北海道紀行

サロベツ湿原(北海道豊富町/幌延町)
北海道北部、豊富町と幌延町の海岸線沿いに広がる大湿原。
少なくとも湿原部だけでも30×6qくらいの広さはあるようだ。
見事に何もない。↓は幌延ビジターセンター展望台から見たペンケ沼。

一面の平坦な原野、湿原である。
この広大さ、さすが北海道。

←は幌延ビジターセンターから見た長沼。周囲に遊歩道が整備されている。

数万年前は海岸部の砂丘と東側の宗谷砂丘の間の低地に古天塩川の水が流れ込んでサロマ湖のような湖だったが、川の流れが変わり、泥炭による長い堆積作用によって形成された。

独特の植生が豊富に見られるため、一部の区域は特にサロベツ原生花園と呼ばれることもある。
湿原の規模は200平方kmにも及ぶ。2005年11月8日にはラムサール条約に登録。

語源はアイヌ語の「サルオペツ」(アシの生える川)に由来。
上サロベツ原野と下サロベツ原野に分かれ、後者は利尻礼文サロベツ国立公園の特別保護地区であり、ペンケ沼、パンケ沼といった沼地が点在する。

国指定サロベツ鳥獣保護区(集団渡来地)に指定されている(面積2,560ha、全域が特別保護地区)。
しかし、酪農の発展に伴う農地整備に伴い、乾燥化が進行し、クマザサなど乾燥性の植物が外部から侵入してきている。

また、農地化に伴う泥炭地の排水事業などに伴って、湿原の水位も低下してきているという。
自然再生事業も行われているが、泥炭の形成は1年間に1mmという非常にゆっくりとしたものであり、湿原の再生には長期間を要するという。

豊富町側の原野北側にサロベツ原生花園がある。
かつては今の場所より1.5qほど西にあったが、乾燥化が進み原生花園の植物も年々減少したため、2011年に三井東圧工場跡地である今の場所に移転し、建物と木道もリニューアルした。
サロベツ原生花園には全長1.0qの木道の上からサロベツ湿原の中を歩く自然観察路も整備されている。


↑ 上サロベツ原野。北の稚内方面を見る。
 見渡す限りの草原であり、見事に何もない。

→ はるか利尻富士を望む。海岸付近には砂丘が発達し、牧場がある。

元々この場所で三井東圧が泥炭採掘工場を稼動させていたといい。泥炭産業館がある。
また、屋外に泥炭採掘用の浚渫船と水分分離機が展示されている。この場所の南に採掘跡がある。
原野南側の幌延のビジターセンターの展望台からは原野が見渡せる。

ここから南東側は牧草地や牧場があるが、北が湿地であり、長沼、そして遠く、パンケ沼を見ることができる。
利尻富士が望まれるが、お天気次第である。
(Wikipedia、豊富町・幌延町のHP等を参考)

泥炭採掘用の浚渫船 浚渫した泥炭と水分を分離する水分分離機

オトンルイ風力発電所(北海道豊富町・幌延町)

広大なサロベツ原野の南側、日本海に並ぶ風力発電機群がオトンルイ風力発電所。

オトンルイの語源はアイヌ語で「浜にある道」という意味。

幌延町の風力発電プロジェクトにもとづき、平成12年10月、幌延風力発電株式会社が設立され、日本海に面した浜里地区に建設、10000世帯の電力を供給する。
高さ99mの巨大な風力発電機が3.1qに渡って道道106号線に沿って一直線に28基並ぶ。
これだけの手つかずの土地があったから建設できるのだろう。

1基あたりの出力は750KW、総出力21000KWを発電。
ここから北海道電力幌延変電所へ送電し、幌延市街の約17qの送電線を経由して、年間5000万KW時を送電する。

下から見上げると圧巻である。ここは安定した風が吹くという立地条件があり、それを生かしているという。




オトンルイ風力発電所から道道106号線を少し北に行くと、海側にNの形をした金属製のモニュメントが見えてくる。

この場所がオロロン街道こと、道道106号線が北緯45度の緯度線を横切る場所にあたる。

ちなみに幌延町のキャッチフレーズが「北緯45度の風が吹く町」である。

利尻富士をバックにしたこのモニュメントの写真をよく見るが残念ながら利尻富士は雲隠れしてしまった。
ここの夕陽も絶好の撮影ポイントになっている。
(幌延町のHP等を参考)









