第二次世界大戦 連合軍機

P47D リパブリック サンダーボルト
アメリカそのものを体現したような戦闘機である。
強力な爆撃機用に開発されたターボ装着エンジンP&W R-2800-59(出力2300馬力)を持ち、かつ全幅:12.43m、全長10.92mという大型戦闘機。
重量は6804kgに達する。エンジン出力と重量はともに零戦の2倍以上、スピットファイアに比べると2.5倍の重量である。
この大出力エンジンにより最高時速は697qに達する。
まさに空飛ぶダンプカーであり、零戦やスピットファイアはサンダーボルトに比べたら小型乗用車である。
第二次大戦では主にヨーロッパ戦線で使用された。
当初はB17の護衛戦闘機として開発されたが、この任務はP51ムスタングに奪われてしまい、もっぱら対地攻撃用に使われた。
なにしろ頑丈であり、撃たれてもなかなか墜落しにくい飛行機であったといい、パイロットにとっては安全性の高い戦闘機であった。

総生産台数は15000機以上といわれ、アメリカの戦闘機として最高である。
しかし、速度は速かったが、小回りはきかず格闘戦には余り向かなかったという。
武装はアメリカ軍機の標準である12.7mm機銃8丁。
P47D25以降はそれまでのファストバック式からバブルキャノピーに変更されている。
第二次大戦が終わると急速に引退してしまい、朝鮮戦争時にはほとんど現役で残っていなかったという。
サンダーボルトの名は対地攻撃機A10サンダーボルトとして引き継がれている。


チャンスボート F4Uコルセア

Ju87と並び、逆ガルウイングと言えばこの飛行機、第二次世界大戦末期のアメリカ海軍の艦上戦闘機である。
強力なP&W社製の空冷18気筒2000馬力エンジンを搭載する。
このエンジンの性能は引き出すため、当時の単発プロペラ機としては異例の 4.06mという大直径プロペラを装備した。
しかし、プロペラが大きすぎ、通常の翼では車輪脚の長さが長くなり過ぎ、脚長を抑えるために翼に逆ガル式を採用した。
また、重量軽減のため、一部羽布張り構造の主翼を用いている。
空母艦載機として開発したが、常識を外れた革新的な機構を多く採用した機体であったため、空母での運用方法改善に手間取り、大戦末期にようやく戦場に登場したが、大勢は決しており、余り活躍の余地はなかった。
しかし、第二次大戦終了後、多くの機種が引退する中、海軍の主力機の地位を得、朝鮮戦争では主力戦闘機の座はジェット機に譲ったが、主に対地支援等に使われた。世界各国にも供与され、合計の生産機数は12、571機を数える。


P51 ムスタングC
第二次世界大戦で最高の戦闘機といわれる。
性能的にはTa−152、Me262等、より優れた戦闘機は存在したが、運用実績等を総合すればP51ムスタングになるであろう。
デザイン的にも洗練されており、アメリカ機にしては小型機の部類に入り、重量はサンダーボルトの約半分4.6tである。
しかし、もともとはイギリスがスピットファイアを補完する目的でノースアメリカン社に開発を委託したのが開発の発端である。
これはフォケルフFw190がメッサーシュミットMe109の補助戦闘機として開発された経緯と何となく似た話である。
当時、アメリカには水冷エンジンはアリソン社製V1710 12気筒 1100馬力エンジンがあり、開発機NA-73マスタングIにもこのエンジンが搭載されていた。
しかし、このエンジンは高高度性能が劣っており、最高速度は時速612kmを示し、航続力もスピットファイアに比べれば、はるかに優れていたが、これは、空力的に洗練された胴体、胴体下に設けられたラジエーター、抵抗の少ない層流翼型主翼などによるものであったという。
しかし、高高度性能は劣っていた。

このため、本国アメリカではP-51、P-51Aマスタングとして少数採用したにすぎなかった。
しかし、イギリスがスピットファイアに搭載されていた1400馬力ロールスロイス・マリーンを試しに搭載すると、高い空力性能と合いまって高高度性能が改善され、抜群の性能を発揮、陰の座からたちまち主力戦闘機の座を獲得する。
量産型はパッカード・マリーン V-1650-7液冷V型12気筒1490馬力が搭載された。
これがP-51B/C型である。涙滴型キャノピーを装備するD型ではさらに性能が向上し、以後、H型まで14819機が生産される。
特にB17を護衛したドイツ本土の侵攻では、ドイツ機から爆撃機を護衛し、太平洋戦争末期に硫黄島からB29を護衛して日本本土を攻撃している。
なお、現在でもアメリカではレース機として健在である。
武装はアメリカ機標準の12.7mm機銃×6丁である。翼幅11.3m、全長9.85m、全高4.2m、航続距離3700km。


スーパーマリン スピットファイアMKT
天才設計技師レジナンド・ミッチェルが設計し、バルト・オブ・ブリテンで活躍しイギリスを救った戦闘機として名高い。
さらに第二次世界大戦終了まで改造に継ぐ改造で常に第一線で活躍したイギリスを代表する戦闘機である。
設計開始は1934年、当然、ナチスドイツの再軍備宣言を意識してである。
1936年3月に初飛行し、高性能を示し、直ぐに正式採用され、Mk1が1938年8月には実戦配備されている。
しかし、設計者のミッチェル技師は初飛行前に死去している。
武装は7.7mm機銃×8門という小口径多銃主義である。
エンジンはロールスロイス マーリン45水冷V型12気筒 1,480馬力であり、最高速度 594km/h、重量は軽く約3tという軽量小型機である。
スピットファイアの名を高めたのは、1940年の「バトル・オブ・ブリテン(イギリス本土防空戦)」である。
メッサーシュミットMe109と激烈なバトルを展開し、最後はイギリスを守り抜いた。
その後、フォッケウルフFw190が登場すると圧倒されるが、改造により対抗できるようになる。
以後、終戦までメッサーシュミットMe109、フォッケウルフFw190との改造競争は続き、最後はこれらのライバルに競り勝ったと言えるかもしれない。
しかし、改造できる設計上の裕度が持たされていたことは基本設計自体が優れていたことなのだろう。
ただし、迎撃戦闘機として開発されたため航続距離が改良型でも800qに過ぎなく、これが要因となって爆撃機の護衛に使えず、大戦末期にはP51の後塵を拝すことになってしまう。
これが唯一の欠点といえば欠点である。

メッサーシュミットMe109、フォッケウルフFw190との激闘は、イギリス本土やヨーロッパのみならず、北アフリカ、地中海地方でも展開された。
1942年頃からはインドやオーストラリアにも配備が開始され、日本軍の陸海軍機と戦闘を交えた。
艦上戦闘機型も開発され、アークロイヤル等のイギリス空母に搭載されている。
楕円形をした主翼・尾翼が特徴であり、日本の99式艦爆に似る。
戦後も生産され、1948年までに22000機が製造され、朝鮮戦争にも参戦した。
なお、第一次中東戦争では、エジプト空軍に配備されたスピットファイアはイスラエル空軍のスピットファイアやメッサーシュミットMe109と戦う皮肉な空戦を演じている。
しかし、エジプト空軍のスピットファイアはイスラエル空軍のメッサーシュミットMe109に圧倒されたという。
この辺は、パイロットの技量の差であり、両ライバルに性能の差はなかったといえるであろう。