中牧城(長野市信州新町中牧石津)
信州新町牧之原から県道12号線を南進した中牧地区下石津にある。
大月城のある中牧神社のある山から北西に延びた尾根の末端部にあり、標高は570m、北西下を流れる犀川からの比高は140mである。
城址碑が北側にあるのだが、そこから城までどこから登っていいのか分らない。

おそらく西側、尾根の先端から登る道が有りそうであるが、それは後で気が付いた。
東西に長い尾根状の山で北側から登ろうとしたのだが、とんでもなく急勾配である。
竪堀も何本か下っている。
山の麓をうろちょろしたが、結局、登る道は見つからない。結局は急な尾根を強行突破しかない。で、息をきらして高度30mほどをよじ登る。
竪堀があるので、斜面の横移動もできない。
今だに横堀の機能を発揮しているのである。
ようやく、出た尾根部は城の東側、ほぼ城外に近い場所である。
城の主体部分はこの西側の高度が下がった部分であった。


@本郭南側の鞍部、写真の先に本郭の土壇がある。 A本郭内部
B本郭北側をS字を描いて下る竪堀。 C@の鞍部南側は段々状に曲輪が重なる。

尾根の東は大月城付近まで比較的幅のある歩きやすい尾根が続いており、尾根上が比較的安全な道であったことを伺わせる。
城跡付近になると尾根幅は広くなり緩斜面となるが、切岸の高さが3mほどに加工した人工的な段々の部分Cが3つほど現れる。
そして長さ、幅40mほどの鞍部@がある。

その先に高さ5mほどの土壇があり、そこの西側が本郭である。
本郭Aは南北15m、東西20mほど。
西側が堀になっており、さらに西側の尾根に曲輪を展開させながら高度を下げる。
本郭の北側には帯曲輪があり、竪堀Bが湾曲しながら下る。
城主はこの地の土豪中牧氏と言われる。
中牧氏は戦国時代、武田氏に従うようになっていたようであり、牧野島城の整備にも動員されていたらしい。
牧野島城の南の防衛拠点でもあったのかもしれない。


大月城(長野市信州新町中牧大月山)
県道12号線沿い旧大岡村中牧池田にある大岡小学校中牧分校跡から、軽トラ程度なら通れる山道を歩いて15分、北西の標高789mの山にある中牧神社を目指す。
鞍部から最後の登りを上がると神社社殿の裏に出る。

本来の道は鞍部から山の東斜面を迂回し、北下の鳥居の場所に出る道であるが、この道は消えかかっている。
神社社殿の東裏手@であるが、ここには堀切が存在していたようであるが、道を造った時に埋められてしまっている。
境内Aは南北80m、東西30mほど。
北側に向けて緩斜面になっている。
社殿の南側は尾根が緩く下るがそこには堀切はなかった。
境内からは西したの犀川の流れが望まれる。

@社殿東側、この付近に堀があったらしい。 A 神社境内は北に緩く傾斜しているが広い。 B北下の鳥居の場所は曲輪だろう。

北に石段があり、鳥居の場所Bまで高さで30mほどある。
途中に腰曲輪が認められる。
また、この山の斜面には岩がごろごろしており、社殿の基礎も石垣である。
本来は石垣で土留めの補強がされていたのではないかと思う。
ここから北西の尾根を下って行くと中牧城である。
中牧城の詰めの城がここであったかもしれない。