道道106号、通称「オロロンライン」を走る。
この道路、市街地から出ると、ほとんど信号がない。50qほど走り放題である。元々、この地方の道路、ほとんど信号がない。あるのは街中くらい。
郊外は走り放題。道も良く、交通量も少ない。
必然的にスピードが出る。
北海道の人口当たりの自動車事故件数、日本一というが、納得できちゃう。

この「オロロンライン」、日本海に沿って走るので西には常に利尻富士が見える。
この稚内地方のどこからでも見える。
この山はこの地方には欠かせない風景である。

よく写真に見る光景が展開するが、夏場の昼間なので、夕日や雪、花がない今のシーズンは写真を撮ってもインパクトに欠ける。
とは言え、雲もなくなり顔を見せてくれたが、それでもなかなかの光景である。美人である。

コニーデ火山であるため、見る方向を変えてもそれほど形は変わらない感じであるが、どこから見ても均整がとれた山で、見飽きない。


←上サロベツ原野の西、日本海沿いから見た利尻富士。
この付近は牧草地になっている。丸い物体は牧草を巻いたものにシートを被せ、発酵中のもの。

ちなみに利尻富士こと利尻山、
北海道、利尻島に位置する単独峰で標高1721mの休火山。
かなり高い。海面から突き出た山ですので迫力がある。
利尻礼文サロベツ国立公園内の山域は特別区域に指定され、日本百名山、新日本百名山、花の百名山等に選定されている。

亜寒帯の高山植物が豊富で、夏季は多くの登山客が訪れる。
約20万年前から火山活動を行い、約4万年前頃に現在の形に近い物となったという。
南山麓で8千〜2千年前以前に起きた噴火でマールやスコリア丘を形成して以降、活動を休止している。
火山活動を休止してからの期間が長いため、山頂部を中心に侵食が著しく進み、火口などの顕著な火山地形は失われている。
(Wikipedia参考)

稚内市街地の西、稚内村から見た利尻富士、島までは約40q、右に礼文島が見える。

↑ 北海道本土と利尻島が最短距離となる地から見る。
島までは幅約20qの利尻水道が横たわる。

←羽田発稚内行のANA機から見た雲の上に浮かぶ利尻富士。









小樽
小樽と言えば、この歌と小林多喜二や伊藤整、そして港、小樽運河・・・
小樽港は樺太やナホトカ、日本海沿岸との交易港そして北海道開拓のための物資荷揚げ港として栄えた。
大型船が岸壁に接岸するタイプではなく、海上に停泊した船舶からの貨物を艀舟に乗せ、貨物の荷揚げを人力で行なったという。

これは戦国時代の堺などと同じやりかた。
そのために造られたのが、小樽運河。
大正12年(1923年)に完成。沖合を埋立て、陸との間に出来た水路、「埋立て式運河」と呼ばれるタイプ。

貨物を艀舟に乗せ、この運河に艀を入れ、周辺の倉庫への貨物の荷揚げを人力で行なった。
最盛期は1300人も働いていたという。

しかし、戦後は樺太等との交易がなくなったため、物流の拠点としても急速に廃れ、この古い方式では効率も上がらず、苫小牧新港、石狩新港などの開港で衰退。
このため、運河は放置され、ドブに変わり、1960年代には埋立が計画された。

これに対して反対運動が起き、半分ほどが埋め立てられて現在に至る。

この間、小樽の街は衰退して行き、1960年代、最盛期20万あった人口は近年は13万まで減少、過疎の町の指定を受けている。
しかし、最近では札幌の衛星都市となり、観光資源としても見直され、銀行街(北のウォール街)とともに外散策路やガス灯が整備され、一大観光スポットに成長し、過疎化に歯止めをかけるとともに、1996年には都市景観100選を受賞した。

