城館の名前について

この文章はブログに3回に渡って掲載した記事を1つにまとめたものです。
ブログではかなり面白おかしく表現している部分もありますが、その部分はできる限り削除して、真面目を装って?います。

第1章 城館の命名
過疎化が進んだ田舎の山間では時々城が発見される。
発見というのは適切ではなく、正確には時の流れで存在が忘れられ、それが再確認されるということである。
伝承が途切れたということでもあるが、過疎化が進み伝承を知る人が後世の人に伝えることなく亡くなった場合もあるだろう。

城は文化財である。発見されると文化財として登録する必要がある。
しかし、発見される城に名前がついている訳はない。
〇〇城という名は知られているが、それがどこにあるか分からなかったが、その場所が新たに確認されたということはあったが、これは例外だろう。
文化財として登録するためには、台帳に記載する名前が必要である。
子供が産まれたら戸籍に登録するのと同じである。名無しという訳にはいかない。

新しく城館が確認されるとそのネーミングは、発見者、確認者に優先権がある。
この業界に限らず、第一発見者、確認者あるいは報告者(公表者)に命名の優先権がある。
それが一般的な慣例だそうだ。
どっかの誰かさんではないが、1番でなくてはだめなのだ。「2番目じゃダメなのだ。」権利はないのだ。

管理人、新規に城館を確認し、命名しろと言われたことがある。
HPに仮称として名前を付けて紹介したらそのまま正式名として登録されたこともある。
一応、こんなHPでも参考文献として扱ってくれるのだ。
しかし、命名は名誉なことではあるが、簡単のようでそうでもない。
変な名前は付けれない。人間のようにキラキラネームって訳にもいかない。

多くの城館の名称は前半に字名等の地名がついて、後ろに城郭を表す単語が付くパターンが多いが、本来、城館に名前はなかったようである。
通称、「〇〇城」などと言っているのは、たくさんある城館の識別名に過ぎないのである。
当時、ほとんどの城館は「ようがい」とか「たて」と呼んでいたようである。
そのため、城館のある山を「要害山」「館山」と呼ぶ場合も多い。

「要害城」とか「館山城」なんて安易なネーミングが非常に多い。これに「城山城」も加わる。
さらに、「根小(古)屋城」「堀の内館」「箕輪城」もしかり。これらも「城館」に係る単語に城を重ねたものである。
これらの名前の城、全国にいったいどれくらいあるのだろうか?「城館」を意味する単語を2つ重ねてもどんなものか。
既にそう現地で呼ばれていればその名を登録するのも仕方ないかもしれないけど・・・・。
しかし、新規発見城館にこんなセンスのない名前は恥ずかしくて付けられない。

これらは例外として、まず前半部分、ファーストネーム。
これは所在する地の字名や所在する山の名前を付ければまずは妥当だろう。
そこに社や祠があれば「愛宕」とか「羽黒」とか、祀神名を加えてもいいだろう。「〇〇愛宕山館」とか。
地区や市町村境にある場合、悩むけど・・。

そして後半部分、城郭に相当する部分の名称、これをどうするかが悩みどころである。
「城郭」は総称であるが、それを表す単語としては「城」「館」「楯」「要害」「砦」「物見」「狼煙台」「出城」(出丸)「郭」「柵」などがある。
「屋敷」と名が付くが、庄屋屋敷ではなく城館の場合もある。

既に公知の城館の名称をみてみるとネーミングが疑問なものも多い。
どんな規模だろうが、規模に関係なく、とりあえず「〇〇城」と付けられていることも多い。
「江戸城」「名古屋城」も「城」なら、小さな曲輪と堀切1本の物件も「城」である。
これも既成事実優先なので仕方ないが、違和感がある。

安易に「城」を使うが、「城」の定義も曖昧、「館」「楯」「要害」「砦」の定義も曖昧、混乱もあるし、人によって抱くイメージが違う。

一般に「城」と言えば、大名や領主の居城を始め、土塁、複数の曲輪、堀等のちゃんとした防御施設を持つある程度の規模を持つ城館というイメージがあるのではないだろうか。
「やかた」を意味する「館」は方形館等の領主の家臣の居館がイメージだろうか?
困るのは「館」と書いて「たて」とも読む場合である。本来は「楯」「盾」と書くべきであろう。
「たて」は北日本の山城に多い名称のように思える。
「砦」「物見」「狼煙台」は小さな曲輪と堀切がある程度の小規模な山城だろうか?
規模の順番に並べたら 城、館(たて)、砦、物見、狼煙台かな?
居館なら「館(やかた)」という名が妥当だろか?

