茨城県北芸術祭 IN HITACHIOTA

2016年9月末から2か月間にわたり「KENPOKU ART 2016 茨城県北芸術祭」が開催されけっこう大勢の人が来たという。

「KENPOKU ART 2016 茨城県北芸術祭」のHPを見ると、主旨はこう書かれている。

「風光明媚な海と山が織り成す豊かな自然に恵まれた茨城県北地域は、かつて岡倉天心や横山大観らが芸術創作活動の拠点とした五浦海岸、クリストのアンブレラ・プロジェクトで世界の注目を集めた里山をはじめ、独自の気候・風土や歴史、文化、食、地場産業など、多くの創造的な地域資源を有しています。こうした資源の持つ潜在的な魅力をアートの力を介して引き出すことにより、新たな価値の発見と地域の活性化を図るため、日本最大規模となる広大な「KENPOKU」地域を舞台として、国際的な芸術祭を開催いたします。」

また、総合ディレクターからのメッセージにはこう書かれる。

「芸術祭会場に想定されている茨城県の北部(茨城県北地域6市町)は風光明媚な海浜部と自然豊かな山間部の双方が複合して独自の世界を形作っている。
そこは、伝統的な文化・社会に根ざした生活が営まれている一方で、大都市東京も近く、現代の新しい技術、文化からも至近距離にある。
茨城県内の歴史を振り返ってみると、この地域では江戸の末期から炭鉱が開かれ、日立周辺は銅鉱山、工業・産業が発展し、明治以後の日本の近代化を支えた地域であった。

一方、北茨城の五浦はアジアの美学の重要性を唱えた岡倉天心や横山大観らが居を定め、日本近代美術の発展と深い関わりを持ったことで知られている。
近年では、アーティストのクリストが、常陸太田にアンブレラ・プロジェクトを実現し、先進的なアートの発信が話題になった。
県内には筑波大学や研究所等が所在し、「科学万博?つくば’85」の開催地になった経緯もあり、茨城県は日本のアートと科学技術発展の拠点にもなっている。

そこでこの芸術祭は、茨城の持つこのような先進性に注目し、自然との対話と同時に、最先端の科学技術との協働にも注目をしていきたい。
現代において、美術はもはや絵画と彫刻からなるだけではない。
科学技術を使ったメディアアート、さらに次世代の変革を担う生物学を援用したアートも登場している。
こうしたアートの新しい可能性を紹介することも茨城らしいこととなるだろう。
創造的であることはより良く生きることにつながる。
人間はいつの時代も工夫を凝らし「さまざまなもの」を作り、「技術」を革新してきた。ユニークなアイディア、独自の視点、新たな試みをもって前に進むことは喜びである。
こうした喜びを、アートを通して地域の人々と共有したい。

自然、科学技術、人間性の統合を可能にするのはアートである。
アートこそが、多様な知と創造的な思考、分野を超えた協働と地域に根ざした活動、哲学的視野と生きる喜びを統合して、明日への新たなヴィジョンを開示できるのではないだろうか。
こうした確信の上に立って、茨城県北の芸術祭は、海と山の自然、歴史と生活に彩られた町の中に「驚きと感動」を誘う最先端の芸術作品を招聘し、地域に根ざした「今ここ」でなければ生まれてこない独自の芸術祭を誕生させたい。
そして、地域の人はもちろんのこと、好奇心に満ちた日本の、そして外国の多数の人々に茨城県北の魅力を発見してもらいたいと願っている。」


凄い格調高い文章です。こういう文章書ける能力は凄い。
俺ならウケ狙いの文になってしまうだろう。

多分にこの芸術祭は、地域魅力度日本最低を誇る?茨城県の打開策の1つとして企画されたのではないかと思う。
確かに、茨城の観光地って、どれも地味、数県に居住経験・勤務経験のある 管理人はそう感じる。
しかし、地味=渋いであり、「侘び、さび」はけっこう素晴らしい。
どこか禅的な風景が県北部の山間の田舎に広がる。

東北的要素、奥州的要素も強い。岩手県内で見た風景と似た感じがする。
これは「通」にとってはけっこう魅力的とは思う。
ここの風景に別の要素を組み合わせると面白いのは確かである。

里川沿いの渓谷をバックに開催された「クリストアンブレラ展」などその最たるものである。
しかし、地元の住民はどうかというと、自分の住む場所の魅力にほとんど気がついていない。
県北部の山間を通り越し、那須、日光、草津方面はたまた東北に行ってしまうことが多いのだろう。
そんなこともあり、地元の県民も余り行かないので、地元民に地元を再認識させる目的もあったのではないかと思う。
残念ながら、管理人、色々な事情があり、それをほとんど見ることはできなかった。

でも、県北部の山間は隠れた城を探してかなり歩いている。わざわざ行く気持ちもなかった。
それに、近代アート自体がちと理解できない能力の問題もあるかもしれない。
とはいえ、所用で車を走らせると会場の横を通ることになる。
それらの一部の会場近くを通った時に立ち寄った展示をちょっと紹介。


