ドイツ陸軍

(ドイツ軍の装甲車)

sdk.fz250シリーズ
1tハーフトラック(Sd.Kfz.10)をベースに開発された。
この1tハーフトラックの開発はデマーク社が行い、出力28hpのBMW社製315 直列6気筒ガソリン・エンジンを搭載、起動輪と誘導輪の他、トーションバー・サスペンション式の転輪3個がオーバーラップ配置に取り付けられていた。
乗員は2名で荷物や兵員を搭載することは不可能であった。

重量も4tもあり、砲の牽引能力はなかった。
Sd.Kfz.250装甲兵員輸送車のベースとなったのはこの車両を改造した試作2号車であり、重量を2.5tに減らし、転輪も1個増やして接地性をよくしたもの。
試作3号車は重量が3.5tに増えたものの、エンジンは出力42hpのBMW社製319 直列6気筒ガソリン・エンジンに換装され車体前部に搭載され、転輪はさらに増えて片側5個配置になった。
また、乗員2名の他兵士4名の搭乗が可能となった。
量産したのはこれらをベースにさらに試作を重ねたものであり、重量は4.9tになったが、エンジンは出力100hpのマイバッハ社製HL42TRKM 直列6気筒液冷ガソリン・エンジンに強化された。
収容人員が6名。傾斜装甲板による多面体で構成されていた。
装甲は、車体前面14.5mm、戦闘室前面10mm。
Sd.Kfz.250シリーズの総生産数は6,628両。

sdk.fz250/3 無線指揮車グライフ
ロンメル将軍が前線で指揮する時乗車したことで有名な装甲ハーフトラック。
Sd.Kfz.250/3は、指揮用の大型無線機を搭載したタイプ、アフリカ戦線でロンメル将軍が部隊の指揮に用いたので有名。

ロンメル将軍の搭乗車の両側面には、GREIF(グライフ:ギリシャ神話に登場する想像上の生物で、顔は鷲で体はライオン、そして大きな翼を持っていた)の5文字が描かれていた。

Sd.Kfz.250/3には搭載無線機が違う4つの型があった。
乗員は4名。武装は、7.92mm機関銃MG34 1挺、9mm機関短銃MP38 1挺、それに7.92mm小銃Kar98k 3挺を持っていた。

sdk.fz250/9 軽装甲偵察車デマーグ
グライフの無線装置を20o砲に換えた偵察用バージョン。写真は改良自作カットモデル。
東部戦線の雪融け時の泥濘地を走行できるようにSd.Kfz.250装甲兵員輸送車の車体を改造した偵察車。

車体上部を装甲板で覆い、55口径20o機関砲KwK38を、10角形のオープン・トップ式全周旋回砲塔に搭載。試作を経て、車が東部戦線に送られ、走行性能を確認し量産に入り各戦線で多用された。

武装は20o機関砲の同軸に7.92mm機関銃MG34が1挺と、車内に9mm機関短銃MP38が1挺を備えた。
無線機はFu.12を搭載。乗員は3名であった。

後期型は機関砲と同軸機関銃は新型の38型揺動砲架に装備され、砲塔も大型の6角形のものに変更された。機関砲と機関銃の俯仰角は、−10〜+85度であった

ハノマークD兵員輸送車 sdk.fz251
戦車随伴歩兵の乗車車輌。現在の歩兵戦闘車の先駆け。

3tハーフトラック(Sd.Kfz.11)をベースに開発された。
この3tハーフトラックの開発はハンザロイド・ゴリアテ社が行い、3.5g 直列6気筒ガソリン・エンジンを搭載製造はデマーグ社で行われた。
量産時にはハイバッハHL42トクラム6気筒4171cc、100馬力にパワーアップした。
装甲は正面14.5mm、側面8mm、乗員2名の他、12名の兵士を乗せることができた。

最高時速は55km。
ポーランド戦でグーデリアン将軍が指揮車として使用したことで有名。砲の牽引能力も有した。
大戦をとおして改造されながら16000台製造され、全戦線で戦車随伴歩兵移動用に活躍した。
対空砲搭載型、対戦車砲搭載型、榴弾砲搭載型、ロケットランチャ搭載型等22種のバージョンが生まれた。

Sd.Kfz.234シリーズ

ビュッシンクNAG社製。Sd.Kfz.231と同じく、エンジンを後部に置く。
エンジンはタトラ社製のV型12気筒空冷ディーゼル・エンジン「103型」、出力210hp、排気量は14,825ccであった。
特徴は前進/後進がリバースで使用でき、どちらの方向にも走行が可能な点である。