もっとも、今になって見つかり、命名対象となるのは小さな山城ばかりである。大規模な城ならとうに見つかっているだろう。
「〇×城」などと堂々と「城」を名乗れるような物件はほとんどない。
地元で「たて」とか「ようがい」と呼んでいれば、地名(字名、山名)+「館(たて)」または「要害」でいいだろう。
(「要害」は「ようがい」という地名になっているものもあるが、訛って、さらに発音に当て字をして「竜会」「竜海」「有蓋」「ゆうげい」「立開」とかの名前で伝わっている場合も多い。)
そんな地名もなければ「砦」を使ってもいいだろうし、すごく小さいが、眺望が良ければ「物見」、「狼煙台」か?
曲輪に土盛りがあり穴が開いていたら「狼煙台」を使っていいだろう。

城郭はほとんどが広がりを持つ。平城なら2次元、山城なら3次元の物件である。
しかし、広がりを持たない直線状、1次元の物件も中にはある。
長塁や堀の類である。これらには「△△長塁」とか「□□堀」という名称もあり得るだろう。

今だに未確認の城が出て来ること自体、田舎である証拠ではある。
城館は昔の人が命をつなぐ場所、一族の存続を図る場所として造ったものである。
その執念の証を名前を付けて記録として残してやるのもこの道楽にはまり込んだ者の義務だろう。

第2章 公知されている城館の名前について
第1章では新規に発見・確認された城館の命名について書いた。
この章は既に公知されている城館の名前についての考察である。

城に係るHPを長らく運営していると、既存の城の名前についての疑問も多い。名前で混乱もする。

もちろん、昔からその名前で通称されていたり、既に遺跡として登録されているのでその名前は優先すべきではあることは承知しているが。
例えば、前にも挙げていた「館山城」「城山城」「要害城」「根小(古)屋城」「堀の内館」「箕輪城」もしかり。
これらは元々、城には名前がなかったということを証明しているとも言えるが、安易な名前である。

特定地域限定ならその名前でどの城を指すか明白だが、全国的となると同名の城が多すぎる。
昔からその地域でそう呼ばれていたので仕方ない面もあるが、せめて識別のため、地名を先に付けてもらいたいものである。

城址に神社があるので「羽黒山城」「愛宕山城」「稲荷山城」という名の城もあるが、これらも同名の城が多すぎる。
「要害城」よりはまだセンスはマシかもしれないが、やはり地名を先に付けて欲しいものである。名前が長くなりすぎるか?

別名として「青葉城」「白鷺城」「桔梗城」「舞鶴城」等のいわゆる「雅称」で言われる城もあるが、同名の城が多い。
この名前もその地方だけなら通じるが、全国になると同名が多すぎるため、混乱する。
「仙台城」のように「青葉城」と言った方が一般的な場合もある。「雅称」が有名すぎるだけである。
「舞鶴城」に至っては全国に少なくとも16城、存在するそうである。これじゃ「舞鶴城」と言われても、どこの「舞鶴城」か分からない。

規模に関わりなく何でもかんでも「城」という名前が使われる場合とか、「館」(やかた、たて)の混同の混乱は前に書いた通りである。
別名を持つ城も多い。
「仙台城」と「青葉城」、「姫路城」と「白鷺城」がいい例であるが、さすがこのくらいの知名度になるとどちらでも迷うことはない。

途中で名前が変わった城も結構ある。
「黒川城」が「会津若松城」になっているが、大改修で名前が変わったものだが、前者はもう歴史の彼方に消えたような名前であるので混乱はしない。
「海津城」と「松代城」、「龍子山城」と「松岡城」(茨城県高萩市)は江戸時代になって名前が変わったが、今も名前は並立している。
「松代城」こと「海津城」は我故郷の城であるが、この2つが同じ城であることは地元民は皆、知っているが、地元民は一様に「海津城」と呼ぶ。
何しろネームバリューは「海津城」が圧倒的、歴史に名を刻む城の名前である。
地元民にとって愛着があるのは当然である。

「龍子山城」と「松岡城」の場合・・正確に言えば、場所がちょっとずれるかも?
山城を「龍子山城」と呼び、江戸時代の麓の陣屋付近を「松岡城」を指している感じである。
でもどちらかというと地元でも前者を使っている場合が多いようである。
城のある山は今も「龍子山」である。
陣屋付近の地名が「松岡」、陣屋跡に建つのは「松岡小学校」であるけど。

