イギリス海軍

巡洋戦艦 「フッド」

ビスマルクに撃沈された悲劇の巡洋戦艦である。
誕生は古く、第1次世界大戦時の1915年に遡る。当時、ドイツがマッケンゼン級巡洋戦艦の建造を計画しており、このクラスに対抗する艦としてイギリスが建造を計画した。

設計スペックは排水量36,000t、速力32ノットとされた。
しかし、1916年のユトランド沖海戦では、イギリスの巡洋戦艦が相次いで撃沈され、巡洋戦艦の防御力を速力で補うという設計思想が根底から揺さぶられた。

このため、フッドは防御力強化のため再設計が行われ、排水量は5,000t増加し、41,200tとなった。
当然ながらこの重量増は、ほとんど全て装甲強化に当てられた。
この再設計でフッドは巡洋戦艦としては格段の防御力を得た。
しかし、ドイツは劣勢に追い込まれ、マッケンゼン級の建造を中止する。
これを受けて、フッド級は4隻の建造を予定していたが、建造中のフッド以外の3隻は建造が中止される。
当時世界最大となった軍艦、フッドは1920年3月5日に竣工したが、既に第一次世界大戦は終了し、出番はなかった。

その後フッドは外交艦として多くの国を訪問し、その威容を世界に誇示する。
折りしも、ワシントン条約により、大型艦の建造は各国ともできなく、長い間、世界最大の軍艦としてフッドは存在し、イギリス海軍の象徴でもあった。
全長は263mというから大和とほぼ同じである。

ちなみにビスマルクは248mとやや短く、アイオワ級は270mある。
最大幅は32mとライバル艦(大和39m、ビスマルク36m、アイオワ級33m)に比べて細身である。
艦のシルエットを見ると後続の戦艦に比べてさすがに古風な感じであり、第一次世界大戦頃の戦艦のイメージを引きずっている。

この古風な姿がまたこの艦の特徴であり、「美」である。
同時代の日本の戦艦、金剛級、扶桑級、日向級の新造時の姿も似た感じである。
主砲等の艦上の配置も大和等に比べると非常に無駄が多い、あるいは余裕のある配置である。
もっとコンパクトにすれば被弾の確率も少なくなったのではないかと思われる。
ワシントン条約が失効し、1936年、ビスマルクが登場する。
この頃、フッドはすでに老艦の域に入っており、機関の老朽化と重量増により速度は26.5ノットに低下していた。
これではすでに高速を売り物にする巡洋戦艦とは言えない状態であった。

第二次世界大戦が始まるとフッドは対空火器を強化し、H部隊旗艦のとして1940年7月3日、カタパルト作戦に従事。北アフリカのメル・エル・ケビル軍港に停泊するフランス海軍の戦艦四隻を僚艦とともに攻撃し、戦艦ブルターニュを撃沈、ダンケルク等を中破させるという戦果を挙げる。
そして運命の1941年5月を迎える。
ドイツは新鋭戦艦ビスマルクと重巡プリンツ・オイゲンを大西洋に出撃させる。フッドはプリンス・オブ・ウェールズと供に迎撃に出撃。
5月24日、両艦隊はアイスランド南西沖で激突。第二次世界大戦初の巨大戦艦同士が真っ向から打ち合う海戦である。
しかし、戦闘開始からわずか6分、ビスマルク第五斉射がフッドの火薬庫に命中、フッドは大きな火柱とともに船体が分断され、全速力で航行していたこともあり、あっという間に轟沈してしまう。
生存者は乗員1,419名中、僅か3名という悲惨さであった。
武装は、38.1cm(42口径)連装砲4基、14cm(50口径)単装砲10基、10.2cm(50口径)連装高角砲4基、40mm4連装ポンポン砲3基、12.7mm四連装機銃4基。17.8cm20連装対空ロケット発射機15基、53.3cm水上魚雷発射管4基。


戦艦キングジョージ5世

茨城県民、特に日立市民にとっては、この船ほど忌まわしい船はないであろう。
なにしろ艦砲射撃の張本人の1名である。
同型艦にプリンス・オブ・ウェールズ、デューク・オブ・ヨーク、アンソン、バウがあるが、それらの一番艦。
35000tの排水量を持つ。
1940年10月に竣工し、1941年5月にはロドネイと共にビスマルク撃沈という殊勲を挙げる。
大戦後半には太平洋に回航され、室蘭、日立に艦砲射撃を加えた。
36p砲4連装砲塔という外観上特徴のある主砲塔が特徴。

(後の2基は連装砲で主砲は計10門)これは重量軽減を図るためという。
浮いた重量は、さらに強力な防御力に使われた。

甲板や側舷の装甲を強化した結果、水線下の防御力は比較的弱く、プリンス・オブ・ウェールズが雷撃主体で撃沈され欠陥が暴露されている。
対空兵装は充実し、新開発の13.3cm両用砲、40mm8連装ポムポム砲、12.7mm機銃などが多数装備されていた。
この他に電波兵装として対空・対水上レーダー、主砲・両用砲・ポムポム砲の射撃管制レーダーを装備していた。



戦艦ロドネイ
40p3連装3基を艦の前部に配置し、攻撃力を艦の前部に集中するという特異で大胆な設計の艦。
姉妹艦に「ネルソン」がある。排水量は35000t。
1927年に竣工し、第二次大戦中はマルタ島攻防戦や北アフリカ上陸作戦、ノルマンディー上陸作戦などの支援に活躍.。
中でも1941年のドイツ戦艦ビスマルク追撃戦ではキングジョージ5世とともにビスマルクを撃沈することでその名を高めた。
主砲全てを船体前部に集中して配置したため、艦橋が後ろよりとなり操鑑が難しく、鈍足であった。
戦後、1948年に解体される。

下右はビスマルクを砲撃するキングジョージ5世とロドネイ。


駆逐艦エレクトラ

オペラにもなっているギリシャ悲劇から採った名前も印象に残るが、アイスランド沖海戦、マレー沖海戦、スラバヤ沖海戦等、有名な多くの海戦にその名が登場する駆逐艦であり、フッド、プリンス・オブ・ウエールズ、レパルスといった巨艦沈没の目撃者となった艦でもある。
名が知られた船の割りには至って小さい。

排水量がわずか1350tに過ぎず、日本の陽炎級やライバル ドイツのZ級に比べれば半分強程度、全長100mほど、主砲も12p単装砲4門という貧弱さである。

1931年から製造が開始されたE級と言われる9隻の駆逐艦のうちの1隻であり、さすがに速度は時速36ノットと快速である。
エレクトラは1941年5月のビスマルク追撃戦でフッド、プリンス・オブ・ウエールズを護衛して出撃、目の前でフッド轟沈の目撃者となる。
次いでイギリス東洋艦隊に配属され、1941年12月、マレー沖海戦にプリンス・オブ・ウエールズ、レパルスを護衛して出撃。
両艦撃沈の目撃者になってしまう。
この時は日本機が駆逐艦による救助を妨害しなかったので両艦の乗組員の救助に当たった。
その後、ドールマン艦隊に編入され、日本艦隊と戦うがついに1942年2月27日、スラバヤ沖海戦で日本艦隊により撃沈され、波乱の生涯を閉じる。
E級駆逐艦は同型艦9隻のうち、6隻が戦没するという波乱の艦型であった。
左の写真に各国の代表的駆逐艦を並べてみた。
左から日本の陽炎級(2350t)、ドイツのZ級(2600t)、そしてイギリスのE級である。
日独の駆逐艦に比べてE級が非常に小さく、武装も劣っていることが良く分かる。