風神山(日立市大甕町/常陸太田市亀作町)
風神山(標高241m)は、日立市と常陸太田市の境、阿武隈山地の最南端にある山。
この山の南には東海村から水戸にかけての一面の平地が、西には常陸太田、那珂市方面の平地が、そして東は雄大な太平洋が広がります。

この山は3方向が平地または海という地形上、南から吹く温帯風、北から吹く寒帯風がぶつかり、風が強く、風神山と名付けられたそうです。

今、この山の山頂部には、NHKの無線中継基地のアンテナなどのアンテナ群が並び目立ちます。
これも3方向が平地と海だからです。
ここのアンテナから出される電波でTVを見ている人口が80万人というから凄いです。

左の写真は西から見た風神山山頂のアンテナ群です。

アンテナ施設周辺一面が公園化されています。
アンテナがあるくらいですから、車で頂上まで行くことができます。
ここからは、日立の市街地、太平洋、東海村の原子力施設群が望めます。
筑波はもとより条件が良ければ富士山、浅間山も見えます。
その風景はまさに絶景です。
民放のTV中継アンテナ NTTの電波中継アンテナ NTTの電波中継アンテナ NHKのTV,FM中継アンテナ
北東の日立市中心部方面の眺め。
雄大な太平洋が広がる。
南方面東海村方面の眺め。
大きな煙突は東電ひたちなか火力発電所。
その右が東海村の原子力施設群。
川は久慈川。
左下の森が久慈城跡。
東下の水木の町並みと太平洋。
中央部の森が泉神社。
山頂に守護神として江戸時代に「風神の石像」と「雷神の碑」が建てられ、これが風神山の象徴となっています。
ここに鬼が住んでいたという里人の言い伝えも有りますが、これが大甕神社の謂れとつながるものなのでしょうか。

雷神の碑は、石の表面に別雷皇太神宮という文字が。 別雷さんと言えば、電気の神、工場などでも電気関係者は良く参拝し、御札が置かれています。当然、雷の神ですが、一方では稲を実らす神とされています。

風神は大理石である寒水石に風袋をかつぎ山頂に立つ姿の風神像が彫られています。
手の指は東西南北を表す意味から四本指。風神は名誉福徳を与える神ですが、後に西北の守護神とされています。
両神は昔から五穀豊穣、海難回避を祈願された神と言われて、地元の漁師や農民が参拝するそうです。

また、この山は、植物の豊庫で、4月下旬には、スミレ、チゴユリの群落、ホトケノザ、ノバラ、ヒメオドリコソウ、シャガ・・など見られ、季節折々に咲く野の花が楽しめるそうです。尾根を北に向かうと真弓神社を経由して高鈴山方面へ至る日立アルプスハイキングコースが続いています。

この風神山、戦争遺跡でもあります。
ここには重砲観測所や防空監視所があったそうです。
重砲観測所はちっとも分りませんでしたが、防空監視所はどうも上の写真の山頂付近だった感じがします。
周囲に土塁のようなものがありました。
でもそんな歴史はほとんど知られていないようです。

さらに風神山、ある事件に登場します。
昭和53年10月に起きた女子中学生誘拐殺人事件の現場です。
その後、ここで首吊り自殺した人いるとかで、心霊スポットとも言われるとか。
夜景も綺麗だそうですが、管理人みたいな人間は夜は行かない方がいのかな。

御岩山(日立市入四間町)
日立市の入四間(いりしけん)に御岩神社がある。
その東の山が賀毘礼(がびれ)の峰の別名を持つ標高492mの御岩山である。
もちろん、この山、御岩神社の御神体そのものである。

山と言っても独立した山ではなく、阿武隈山地南端部の神峰山から高鈴山、真弓山、風神山に通じる尾根の1つのピークに過ぎない。
この山は「常陸風土記」に賀毘礼の峰として登場する由緒正しき山で、古代からの信仰の山であり、常陸最古の修験の山であったという。
しかし、その山がどこを指しているか、論争があり、神峰山説、御岩山説、高鈴山説、真弓山説があったという。
現在は御岩山であるというのが定説になっているが、岩だらけの山はここだけということと、山頂周辺で発見された遺物である。
かつての調査では石鏃、岩板、石斧、土師器、須恵器が発掘されており、信仰は縄文時代にまで遡るとも言われている。

おそらく古くからの祭祀遺跡であり、それが常陸風土記の記述となり、修験場となり、佐竹氏や水戸徳川家の信仰を集め、さらに伝承が今に受け継がれているのであろう。
この山が信仰の対象になったのは、山の西側の住民から見れば、太陽がこの山から顔を出すことによると言われる。
いわゆる太陽神信仰ということであると言われる。

西側の入四間地区から見た御岩山 御岩神社からの登り道の合流。
本山トンネル開通前の幹道。

天狗党も日立助川からこの峠道を越え京に向ったという。
山頂部の巨岩
山頂部の巨岩 岩場から見た八溝方面 ここが本当の山頂、岩場より少し南。

この御岩山、登るルートはいくつかある。
西の山麓の御岩神社から登るルート、北の本山から登るルート、高鈴山から縦走するルートなどである。
その中でもっとも楽な本山からのルートで登った。
現在、本山と入四間を結ぶ峠には標高380m地点に本山トンネルが貫通しているが、その上にある標高430mの旧道の脇から山に入る。
旧道のトンネル跡のすぐ南が登り口である。
ここから1kmほど尾根を歩くと御岩山である。