ちなみに「茨城の城郭」では「龍子山城」を使い、管理人が「茨城新聞」に掲載した城紹介記事でも「龍子山城」とした。

第3章 城館の判定
第1章では新規に発見された城館の命名について書いた。
当然であるが、命名されるのは城館であるからである。
ただの野原や自然の山が城館に認定されることはありえない。
(破壊が進みただの野原状態になってしまった場合もある。)

しかし、その「認定」が非常に微妙なのである。
ここでは名前を付ける前段である城館と認められるかの判断基準について述べる。
城館かどうか微妙であるものも多いのである。
だいたい今、見つかったり確認されたりする理由の1つが、小規模であり、遺構が曖昧、微妙だからということがある。

それが城館であるかどうかの判定は非常に難しい。
現地調査に多くの経験を積んだ複数のその筋の人間が全員、「城館」と判断すれば確度は高いだろう。
でも、判断が割れることもある。
遺跡地図に公知の城館として登録されている場所に行っても「これが城館?」「ただの山じゃない?」というようなものもある。

その判断であるが、
@伝承、記録(史料、文献)の存在。
A地名(館、要害、堀の内、中城、御城・・)の存在。
B堀、曲輪、土塁等の城郭遺構の存在。
が、ポイントである。この3つがすべて揃っていればまず確実だろう。

しかし、現実には2つが満たされていればいい方である。
1つだけの場合がけっこうあり、これが悩ましい。

@の場合、伝承は伝言ゲーム、どこかで時代がズレてとか、場所が違って・・なんてことも結構ある。
これはある程度、仕方ない面もあるが、何かがあったからそれが伝承になって残るのだろう。
中には捏造、改ざんもある。知名人・英雄に故意に関係付ける改ざんもある。義家伝説など最たるものか?
「義家が奥州に向かう途中滞在していた館」などの伝承がある城館、行ってみれば戦国時代のもの、平安時代とは時代のズレが大きすぎたり・・・・とか。
これはまだ、可愛い方である。

江戸初期、徳川氏が故意に改ざん、捏造した例も多い。
改ざん、捏造は世界中でも勝者の特権である。歴史は勝者のもの。
どこかの国のようにファンタジー、熱望で改ざん、捏造するものもある。・・。
子孫が先祖がその城や戦場で大活躍したように改竄することもある。
甲陽軍鑑などその要素が大きいらしい。(先祖に係らない部分は意外と脚色が少ないとか?)
記録も同様、有力なものではあるが、書き間違いもあるし、偽物も混じる。

記録には書かれるが、行方不明の城も多い。
発音に漢字に当てて書く場合(当て字)なども。
訛っていたらどこじゃい?というものもある。

Aの地名、確かに有力ではある。
地名から城館が見つかったという例も多い。
でも、「堀の内」などは山の前で川が蛇行し、山と川に挟まれた場所を指すこともあるし、庄屋屋敷をいう場合もある。

Bの遺構・・これが厄介である。
堤防や古墳、塚が土塁や土壇に見える、神社の周囲をコの字形に土塁が覆っていることがある、川が堀に、祠を設置する土台や土留めの石積が石垣に、積鞍部を横断する切通しの道が堀切に、段々畑が帯曲輪に、小さい谷が竪堀に、違う目的で造ったものや自然地形を城郭遺構と勘違いすることも多い。風化して埋没が進んでいる場合も多い。
困ったことに城郭遺構が廃城後、違う用途に転用される場合も多い。
切通の道は堀切が転用されたものが多い。
逆に古墳を利用した、あるいは取り込んだ城も多い。川を堀に転用したものも多い。

これらは現地に行って周囲を含めて見ないとだめである。それも複数人の目で。
城郭の場合、切通がポツンと単独に存在することはあり得ない。
複数存在するとか、付近に平場とか竪堀のようなものがあるはずである。
段々畑は山の中腹に多い、中腹に段々がなく山頂部にのみ段々畑があることはまずあり得ない。
それらは曲輪の可能性が大きい。
しかし、でかい堀切1本のみ、あとはほぼ自然地形という1点豪華主義のようなものもある。

土塁があり、曲輪らしい平坦地があるが、背後が無防備、ただの山、自然地形なんていう悩ましいものもある。
それらを総合的に判断して城館かどうか認定するのであるが、人により見解が分かれてしまうことも多い。
管理人の判断は他の人に比べかなり保守的なようである。
他の人が城館と主張する場所に行ってみたが、「違うんじゃねえ?」と思ったこともある。

前にも書いたように、それなりの経験を積んだ複数の者が現地を見て、満場一致で認定するなら認められるだろう。
賛成多数?投票で決めるものでもない。
・・そういうのは保留物件だろう。