金沢金山(常陸太田市大森町/日立市金沢町)
佐竹氏が開発したと言われる金山である。
場所は日立市南部、TV塔が建つ風神山の北側一帯である。
風神山から真弓神社方面にハイキングコースが延びているがそのコース沿いにポツポツと金山跡がある。
金沢(かねさわ)という地名自体、金そのものずばりの地名である。
昔から砂金等が採れたからこの名前になったのであろう。
金沢金山といっても坑道はいくつもあり、それらの総称である。

日立市金沢町が中心であるが、西側の常陸太田市大森町にまたがる。
その金沢金山の跡、この山系を通る大森林道沿いに2か所ある。
この大森林道に入るのが一番なのだが、どこから入るのかよく分からない。
それなのでハイキングコースを行くことにする。

常磐自動車道日立トンネルの南側の入り口近く36.5322、140.5915,標高96mからハイキングコースが延び、ここを約700m進むと、大森林道の終点に合流する。
その合流点の下側が露天掘り跡である。
位置は36.5317、140.5962、ここの標高は194mである。
露天掘り跡といっても斜面が抉れ、岩が露出し、ズリの山があるだけである。
一見、なんだかさっぱり分からない。
その採掘場の上側に平場があり、その付近に管理小屋や選鉱場があったようで金鉱石が転がっていた。

金沢金山の露天掘り跡。爆弾の落ちた穴みたい 露天掘り跡の上の平場に転がっていた金鉱石 こっちは坑道跡、中は真っ暗、不気味である。

林道を数百m北上すると、風神山から真弓神社方面にハイキングコースと林道が並走するが、その地点から少し沢側に降りた山の斜面に坑道が開く。
位置は36.5361、140.5965、ここの標高は217mである。
中は真っ暗、かなり不気味である。

坑道のある上の尾根にはハイキングコースが通るが、その付近、比較的広く平坦である。
そこに管理小屋や選鉱場があったのではないかと思われる。

これらの金山、佐竹氏が開発したものだが、発見は真弓神社に係る修験者ではなかったかと思う。
修験者は鉱山技術者であったとも言われる。
開発は武田氏滅亡後、常陸に亡命した甲斐の鉱山技術者ともいう。
誰が管理していたのかは分からない。

おそらく直轄で旗本が管理人だったとは思うが・・。
瀬谷館http://yaminabe36.tuzigiri.com/ibaraki_kita/sirawa.htmが金山管理の館であったらしく、館主の人見筑後守という人物が管理人の一人だったようだが、何人かの武家が関わっていたのであろう。
多分、それらの特殊技能者が秋田に移り、銅山開発に係ったのであろう。
記録がないのは金山技術がトップシークレットであるので記録が作られていないのであろう。
佐竹氏が秋田に去った後は金はほとんど採掘できていないが、主要な技術者がごっそりいなくなったからだろう。
末端の鉱夫は残ったかもしれないが、末端技術者では操業継続には限界があっただろう。

陣入金山(常陸太田市西河内下町)
常陸太田市街から里川を北上すると赤レンガの町屋変電所で有名な町屋地区になる。
町屋地区から北西に谷が延びる。西河内(ごうと)の谷である。
この谷を抜けると東金砂神社に行ける。
一方、奥部には西河内館があり、ここにある集会所で映画「ディアドクター」のロケが行われた。
ここから南に行くと十国峠、そこからは大門や水府の町屋方面に行くことができる。

↑東側、赤レンガで有名な町屋変電所付近から見た金山のある山

この西河内の谷の入り口部南側のちょっと盛り上がった標高190mの山がある。
地元の人に聞いたが、山に名前はないそうである。
結構目立つ山なのだが・・・。
名前は分からないが字は「陣入」(じんのいり)となっている。
南東下の字が「富士山下」となっており、富士神社があるので、「富士山」というのではないかと思ったが、違うようだ。

この山に堀切があるとM氏から情報提供があった。
そこで突入。この山の西側の谷間に民家が2軒あるが既に廃屋、周囲の畑も既に自然に帰っている。
山自体も既に登る人もいないようで道の痕跡も途中でなくなっている。
そんな道なき山を登り、その堀切@を見つけた。↓

山頂から南東に下った尾根にあった。

確かに堀切だった。道が尾根を横切る切通かと思ったが、周囲に道の痕跡もなし。
切通ではない。しかし、堀切の前後にも何もなし。
比較的幅の広い尾根があるだけである。

A山頂北下にある大穴 B Aの穴の北側は尾根も削られ堀切のようになっていた。 C山頂からかなり北下に坑道跡が・・・

堀切の北の山頂側が段々状にはなってはいたが。
こんな堀切、どこかで見たことがある。
真弓町にある「中山堀」である。

あれは金山の鉱区境を示す境界堀じゃないかと推定した。
そして案の定、この山も尾根を山頂側に向かうと、山頂北側は穴ABだらけであった。
露店堀の跡のようである。
さらに北に下ると坑道跡Cらしい場所もあった。

坑道入口は土砂が堆積して塞がれているようだが。
後から聞いたところ、この山には金山伝承があるらしいとのことである。

あの堀切は「これより先は関係者以外の立入禁止」を示すものだったようである。
鉱区境を示すものか?
堀切の山頂側が段々になっていたが、作業小屋が建っていたのかもしれない。
この山の南に町屋金山がある。鉱脈がこの山まで延びているようである。