この道、ハイキングルートとして整備されており、山城に行くのとは比較にならない快適な道である。
肝心の御岩山山頂付近は巨岩が林立している。
さすがに山岳修験場にふさわしい雰囲気である。
オーバーハングした岩などもあり、ロッククライミングも行われているらしい。
しかし、岩場の部分はそれほど広い範囲にわたるということではなく、ちょっと拍子抜けであった。
岩場からの眺めも抜群であるが、やはり真冬の朝などじゃないと遠くまでは見えない。ここからは太平洋や筑波山、富士山も見えるらしい。

高鈴山
茨城県日立市と常陸太田市の境にある山。
標高は623m。御岩山経由で歩いてきたが、快適なハイキングコースであり、楽ちんそのもの。

北の神峯山(598m)から御岩山を通り、高鈴山を経由して多賀山地南端の風神山(241.9m)にかけての山地が続く。
その最高峰が高鈴山である。
しかし、なだらかな山であり、全然、目立たない。目立つのは山頂のレーダー雨量観測の巨大なコンクリート製のタワー、電波中継塔など。
当然、車でも登れるのだが、一般車両は進入禁止。
しかし、展望はすばらしく、条件次第で、太平洋、筑波山・加波山、奥久慈男体山、八溝山、那須岳まで見れるという。
また、花の百名山に取り上げられ、特にセンブリの山として有名。
この山、一帯は日立変成岩とよばれる古生代・石炭紀〜二畳紀の火山岩起源の緑色片岩や石英片岩などの結晶片岩からなる。
山頂部分は緑色片岩よりやや硬い石英片岩からできている。
山頂部分は、古い時代に形成された阿武隈高地の小起伏面の残丘にあたり、なだらかなのだという。
この山の北側が日立銅山、ここの結晶片岩地域には、黄鉄鉱や黄銅鉱を産出する含銅硫化鉄鉱床があり、高鈴山の地下にも坑道が延び、本坑・赤沢・高鈴鉱床があったという。
しかし、最盛期には人口7,000人の町が山中の本山にあったが、昭和56年、閉山。本山の町は寂れ、今の人口は数十人とか。
鉱山鉄道や施設、アパート、学校も撤去され、自然の山にもどりつつある。

南西町屋地区から見た山頂部 北側、御岩山から続く快適な遊歩道。 北側の尾根道からは山頂部が見えてくる。
右は山頂にある気象観測塔。
下は山頂部の広場と電波中継塔。
交通の便がよく休日は多くのハイカーが訪れる。

本山の一本杉(日立市宮田町)

茨城県日立市の山間、本山を通る県道36号線沿いある杉の木。樹高約34m根回り周囲4.35m。
「本山の一本杉」として日立市指定天然記念物にも指定され、しめ飾りがあるように神木として奉られている。
なんとこの杉、県道36号線の道の真ん中に生えている。
杉の両側が車線である。樹齢約450年であり、「昔は三本杉であった」や、「二本杉であった」などの話が伝わる。
一本になった理由も「工事会社によって切られた」や「暴風雨によって倒れた」等これも諸説ある。
本当は、三本杉だったものが、明治35年(1902)秋の大暴風雨で二本が折れ、一本だけ残ったというのが真実らしい。
有名な心霊スポットであり、話には尾ひれが付き、「杉を切った、もしくは切ろうとした人に怪我・病・事故で死んでしまったり、災いが起こる。 」
とか「元は二本杉であったが、工事会社の人が切ったら、その後に、なぞの病、もしくは事故により死んでしまった」とか
「車線を逆走したら事故にあう。」とか、様々な話がある。
しかし、この付近、山の中のカーブの連続で元々、事故が多いのも事実、また、日立鉱山の跡でもあり、鉱山事故で死んだ人もいた。
さらには歴史の闇に埋もれているが、戦時中日立鉱山に徴用されて死んだ(反乱を起こし虐殺されたとも)朝鮮人の話も伝わる。
それらの話がこの杉と関連つけられて伝えられているともいう。
し、しかし、管理人の部下はここで見ている。霧雨の降る深夜2時、日立市での用を済まし、近道のこの県道36号を通って、金砂郷の自宅へと車で走行中、この杉の根元にうずくまっている白っぽい服を着た人物を見た。
・・思わずゾクとしたが、いまさら引き返す訳にもいかず。
そして、すれ違いざまに、その人物を横目で見ると、その人物は顔をあげ、彼を・・・ジロっと見た。
その表情は・・・。彼は悲鳴を上げ、全速力で本山トンネルに・・。
ここでは首なしライダーの目撃もあるとか・・?

旧本山トンネル(日立市宮田町/入四間町)

現在、日立市中心部と入四間地区は平成元年に開通した全長924mの本山トンネルで結ばれ、快適そのもの。
しかし、かつてはもっと山の上の方にくねくねした狭い旧道が通り、旧トンネルがあった。
全長100m、幅員4.2mという規模であった。
管理人も通ったことはあるはずであるが、ほとんど記憶がなくなっている。
そのトンネル、御岩山に登るついでに行ってみた。
この旧道と旧本山トンネルは、日立から栃木県宇都宮へ軍需物資を運搬するため戦前に造られた軍事道路として建設された。
そのため、かつての通称が「防衛道路」。
それ以前、車が通れる道はなく、「御岩神社」の境内から御岩山を通っていたという。
それが幹道であり、天狗党も日立助川からこの峠道を越え京に向ったという。
その旧トンネル、いやあ、たった23年で完全な廃墟に、すでに入口はコンクリートで塞がれ、道路は草茫々。
不気味そのものである。
ここも有名な心霊スポットである。
鉱山事故とか、戦時中の朝鮮人強制労働で死んだ人の亡霊が出るとか、一本杉もそうであるが、この付近一帯はほとんど心霊スポット地帯である。