車体はドイッチェン・エーデルシュタール社製造。
不整地でも600kmの航続距離があった。装甲は20o砲弾に対する防御が可能な設計としているが、側面および後面は、7.92mm機関銃弾に対しての防御しか考慮されていない。
装甲は戦闘室上面5.5mm/90度、戦闘室前面30mm/35度、15mm/70度、車体前面30mm/55度、30度、車体側面8mm/30度、車体後面10mm/22度&40度、機関室上面5.5mm/88度、下面5mm/90度となっている。
左は偵察車仕様であり、20o砲を搭載。
長距離無線装置を持つタイプもあった。
右2点は24口径7.5cm戦車砲51型搭載型。4名乗り、88台製造。

(ドイツ軍の対戦車砲、対空砲)

88mm高射砲FLAK36/37

ドイツ軍の命運を担った砲である。
高射砲として開発されたが、高射砲としても高い能力を有した。

ロンメル将軍とともに対戦車砲としての方が有名。
対戦車砲としての実績を買われ、戦車搭載砲に改造された。
ドイツ軍の代表的戦車「タイガー」、「キングタイガー」、X号駆逐戦車ヤクートパンサー、エレファント、ナスホルン等に搭載され連合軍戦車を片っ端から撃破した。
1928年クルップ社が設計し、1933年から量産を開始。スペイン内戦で使用され、その戦訓により改造され、架台装荷状態でも射撃が可能となった。

砲身寿命は最終的には10000発までとなったタフな砲である。
高射砲としてはドイツ本土を空襲するB17等の連合軍爆撃機にレーダー部隊、サーチライト部隊と連携して激烈な砲火を浴びせ大損害を与えている。
対戦車砲としてはフランス戦初期のアラスの戦いでその能力がクローズアップされる。
この時はイギリス大陸派遣部隊のマチルダ重戦車を血祭りにあげる。
その時の指揮官があのロンメルである。
以後、対戦車砲の主力となり、改造されてタイガー戦車等の主砲になったのは先に述べたとおりである。

砲としては8tハーフトラックに牽引され、ロシア戦線、アフリカ戦線で戦車と連携して大活躍し、T34、KV1、マチルダ等を血祭りに挙げた。
特に有名な戦いが1941年6月のキレナイカの戦いである。
指揮官はまたロンメルであった。
ドイツ敗戦までドイツ軍の対戦車砲の主力として活躍した。
ソ連軍T34/85に搭載された85mm砲はこの砲のコピーであるが、性能は劣っていた。この85mm砲は朝鮮戦争にも使われるが、そのルーツがこの88mm砲である。
写真のモデルは●●年以上も前、高校の時に作ったもの。
「タミヤ」から発売された時は定価1000円だった。それを2割引きで購入。
部品数がすごく多く、かなり精密なモデルで作るのが大変だった。
こういうのは捨てられないものです。
それにしては、良くとっておいたものだこと。

75mm対戦車砲PAK40/L46

KV1やマチルダと対戦し無力であった37mm対戦車砲の後継として50mm対戦車砲が戦前から開発され、(これは後にV号戦車に主砲として搭載された。)同時にこれをスケールアップした75mm砲がW号戦車搭載用にラインメタル社開発されていた。
開発はKV1やマチルダショックで加速し、量産が開始された75mm砲が前線に送り出され、さらに急遽W号戦車にも搭載された。
対戦車砲としての性能は1000mの距離で130mmの装甲が貫通できた。開脚式の脚を持ち、4mm鋼板2枚の防盾を持ち、8人で操作し、T34等との戦いで活躍した。
W号戦車の主砲に搭載されるとともに、U号戦車の車体を利用したマーダーUが作られ対戦車自走砲として活躍した。

右はジオラマに組み込んだ75o対戦車砲である。
30年前に作ったものです。

37mm対戦車砲PAK35/36

ラインメタル社が1935年に設計した対戦車砲。
重量450km、ゴムタイヤと4mmの装甲版を持ち、車両での運搬が容易な砲であり、大戦初期のドイツ軍の標準的主力対戦車砲であった。
初速762m/sで475mの距離で垂直に立つ48mmの鋼板を打ち抜くことができた。

W弾を使用すれば貫通能力は51mmとなった。
しかし、連合軍のマチルダ、KV1等の重戦車に遭遇すると全く歯が立たず、「ドアノッカー」という不名誉なあだ名を付けられ第1戦から退く。
しかし成型炸薬砲弾が開発されると接近戦での対戦車攻撃に威力を発揮し、再び第1線で使用されるようになり、敗戦まで活躍する。

