千葉紀行
千葉の名所と言えばやっぱり東京ディズニーリゾートでしょう。
でもTDL、TDSをここで取り上げてもねえ。
かつて管理人、千葉に住んでいて、色々なところに行った。
でも、撮った写真、デジカメ時代じゃなく、HPじゃスキャンしないと使えない。

成田山新勝寺(成田市)

成田山新勝寺と言えば、初詣、節分には必ずニュ−スに登場する。

初詣には250〜300万人が来るというが、これは明治神宮の次ぎ、国内2位だそうである。
でも境内はそれほど広い訳ではない。
右のイラストのように門前町の通りも狭い。
こんなところにそんなに大勢の人が来たら、全然身動きが取れない。よく事故が起きないものである。
そこにあつツアーで、このくそ暑い夏に行った。気温、33℃。まず、駐車場から歩くだけで嫌になる。
境内は人は多くないが、中国語が飛び交う。半分は中国人観光客らしい。たまに欧米人が。
宗派は真言宗智山派、その大本山。本尊は不動明王。
建立は平将門の乱の際に朱雀天皇が乱平定のため、天慶2年(939)、寛朝大僧正を東国へ遣わしたことに起源を持つという。
寛朝は京の高雄山神護寺の護摩堂の空海作の不動明王像を奉じて東国へ下り、翌年、乱平定祈願のため不動護摩の儀式を行い、これを開山としているが、その場所と今の場所、余り関係ない感じ。

今の地に寺が建ったのは、それからはるか後の戦国時代、永禄9年(1566)頃という。
成田村一七軒党代表の名主が不動明王を現在の場所に遷座し伽藍を建立、そして「また新たに勝つ」という語句に因み新勝寺と名づけたという。
しかし、戦国時代のため寺は興隆しなかった。

江戸時代には、江戸で成田不動の「出開帳」を行うことで信仰を集め、さらに、歌舞伎の市川團十郎が成田不動に帰依して「成田屋」の屋号を名乗り、不動明王が登場する芝居を打ったことなどもあいまって、成田参詣が盛んとなり、現在に至る。
凄腕の経営者が寺にいたのである。

その新勝寺、本堂はぜんぜんいただけない。
入母屋造り二重屋根の鉄筋コンクリート造で、規模は間口95.4m、奥行59.9m、棟高32.6mと巨大なもの。
1968年の建築。

その周りに古い味のある建物がある。

いずれも江戸での開帳で大儲けし、興隆を極めたころに建てられた江戸時代末期の重厚な建築である。
建物の陰から岡引が出てきても違和感がない。
まず、仁王門、国重要。
入母屋造の八脚門で、天保元年(1830)の建立。
この門をくぐると、両側に池があり、亀が沢山いる。
亀の形の池があり、そこにも亀が。

左の写真の三重塔、これも国重文。正徳2年(1712)の建築。
高さ25mとそれほど大きくはない。
江戸時代の建築であり、室町建築の三重塔に比べると彫刻満載で派手。

軒裏には垂木を用いず、雲文を刻んだ板で軒を支える板軒とする。
初層は各面の中央を扉とし、その両脇の柱間には十六羅漢の彫刻を施す。
釈迦堂、国重文。大本堂西側に建つ入母屋造の仏堂で、安政5年(1858)建立の旧本堂。
やっぱり、こっちの方が良い。屋根正面に千鳥破風を付ける。堂の周囲には二十四孝と五百羅漢の浮彫が施されている。

仁王門 本堂 釈迦堂(旧本堂)

航空科学博物館(山武郡芝山町)
成田空港開港協力の見返りに昭和52年に地元芝山町が運輸省に作らせたということになっている。
でも、それをきっかけに運営主体の(財)航空科学振興財団を設立し、運輸省が天下り先を新たに創設したというのが本当だろう。
そんなこんなで平成元年8月に開館した。
一応、主旨は「国民に航空の歴史を伝えるとともに、航空に対する理解と認識を深め、特に青少年に対し航空に関する科学知識についてその啓発を図り、もって航空思想の普及及び航空科学技術の振興に寄与し、あわせて我が国の航空の発展に資することを目的に、総合的な航空思想普及施設として「航空科学博物館」を建設することとした。」なんてもっともらしいことを謳っている。
役人さん、文章上手いねえというかワンパターン。

 YS-11試作1号機、アンリ・ファルマン複葉機の実物大レプリカ、DC-8のフライトシミュレータ、ボーイング747の客室の実物大モックアップ、成田空港の模型などが展示されているし、成田空港からの離陸が真下から見れるので、子供や飛行機好きにはそれなりに楽しめる。
興味ない人にとっては全くつまらないだろう。管理人が一番感銘を受けたのは、古今東西の航空機の模型展示、プラモデル主体であるが、見たこともないものも。でも、ほとんどの機種名がすらすら言える管理人って・・・。
ゼロ戦の実物かなんか展示してあれば嬉しいねえ。

ボーイング747の模型、今じゃあ、高燃費で敬遠され・・・ 歴史的名機YS11これは試作1号機。
航空科学博物館外観 ボーイング747のエンジン模型 これは富嶽のエンジン、羽田沖で発見。

犬吠埼(銚子市)
千葉県銚子市の太平洋に突き出た岬。
関東平野の最東端、利根川河口の少し南に位置する。
犬吠埼灯台が立ち、付近は水郷筑波国定公園に含まれ、風光明媚な崖状の海岸線が広がる。(海食が進んで崩壊の危険性があり、立ち入り禁止の場所が多い。)
高浜虚子、国木田独歩、佐藤春夫などの文学者が訪れ、歌碑、詩碑が立つ。
海岸部としては日本国内で最も早い初日の出を拝むことができる場所として知られ、正月には中継も行われる。
岬の名前「犬吠埼」の由来は、義経の愛犬「若丸」が岬に置き去りにされ、主人を慕う余り、7日7晩鳴き続けたことから犬吠(犬が吠く)と名付けられたという説が有名。
かつて一帯にはアシカ(ニホンアシカ)が繁殖しており、その鳴き声が犬に似ていたことから、犬吠埼と名付けられたという説もある。

ここは、小島・岩礁が多く、昔から海の難所で、1868年10月6日(慶応4年8月21日)、幕府の軍艦「美賀保丸」が暴風雨に遭い、ここの黒生岩礁に乗り上げて座礁沈没、乗組員13名が死亡するという事故も起きていた。
このため、イギリス人灯台技師、リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計、施工監督のもと、灯台の建設を開始し、1874年(明治7年)11月15日に初点灯した。
白色塔形(円形)煉瓦造灯台で、煉瓦は初の国産で現在の千葉県成田市高岡で焼かれ、19万3000個を使用。120年以上の風雪に耐え今日に至っている。
高さ31.3m、煉瓦製の建造物としては尻屋埼灯台に次ぐ、日本第2位の高さ。
歴史的文化財的価値が高く、国の登録有形文化財にも登録されている。
ここには3回ほど来たが、3回とも靄や霧で景色がはっきり見えなかった。
晴れていれば、地平線で地球の丸みが分かるというが・・。

犬吠埼灯台 崖状の断崖が続く海岸 ギザギザの洗濯岩が重なる岬直下の海岸