「ART ZOO」:サファリパークプロジェクト in 常陸太田
「羊飼いプロジェクト」を中心に国内外で多数の展覧会をやプロジェクトを実施する井上信太は、近年、ジャンルを超えたアーティストとのコラボレーションや、劇場、能舞台、茶室など新しい空間での作品発表に積極的に取り組み、平面作品の新たな可能性を探っています。
本展では、松平の広大な丘を舞台に、絵画で作られた動物たちを放牧します。

顔のない4本足の生き物が描かれたおよそ250枚のパネル。三次元の空間と二次元のイメージが交錯する時、鑑賞者に新たなコミュニケーションを誘発します。
国境を越え、ボーダレスな生き方の象徴となる「羊飼い」の生き方に感銘をうけた作家が自ら動物の飼い主となり、私たちを自由な旅へと誘います。」

・・と「KENPOKU ART 2016 茨城県北芸術祭」のHPに書かれていた。

この展示については2016年10月31日のブログ記事にもした。
その記述。
「この会場は山裾の尾根を切り開いて耕作地にしていたようだが、過疎化で休耕地となり会場にしたらしい。
岡の上というより、山の中腹なので眺めはいい。

晴れた日なら素晴らしい風景が拝めたのだろうけど、残念ながら曇天でおまけに日没近い時間帯で逆行ぎみ。
写真を撮るのには悪い条件下。

まあ、これが芸術なのだろうけど、やはり凡人にはついていけない。
現実の問題課題に苦悩し、アクセクしているような人間には「芸術」は縁遠い世界である。
雑念、煩悩が多すぎるのかもしれない。
余裕がないのだろう。
いや、余裕を作り出していないのかもしれない。」

と書きながら、話を「蕎麦」に逸らした。

「ところで、この会場、どことなく「ウ○コ」の匂いが・・。
牛が近くで飼われている訳じゃない。
どこかで誰かが「野○ソ」した?
いや、蕎麦の花なんです。ちょっと「ウ○コ」に似た匂いがするんですなあ。
ここは有名な蕎麦の産地、蕎麦も会場近くの畑で栽培している。

やっぱり、俺には芸術より「蕎麦祭り」が方が理解できるが・・・。
この地、産地につき蕎麦屋さんが多い。全体的にレベルは高く、どこも麺が非常に美味い。
ただし、汁は全体的にしょっぱ目な傾向のところが多く、甘目好きな俺には合わない店がある。
だいたい管理人「ざる蕎麦」を食べるが、この地の郷土食、けんちん蕎麦も美味い。
醤油ベースだが、味噌ベースも特徴があって美味い。
腹減ったあ・・・。美味い蕎麦食いてえ!」
・・・こんな人間に芸術を理解させるのは無理である。

常陸のおお田守る竜神

常陸太田市立図書館に行ったら、市ホールと図書館前の広場に建てられていた。
「KENPOKU ART 2016 茨城県北芸術祭」のHPにはこう書かれている。
「丸太2000本、陶ブロック50000個、スチールパイプ500本を使い、組み上げられた、高さ16メートルにもなる巨大な彫刻は、國安孝昌の手によるものです。
同市内には竜神大吊橋や、水戸徳川家墓所の瑞龍山があり、國安はそこから常陸太田市の守り神としての「竜」をイメージして、この作品を作りました。
竜神は水の神であり、農業を守ると言われています。
たった一人でコツコツと丸太や陶ブロックを積み上げる制作の中で、國安は宗教が始まる前の素朴な信仰を思い浮かべながら、地域の祈りの依り代となり、守り神となるものを作り上げたのです。」

これが芸術か?とセンスがない感想が出てしまうのが悲しい。
つい、これを造るのにどれだけの金、時間と人がかかるのだろうか、つい試算している自分が情けない。
これは芸術なのだ。
時間と人工、費用などは考えてはいけないのだ。
それが凡人の悲しさ、煩悩の塊である。
でも青空と色ずいた銀杏の木とコラボさせれば、素晴らしい光景になる。


サインズ オブ メモリー2016:鯨ケ丘のピンクの窓
「KENPOKU ART 2016 茨城県北芸術祭」のHPにはこう書かれている。
「歴史的建造物をはじめ、レトロな建物が立ち並ぶ鯨ヶ丘商店街。
鯨ヶ丘のシンボル的な建物である梅津会館などの商店街各地で、この地に住む人々の記憶を反映しながら窓をピンク色に変貌させるプロジェクトです。
原高史は、地域の人々とのコミュニケーションを基盤に、言葉をめぐるアプローチを展開するアーティスト。
建物の所有者やそこに住む一人一人にインタビューを行い、各人や地域の歴史から言葉を抽出、そこから発想し描かれた絵を、ピンクのパネルに入れ込みました。
各建物のユニークな窓の形がピンクで鮮やかに浮き上がり、町全体を、過去と現在、現実と記憶が対話するワンダーランドに変貌させます。」



・・・くすんだ色のレトロな街並みに「ピンク」はインパクトがある。
まったく反対色、さすがアーティスト。
この古い街並みをキャンパスにする発想に感心。
俺にゃあ、とてもとても。
その窓にかかったピンクの布、一枚一枚に建物のオーナーさんの街や建物についてもエピソードが書かれる。

それを読みながら街を一周するとこの時間が止まった街並みの歴史が理解できる。
既に時代から取り残されてしまった街だが、ここはタイムマシーンの中の世界なのだ。
昭和に会いたければここで会えるのである。