運河の両岸に並ぶ煉瓦や札幌軟石造りの重厚な倉庫群は、運河の水面に映えて素晴らしい景観である。

外国からの観光客も多く、こんなところにも中国からの観光客が訪れる。解説も英語、中国語、韓国語と並んでロシア語で表示されているのが特徴。
手宮線は、小樽市の南小樽駅から同市内の手宮駅を結ぶ国鉄線路。
あのアメリカ製の機関車 弁慶号、義経号が客車、貨車を牽引して走った。

北海道初の鉄道で、官営幌内鉄道(手宮 - 札幌 - 幌内)の一部として1880年に開通、1889年に北海道炭礦鉄道に譲渡された後、鉄道国有法によって1906年に国有化。
石炭や海産物の積み出しで賑わった。1958年に旅客列車の気動車化を実施し、1959年9月22日のダイヤ改正時点では9往復が運行されていたが、利用客減少のため1961年10月1日改正で旅客列車は蒸気機関車牽引の客車列車2往復のみとなり、翌1962年5月14日を最後に旅客営業が廃止。

貨物輸送は続けられたが、輸送量の減少により1985年8月下旬から貨物列車の運行を停止、同年11月5日廃止され、現在は一部の線路が保存されている。


美瑛の丘(美瑛町)
旭川と富良野の間にある美瑛町の郊外に広がる農耕地帯、我が家付近とは「田舎の農耕地帯」という点では共通であるが、景観は全然異なる。
こちらは原始の森を切り開いた開拓地であり、ヨーロッパの農村のような緩やかな傾斜の丘に広い畑がある。


畑ことに異なるさまざまな農作物が栽培され、季節ごとに色が変わり、パッチワークのような姿を見せるという。
季節ごとの作物の成長によっても景観が変わるが、厳しい冬は地面の銀世界となり、同じ季節でも天候により景色がまた、異なる。

それに電線とか余計なものがなく、バックの十勝連峰もまた良い。
色々な写真で紹介されているが、単調な景色であるが、まったく異なるような景色に写るのが凄い。


←ケンとメリーの木
↑マイルドセブンの林
←セブンスターの木

この丘にはケンとメリーの木、セブンスターの木、親子の木などのCMなどに使われた有名な木が立っている。

ただのどこにでもある木にすぎないが、周囲に高い木がなく、丘の上にぽつんとあるので目立つ。

その感じが良いらしい。本来は隣の畑の境界を示すために植えられたもの。
それをCM用に使い、木の名前になった。
セブンスターの木は柏の木で、ケンとメリーの木はポプラ。セブンスターの林はからまつ、これらの木も季節や天候で周囲の風景が変わるのでその都度、絵になるという。
ここは1回来ただけでは良さは半分も分らないだろう。

4季ごと、天候、時間帯を変えて訪れないと本当の素晴らしさは理解できないだろう。

登別温泉

北海道でナンバー1温泉といったら「登別」だろう。その知名度は抜群、当然、日本屈指の温泉地でもある。
江戸時代から既に存在が知られており、明治時代以降、温泉宿が設けられてから超メジャーとなった。
語源は、アイヌ語の「ヌプル・ペツ」(水色の濃い川)。
温泉の成分が川に流れ込んだ様子を表した地名である。

登別温泉最大の源泉エリアが「地獄谷」。ここは直径約450mのエリアに、15ほどの源泉が密集。
11の泉質で合計、毎分3000リットルほどの湯が湧き、"温泉のデパート"とも形容されるほど。
宿の風呂も1種類ではなく、数種類の温泉の湯船があるほどである。

その「地獄谷」1万年前に笠山と呼ばれる山が爆発してできた爆裂火口跡である。
原始の地球そのものの荒々しい光景で草津白根山の湯釜や那須岳山頂や殺生河原の景観にそっくりである。
東側の絶壁は「剣ヶ峰」という。多くの噴気孔や湧出孔があり、ガスと高温の温泉が流れている。
地獄谷に流れ込む水や雨も噴気孔などからの熱によって約70℃に熱せられ、温泉の一部となる。
巨大温泉ホテルが何軒もある。昔風のお土産屋さんのある温泉街もあるが、ホテル内ですべてが賄えるので寂れている。



旭山動物園(旭川市)
北海道旭川市にある超有名動物園。パンフには「本能のままに」と書かれていた。
展示方法に工夫がされ、特にチンパンジー、ゴリラ、ペンギン、白熊、アザラシが特筆される。
動物の動きが色々な角度から、水中からも見ることができ、解説付きの食事風景はショー化している。

