チン電(日立電鉄線)
茨城県常陸太田市の常北太田駅と日立市の鮎川駅とを結んでいた営業キロ数18.1kmの鉄道。
1928年(昭和3年)開業。1947年全線が開通。
以後、常陸太田市と日立市との間の輸送を担った。
JR常磐線大甕駅とJR水郡線常陸太田駅と接続されているための乗り換えにも便利であった。

しかし、乗客の減少による収入不足と橋梁などの設備更新の経費がかさむことなどを理由に2005年3月31日限りでの廃止された。
日立製作所関連の企業への通勤客、河原子海水浴場への客などで賑わい、ピークの1961年には717万人の利用があったが、廃線時の2004年には140万人の利用であった。
日立電鉄も色々な工夫で集客の努力をしたが、回復はならなかった。

この乗客減少の理由の最大の理由は、全国のローカル線苦戦共通課題である自家用車の普及である。
さらにバブル崩壊後、日立製作所と関連会社が大リストラを実施したことも大きい。
これにより、通勤者減少、沿線住民減少を招き、乗客減少に輪をかけ、それを運賃値上げとのいたちごっこが加速した。

さらに、致命的な欠陥として、常磐線日立駅と常陸多賀駅の中間の鮎川が終点であったという中途半端なことである。
路線があと3Km長く、日立駅に接続されていたなら、並行して走る常磐線を補完し、多くの駅があり、沿線住民も多いという長所を活かせ、日立駅へのアクセスが容易となり、利便性が上ったと思われる点である。
もしこれが実現していれば、シャッター通りと揶揄される日立市の商店街もより活性化できたはずである。

常陸太田市小目館の下を走る「チン電」
2004.12.18
常陸太田市岡田館の下を走る「チン電」
2005.2.27
常北太田駅に駐車するチン電
2005.1.9

廃止直前の時期には、通勤客が離れてしまったため、高校の通学利用がかなりの割合を占め、この路線で通学した生徒に係る高校は11校にものぼった。また、沿線の大学は2校あった。
このため、日立電鉄線の廃止が発表された時は、高校生らの間で同線の存続を訴えた活動が起き、これがニュースとなった。

なお、高校生の間で言われ始めた愛称が「チン電」。
語源は分からないが、チンチン電車のようにゆったり走る姿から来たものだろうか?
この愛称が一般化し、この地方では全て「チン電」で通じるようになった。

廃線後、バス便が増発されたが、日立市から常陸太田の高校への通学、またその逆ルートでの通学が激減し、高校の通学地図が激変した。
とは言え、廃止年度2004年の輸送密度は1303人/日であり、それほど低い値ではなく、これ以下の輸送実績で現在も運営されている中小私鉄は多数あるという。

この鉄道の車両には各地のJRや私鉄の車両が使われ、様々な種類が見られた。
地下鉄銀座線、小田急、西武等の旧タイプの車両がここで再就職していた。
なお、運転手の何人かは廃線後まもなく開業したつくばエクスプレスの運転手にトラバーユしたという。
日立市内は比較的住宅地の中を走る都市の私鉄という感じであったが、久慈浜ー常北太田間は、典型的な田園地帯をトコトコ走る田舎の鉄道という感じであった。その姿は廃線時でも昭和40年代の姿であった。このため、多くの映画やTVドラマのロケにも使われた。

管理人は、この鉄道は出張や飲み会の時くらいしか乗ったことがなかったが、味があって好きだった。
何が好きかって?この鉄道には昭和30年代の懐かしさを感じさせる雰囲気があった。

左の写真は岡田駅を発って小沢駅に向かうチン電。廃線真近、後ろ姿が冬の夕方ということもあってか寂しい。
2005年1月22日撮影。
下の写真は左と同じ撮影方向を2010年8月28日に撮影したもの。寂しい限り・・・
最大の難所 大橋架橋 2005年2月27日撮影 常北太田駅跡 2008年12月29日撮影 廃線跡 岡田駅東 正面の岡が小目館、左の山が岡田館 2010年8月26日撮影

廃線の時は、大事な何かを失うようで、本当に悲しかった。廃線直前は全国から「てっちゃん」が押し寄せ沿線は大フィーバー。
しかし、もう、この私鉄は忘れられつつある。
今、訪れるのは廃線マニア位だろうか?下左の写真のようにすでにレールは剥がされ、現在ではプラットホームも完全に撤去されている。

日立電鉄の最大の難所は上左の写真の大橋架橋。現在、線路も橋脚も撤去されて完全にその姿がなくなった。
ここは日立市と常陸太田市の境界付近に当たる。
北に山が迫り、南に川があるため、その間の民家の上を高架で走っていた。
この高架が結構怖かった。

橋脚間に2本のレールが渡されているだけの状態でガードも何もなかった。
電車が通る度、今、地震が来たらどうするんだろうと思った。
電車もこのため、ここは時速15q程度の低速で通過した。
当然、「てっちゃん」達の最高の撮影スポットであった。
下の道路は陸前浜街道、旧国道6号である。
宿場町であるため、この高架の下で道はクランクしており、車にとっても難所である。