に描いたものである。



A本郭東の堀

@本郭南側の巨大土塁

B 二郭西側の土塁