37mm対空砲FLAK37と装甲自走砲Sd.kfz.7/2

ツアイス製ゼンマイ付き動力照準機を装備し、6発グリップ弾倉を採用した空軍の対空砲である。
1発でほとんどの航空機を撃墜できる威力があった。
発射速度は最高毎分160発。Ju87に2門搭載し、対戦車攻撃機にも採用された他、ハーフトラックや戦車にも搭載され、機甲師団の対空防御にも使われた。
徹甲榴弾を用いると対戦車砲にもなった万能砲である。

8tハーフトラックSd.kfz.7に搭載し、運転席を装甲化したものが通称「ブラックザウリア」と言われる自走対空砲Sd.kfz.7/2である。
この兵器は対空戦闘ばかりでなく、柄付徹甲榴弾41型を使用すれば対戦車砲にもなり、地上戦でも活躍したという。123台が製造された。

20mm対空機関砲FLAK38MIT Sd.Ah51

88mm砲とともに大戦全期間、ドイツ軍の対空火器の中心として活躍。
1930年にラインメタルが開発した砲がベースであり、スペイン内戦に使用され改造が加えられ、性能がアップした。
1分間に最大280発が発射でき、射程は水平状態で4800m、垂直で3700m。
陸軍部隊は単独でそして、ハーフトラックに積載されて使われ、海軍では小艦艇から戦艦、Uボートにまで搭載された。
ハーフトラック搭載型は「プライベートライアン」にも登場し、地上戦でも猛威を振るった描き方をされている。

左の写真の4連装タイプの FLAK38 MIT Sd.Ah52はこれを4連装にしたものであり「地獄の4連装」といわれる。対空戦闘はかりでなく対地攻撃にも威力を発揮し、ハーフトラックばかりかW号戦車にも搭載され、対空戦車「メーベルワーゲン」、「ヴィルベルヴィンド」となった。

8tハーフトラックSd.kfz.7に搭載したタイプが「ブラックザウリア」の兄弟分Sd.kfz.7/1である。

クルップボクサー

ドイツ軍が使用した軽トラックである。
「クルップボクサー」の名の由来であるが、54馬力3308t空冷水平対向4気筒エンジンのピストンの動きが互いに打ち合うボクサーのように見えることから付いたものという。
このエンジンは別名「ボクサーエンジン」とも呼ばれた。

再編初期のドイツ軍では種々雑多な車種が使われ、部品の供給に難渋していた。
ナチスが政権を取った後、これを統一し部品の供給をスムーズにするため、1929年6×4軽トラックが競作にかけられ、クルップ社が落札、量産が開始された。
量産は1940年までの期間であり、車両は、大戦前半が主な活躍の場であったが、大戦終了まで使い続けられ兵員輸送、物資輸送、20o対空砲等の軽火器牽引に活躍した。
全長4.9m、幅1.9m、重量は2.6tというスペックを持つ。

8tハーフトラックSd.kfz.7

88mm高射砲や150mm野戦砲の牽引に使用されたハーフトラック。

1932年クラウス・マッファイ社が開発を開始、1937年試作車が完成。

マイバッハ140馬力エンジンを搭載し、最高時速50km、乗員は12名。
悪路走行性能が抜群であり東部戦線で重宝された。取り扱いが容易であり、牽引力も強力であった。

12000台が製造され、37mm対空砲や20mm4連装砲を搭載したものもあった。

ケッテン・クラート sd.kfz2 kleines

「プライベート・ライアン」に登場した小型装軌式オートバイ。
もともとはパラシュート部隊用に開発されたものであり、1940年から量産が行われた。
36馬力オペル・オピンピア水冷直列4気筒OHV1478tエンジンを積み、最高時速70q。
牽引能力4.5tを有した。

初陣は1941年6月のクレタ島空挺作戦であったが、損害が多く、以後、空挺作戦が行われなかったため、製造は一時中断したが、悪路が多い東部戦線からの強い要望で製造を再開し、主に東部戦線で電話線敷設や連絡用に活躍する。
戦争中8435台が作られ、戦後も山岳地帯の農業用に製造が続けられた。

重ロケットランチャー「ホイレンデ・グー」

ケットランチャーといえばソ連軍の「カチューシャ」が有名であるが、この兵器は1942年の夏から登場した。
「カチューシャ」が有翼型であるのに対し、この兵器は後部に26個の傾斜噴射口を設け、回転しながら直進する方式であった。

ロケット弾は重量83kgのTNT50s型(射程750〜1925m)と1kgの炸薬と45リットルの油脂が入った焼夷弾タイプがあり、木枠の発射台から発射できた。
まさに空飛ぶ爆弾であった。
ハーフトラックに搭載されたものもある。