神戸紀行

神戸異人館街

「こおべえ、ないてどうなるのか〜」・・て、内山田洋とクールファイブの名曲「そして神戸」。
なお、うちの子、「内山田洋」と聞いたら「GTOに出てくるいつも愛車のクレスタを鬼塚にぶ壊されるあの教頭かあ?」って反応。
まあ、そのネーミングのモデルらしいけど、今じゃあ、そんな認識かいな。
・・・それは置いておいて、2010年10月8日、神戸に来た。
かあちゃんと中高生のころの修学旅行のやり直しで。

あの茨城空港からの唯一の国内便のスカイマーク機で。わずか1時間半で到着。早いもんである。
神戸空港↑に着いたのであるが、ここも関空と同じ洋上空港。よく埋め立てたもんだ。
関西地区に関空、伊丹を含め3つも空港があるけど、どうなのかな?
さすが、便数はそれなりに多い、日本各地に飛んでいる。
飛行機は西の明石方面から海岸沿いに明石海峡大橋を見ながら高度を下げて神戸空港に着陸する。

空港からはポートライナーで三の宮に。↑は神戸空港から見たポートアイランドと神戸市街。

出張で何度か来たが、久しぶりの神戸。
前回来た時は新神戸駅前に白いベンツがずらり、サングラス、黒ネクタイの大勢の怪しい男が・・その近くには機動隊が・・思わず息を呑む光景に遭遇した。
そんな思い出が。
ポートライナー終着駅の三の宮、もう、ここにでは震災の影はほとんど分からない。
ここからは繁華街、元町はすぐだが、そんな所、おじさんには合わない。
そんで、まだ、行ったことのなかった「異人館街」に。

正確には「北野異人館街」という。
江戸末期の開国で神戸港が開港され、外国人が居留し始めたが、はじめは港近くに居留地があったというが、明治末期、より見晴らしが良い山手の北野村に外国人居留者が住むようになり、明治末期から大正にかけて、多くの住宅が建てられという。

最盛期は100棟以上があったというが、戦災、老朽化、都市計画等で失われ、現在は20棟あまりが存在するだけになっており、今は重要伝統的建物群保存地区に指定され、保護されているとのこと。
予想以上の坂の町である。しかも道が狭い。
車も入れないような場所が多い。まあ、車が発達する前から存在していた町なので道が狭くて当たり前。
車を持っていれば、運転もそうだが駐車場にもかなり苦労しているのだろう。

建築工事や改装工事の車両、どうやって入るのだろうと余計なことを考える。
この異人館街もさすが神戸の観光地、平日なのに観光客が多い。
(もっとも、日本の平日には無関係な中国からの観光客が多いのだが。)
20棟近くが公開されているが、やはり入館料は高い、大体500円程度はする。

建物を維持するのはこれくらいかかるのだろうけど、堪らない。
さすが内部は金を取るだけ、整備はされている。でも、各地の洋館と中はそれほど違いがある訳ではない。どれを見ても差はない。
それより外観の個性の方が感じられる。
坂に建つので見回っているうちに足にくるのである。下はコンクリートで固いし。じじいだねえ。


風見鶏の館
ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデ(G.de Lalande)の設計によりドイツ人貿易商ゴッドフリート・トーマス氏(G・Thomas)が自邸として建てた建物。
北野の異人館のなかで、赤レンガの外壁の建物としては唯一のもので、色鮮やかなれんがの色調、石積みの玄関ポーチ、2階部分のハーフ・ティンバー(木骨構造)など、他の異人館と異なった重厚な雰囲気を持つ。(でも、何となく木造に見える。)

風見鶏がよく知られ、象徴になっているが、風見鶏は風向きを知る役目以外、雄鳥は警戒心が強いことから魔除けの意味や、またキリスト教の教勢を発展させる効果も持たせたという。
1階に玄関ホール、応接間、居間、食堂書斎があり、2階に夫妻の寝室子供部屋、客用寝室、朝食の間などがあった。