説明もプロの飼育員がやっているので充実している。
夜の動物園、手作り看板、子供はただ、市民割引等、様々な工夫が凝らされている。
映画などにもなったため、宣伝効果も上がり、大観光地化している。

この動物園、なぜこんなに有名観光地になったのか非常に興味があったが、1つには園の展示工夫であることには間違いない。
しかし、それだけでは絶対無理である。
富良野、美瑛などの面で広がる観光スポットを結んでの観光の相乗効果、そして旭川空港に代表される交通の利便性である。



動物園が開園したのは1967年7月1日であるが、苦難の道であったことは映画でも紹介されている。
当初の動物は75種505点(いちコイ200匹)だったという。

開園当初は40万人ほどだった年間入園者数は、旭川市の発展とともに増加、しかし1983年の約59万7千人をピークに減少。
1994年にはニシローランドゴリラ、ワオキツネザルが相次いでエキノコックス症で死亡するという事態が発生、8月27日で営業を切り上げた。
市民に不安が広がり、入園者減少に追い打ちをかける形となった。

1996年には約26万人まで入園者数は落ち込み廃園の危機に晒されたという。
そこで、ただ動物の姿形を見せるだけの「形態展示」から、行動や生活を見せる「行動展示」を導入で転換を図った。
1997年より行動展示を実現する施設づくりに着手。
同年には巨大な鳥籠の中を鳥が飛び回る「ととりの村」が完成。
翌年以降「もうじゅう館」「さる山」「ぺんぎん館」「オランウータン舎」「ほっきょくぐま館」「くもざる・かぴばら館」と毎年のように新施設をオープンさせ、ペンギンのプールに水中トンネルを設ける、ライオンやトラが自然に近い環境の中を自由に動き回れるようにするなど、動物たちが動き、泳ぎ、飛ぶ姿を間近で見られる施設造りを行っている。
冬のペンギンの運動不足解消から始められた散歩は人気イベントで、積雪時に限り毎日開催される。

このほか、食事時間を「モグモグタイム」と題し、動物の行動を展示する催しも行うようにした。
2005年11月15日、NHKの番組「プロジェクトX 挑戦者たち・旭山動物園ペンギン翔ぶ」に取り上げられた。

また、2006年5月13日には、フジテレビ系列で旭山動物園をモチーフとしたスペシャルドラマ「奇跡の動物園 旭山動物園物語」が放送、
次いで2007年5月11日、2008年5月16日に続編が放送された。
これらの宣伝効果もあり、園の努力は年間入場者数増に結びつき、2005年度は206万人、2006年度は304万人を記録。
旭山動物園の行動展示は今後の動物園展示の指針として国内外の動物園関係者が視察に訪れるなど注目されている。


白金温泉【美瑛町)

旭川に近い美瑛町の十勝岳の山麓にある温泉。
比較的新しい歴史の温泉であり、戦後に発見、開発された。標高700m、美瑛川を十勝岳方面に遡って行く。その間が白樺並木の道路である。
以前、この付近には大正初期頃に十勝岳中腹(現・十勝岳望岳台付近)に「丸谷温泉」、現在の白金温泉付近に「畠山温泉」があった。

しかし、両温泉は大正15年の十勝岳大爆発により泥流に呑まれ全滅してしまう。
戦後、1950年(昭和25年)8月に温泉が湧出し、温泉開発に成功する。

その当時の町長が「泥の中から貴重なプラチナ(白金)を見つけた思いがする」と述べたことに由来して、白金温泉と命名されたという。

芒硝泉で源泉温度は46〜55℃、神経痛に対する効能が高く、「杖忘れの湯」と言われる。
温泉の色は鉄分を含み、湧出直後は無色透明であるが、空気に触れると徐々に酸化されて褐色に濁る。
温泉街の北は美瑛川の深い渓谷。川に温泉が流れ込み、川底の色が神秘的なブルーなのだ。

今でも十勝岳噴火の警戒区域にあり、火山防災センターもあり、平和な温泉という訳じゃないのである。