北熊井城と南熊井城(塩尻市片丘)

田川の低地に向けて東からなだらかに延びる岡にある。
北熊井城の南北は川が浸食した谷状になっており、その間の丘を南北に堀で切断し、直線状に6つの曲輪を造りだした連郭式の城である。

城域は東西約300m、南北70〜80mほどである。

特に本郭周辺は防護が厳重であり、南側は横堀Aが二重に、東側は三重になっている。

西側の西一郭D側の堀@は幅20m、深さ8mほどであり、堀底は車道である。

本郭Bの東側には高さ2mほどの土塁Cが、南北には高さ1mほどの土塁があるが、かつてはここも畑だったようであり、本来は全周に土塁が覆っていたのかもしれない。

曲輪内は広大であり、70m×80mの広さがある。
それ以外の曲輪の防護は本郭ほどではなく、堀(Eは西一郭と西二郭間の堀)もそれほどは深くはない。

もともとは小笠原氏家臣の城だったようである。小笠原氏の本拠、今の松本の南を守る城だったようである。
今残る遺構は武田氏が、天文17年(1548)、塩尻峠の戦いの後に占領し、改修され、小笠原氏の本拠林城を攻略する拠点としたものではないかと考えられる。

北熊井城の西側の町村集落が南熊井城跡であったというが、遺構は取り立てて見られない。
西側、北側は低地となる段丘上の集落であり、居館程度のものが存在していたのではないかと思われる。

上左の写真は北東側から見た城址。高さ8mほどの切岸になっている。
右は昭和50年国土地理院撮影の航空写真。
右側が北熊井城、左側の集落が南熊井城である。

@本郭西側の巨大な堀切 A本郭の南を覆う横堀。 B 広大な本郭内部 C 本郭東側の土塁
D本郭から堀切越に見た見た西一郭。 E西一郭と西二郭間の堀切 F 南熊井城跡の町村集落 G 西から見た南熊井城