高戸海岸(高萩市大字高戸)36.7191、140.7274
古代から太平洋沿岸には航路が存在し、古代には海路により鹿島神宮や金砂神社を祀神とする民が渡来し、南北朝時代には北畠親房が海路、奥州に行こうとし遭難して常陸に流れついている。
戦国時代には岩城氏の軍が山入の乱で弱体化した佐竹氏を攻撃するため、水軍で現在の東海村付近に上陸し、村松虚空蔵を焼き討ちしている。
港があり、港間を結んだ航路が存在しており、その船に兵を載せれば水軍になる訳である。
当然ながら海辺にある城は水運や水軍に係る施設であろう。
那珂湊の港城、久慈城、日立要害城、新城館、滑川浜館がそれにあたるであろう。
しかし、そこから北に行くと分からなくなる。
海辺に城館がないのである。
大津港にある三峰館程度しか該当しそうなものがない。
どこかに存在しているのではないかと探してみると高萩の高戸海岸にある山など可能性があるように思えた。
さらにここの集落名が「北城」というのである。
この山、独立した山であり、頂上部に平場があるようなのである。
西側から南側を関根川が流れ、城だったら水堀の役目を果たす。
なお、関根川の約2q上流が龍子山城である。
↑ 山の上は藪で写真を撮っても何じゃこりゃ、山頂から海を覗き込むと・・・・
そこで突撃してみる。
結構、急な山である。
標高は最高箇所で35m、海に面した部分は浸食により断崖絶壁である。
かなり、崩落している可能性もある。
確かに平場はあった。
いつの時代のものか分からないが、海を見るためのものには違いない。
Yahoo地図に写る高戸海岸の山。独立した山である。 左のイラストは山の右側(東側)を北側から見たイメージ図。 穴だらけの島は右上に写る。 左上の集落名が「北城」、左下に写る川は関根川。 |
漁業に係るものか?戦国時代の沿岸航路監視と水軍に係るものか?
はたまた太平洋戦争における監視台なのか?
何ともいえない。
なお、海岸沿いに有名な穴がある島がある。船を置いたのか、魚具倉庫なのか分からない。
太平洋戦争での「震洋」の基地という説もあるが、どうもこの説は都市伝説のようである。
なお、本物の震洋の基地が大津港、平潟港にあったそうである。
城とも何とも判断できないが、せっかく行ったので掲載しておきます。
誰か、調べてくださいな。
安良川館(高萩市安良川)36.7127、140.7056
塙古館とも言う。
平安末期治承4年(1180)源頼朝の佐竹征伐後、この地を与えられた工藤祐経の一族、宇佐美祐茂が築城した。
その後、代々宇佐美氏が居館するが、龍子山城の大塚氏の勢力が大きくなるとその家臣となる。
さらにその大塚氏も勢力を拡大する佐竹に従属する。
佐竹氏による大塚氏の折木城移封に同行することで廃館となったが、近世、水戸藩はこの地に陣屋を置いていた。
館のある地は高萩市民会館西側の標高約30mの丘であり、現在、高萩小学校の敷地となっている。
↑ 南から見た館跡。比高は30〜35m、高萩小学校の校舎が建つ丘の上。右端下が安良川古屋敷跡となる。
この館には何度も訪れている。2022年12月調査依頼があり、何度目かの訪問となったのだが、やっぱり、かつての姿は再現できない。 あまりにも変わり過ぎているのである。 東西60m、南北100m程度の大きさで大手は南側にあったらしい。 館の遺構はほとんど分からないが、小学校の東側には帯曲輪の跡らしいものが残るが、これが本来のものであろうか? 小学校の北側の道は掘底道のようである。土塁を崩してかなり埋めているのであろう。 北西側に安良川八幡宮がある。松岡地理誌に絵図が載っているが、現状では館の姿を再現することは不可能に近い。 小学校にした時、かなり削平が行われているようである。 南側に大手道があったようであるが、その痕跡は失われている。 八幡宮側が高く、防衛上不利のように思えるが、信仰のため一段高い場所に置いたのであろう。 居住と政務が目的の性格であり、最低限の防護程度しか考慮しておらず、戦闘は想定していないのであろう。 |
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安良川館(高萩市安良川)
平安末期治承4年(1180)源頼朝の佐竹征伐後、この地を与えられた工藤祐経の一族、宇佐美祐茂が築城した。
その後、宇佐美氏が居館し、大塚氏の家臣となり、大塚氏の折木城移封に同行することで廃館となったが、近世、水戸藩はこの地に陣屋を置いていた。
館のある地は高萩市民会館西側の丘であり、現在、高萩小学校の敷地となっている。
東西60m、南北100m程度の大きさで大手は南側にあったらしい。
館の遺構はほとんど分からないが、小学校の東側には帯曲輪の跡らしいものが残り、小学校の北側の道は掘底道のようである。
北西側に八幡宮があるが、その周囲にも土塁のような感じである。
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東から館址を望む。腰曲輪がある。 | 館址北側の道。堀の名残か? | 小学校北側。土塁のようなものがある。 | 小学校西の土塁跡。道は堀跡。 |
安良川古屋敷(高萩市安良川)36.7097、140.7070
松岡地理誌に横町にあったと記され、東は民家に連なり、南に土手、北に堀、西は田と書かれる。
この場所、高萩市民会館の国道461号線を挟んで南側付近である。
残念ながら、松岡地理誌には絵図が欠落している。このため、再現に支障が出る。
南から見た屋敷跡、一段と高いは畑の切岸が屋敷の遺構という。下の水田の位置に堀があったのだろう。 左の赤っぽい建物は高萩市民会館。 |
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屋敷跡西側の切岸と堀跡。 |
昭和50年の国土地理院の空中写真に写る屋敷跡付近。 ある程度の形は残っており、屋敷の規模が推察できる。 |
標高は約7m。
安良川館の南東下約200mの至近距離にある。
方形館だったようであるが、北側に堀があったとされるがその位置が分からない。
おそらく北西の折がある部分から東に延びていたのではないかと思うが?
それ以外の3方向については切岸、堀跡が残り、範囲は推定できる。
西側の水田からは約2.5m高い。
ここは陸前浜街道と花貫川沿いの里美方面に向かう街道(塩の道)の分岐地点であり、関所のような施設だったのかもしれない。