田渡城2018
田渡城は佐竹氏本拠、常陸太田城の東を守る目的の城と考えられている。
チンケで時代遅れの城が多い佐竹氏本土において珍しく高い技巧を駆使した城である。
その特徴は丸っぽい山の周囲を2重の横堀が巡る構造である。
おそらく戦国後期の遺構と思われる。

この城との出会いは2002年(平成14年)、まずは南の尾根からチャレンジするが、猛烈な小竹の密集に阻まれ途中で撤退。
ちなみにその撤退した場所から数m先にちゃんと遺構があったのだ。
まあ、人生ってそんなものだ。
南側の民家の人など「城なんて聞いたことねえなあ」ってな調子だった。
地元からも忘れられつつあったのだ。

その後、付近をジョギング中、お腹がもよおし、城の標識があったので、脱糞ついでにダメ元で山に立ち入った。
この付近の城、皆チンケなのでどうせ大したものじゃないと予想したが、いきなり現れた横堀にお尻からため息が・・
山上部にカクカク曲がった横堀がもう1本あり、ついにお尻から中身が。

その後、家に戻りデジカメを持って来て夢中で城内を駆け回り、その情報をHPに掲載し、「図説 茨城の城郭」にも掲載した。
その後、いくつかのHPにも取り上げられ、この埋もれて忘れられた名城に再度、光を当てることができた訳である。

しかし、比較的藪は少ないものの、それなりの藪城だった。
ここに来るのはマニアに限られた状態だったと思われる。

その田渡城、2017年(平成29年)里山保全事業で藪刈りが行われ、一気に視界が開けた。

そのため2018年2月25日に訪問した。
既に10年振りくらいになる。
10年も経つとどうなっていたか記憶が曖昧。

情けないことに城内で迷子になった。
「俺はどこにいるんじゃい!」
あちこち徘徊した挙句、やっと登ってきた場所に出て生還。
写真も撮ったので以前の記事と別記事としてアップします。

@登城口付近の下側の横堀。
比較的浅く、鉄砲塹壕ではないかと思われる。
A@の横堀は東に続く。かつては道として使わていたらしい。 B主郭部下には多段に腰曲輪が構築される。
C主郭周囲を回る横堀。この堀も兵移動用だろう。 D主郭周囲を回る横堀は北側でカクカクと折れ曲がる。 E北東側の横堀は鉄砲銃撃では?
F主郭を回る横堀は東端で竪堀と合流する。 G主郭の土塁 H主郭内部。建物があったのだろう。
I主郭東の堀切、ここからFの竪堀が下る。 J主郭南下の横堀は竹が刈られ明瞭になった。 K西郭であるが、かつては藪状態だった。