内装はドイツの伝統様式をベースに、19世紀末から20世紀初頭にかけての新しい芸術運動(アール・ヌーヴォ)の動きを取り入れ、1階各入口扉に付いている把頭飾り、応接間のシャンデリア、書斎腰板の風刺画などにその傾向が伺えるという。
この館は、昭和58年12月より 昭和60年3月にかけて本格的な保存修理を行い、可能な限り元の姿に戻した。



萌黄の館

明治36年(1903)アメリカ総領事ハンター・シャープ氏の邸宅として建築された。

木造2階建て下見板張りの異人館で、2つの異なった形のベイ・ウインドー(張り出し窓)を始め、アラベスク風模様が施された階段、重厚なマントルピースなどの意匠が見られる。

その後、昭和19年(1944)に小林秀雄氏(元神戸電鉄社長)の住宅となり、昭和55年(1980)に国の重文に指定され、「白い異人館」と呼ばれていたが、昭和62年(1987)からの修理で建築当時の淡いグリーンの外壁に復元されてた。

ラインの館

大正4年(1915)にフランス人J.R.ドレウェル (J.R.Drewell) 夫人の邸宅として建てられ、その後、ドイツ人が居住していたが、近年神戸市が所有者となって一般に公開されている。

木造二階建下見板張りオイルペンキ塗りで、開放されたベランダ、ベイ・ウィンドなど、明治時代の異人館の様式を受け継いでいる。

うろこの家
明治38年(1905)頃、神戸旧居留地に外国人向けの高級借家として建設され、大正年間に北野町に移建された。
後にドイツ人R.ハリヤーの住居となったため旧ハリヤー邸とも呼ばれるが、建物の外壁と多い天然石のスレートが魚のうろこに似ているところから「うろこの家」という通称の方が一般的である。
館内のインテリアも昔のまま。
館内には、骨董家具、調度品やとともにマイセンをはじめとする陶磁器、エミール・ガレやティファニーなどのガラス工芸品が展示されている。
国の登録有形文化財。
隣接の「うろこ美術館」には、ヨーロッパとロシアの絵画があり、マチス、ユトリロ、キスリング、ビュッフェ、トロワイヨン、ワイエスら高名な画家の作品が展示されている。



山手八番館

大正時代、サンセン氏の自邸として建設された。
チューダー様式の塔屋が3棟連結する個性的な外観で、入口上部のステンドグラスも特徴。

館内はロダン、ブールデル、ベルナール、レンブラントをはじめとする西洋の彫刻や東アフリカ、マコンデ族の異色の木彫や原始美術、ガンダーラやタイなど日本の仏像のルーツとなる仏陀や菩薩像など、古今東西の版画、彫刻(仏像含む。)が混在して陳列される。

部屋ごとに全く違う世界が展開し、館をひと通り見た後はこのごった煮状態に何となく混乱する。

イギリス館

イギリス人が建て、イギリス人フデセック氏が住み続けた洋館であるが、外観の様式はイギリス調ではなく、古きよきアメリカ調。

しかし、内部の装飾・家具は完全にビクトリア時代のイギリス調。

内部にはバーカウンターなどがあり、夜はバーに変身する。

世界の銘酒千酒を集め、盃はフランスの名器バカラにこだわっているという。

パナマ館

元パナマ領事のカルロス氏の執務室であり、住居でもあった。

食堂、寝室、書斎、サンルームが連なっている。
白亜の壁に緑の柱や桟が映えるトロピカル調の建物は、おそらくパナマ船が入港するとパーティが開かれたのであろう。

船の模型も展示されている。また、マヤと中央アンデスで発掘された土器や土偶のコレクションが展示されている。
オランダ館(旧ヴォルヒン邸)
旧オランダ領事館として使われていた大正中期の寄せ棟造りの建物。

1階には現在では数台しかないという150年前のオランダ製自動演奏ピアノ「ピアノ・ラ・ピアノ」 、木靴、デルフト焼きの陶器類が
展示され、香水が調合して売られる。

オーストリア館
北野外国人倶楽部
旧フリューガ邸
フランス館 パラスティン邸
明治末にロシアの貿易商パラスティン氏の邸宅として建てられたもの。外観が白と緑のツートンカラー。1階は喫茶店となっている