長野イラスト集

安楽寺八角三重の塔(上田市塩田別所温泉)

安楽寺は、信州の鎌倉と言われる別所温泉のある谷間の奥にある名刹である。
その寺にこの国宝八角三重の塔がある。

この塔は鎌倉末期の建築といい、その姿が素晴らしい。八角形の形の屋根なのである。
最近の科学的年代測定では1290年代の建設であったと推定されている。
このような感じの塔は中国では見かけるが、現存している例は国内にはない。

塔は一番下に裳階(ひさし)がついているため、一見、四重塔に見える。
正確には「裳階付三重塔」というのだそうである。
また、縁や手すりもなく、板壁で、屋根を支える垂木が扇の骨のように放射状に外側に出ており、下から見上げるときのこの襞のように見える。
なぜ、こんな中国風の塔がここにあるかというと、当時の安楽寺住職の幼牛恵仁が中国生まれであり、故国の塔を思い出して建てたのではないかという。
そのバックは当時、塩田を支配していた鎌倉北条一族である。
この塔、山間の奥まった場所にひっそりと建っている。
その場所はかなりジメジメした感じの場所である。
意外に小さく感じたが、さすがに風格があり感動ものである。
この塩田の地も南北朝の騒乱や戦国時代の騒乱の舞台になった場所である。
それらを潜り抜け、現在までこれらの文化財が伝えられていることにも感心する。

旧開智学校(長野県松本市)

明治6年(1873)、廃仏毀釈で廃寺となった松本藩主戸田氏の菩提寺全久院の跡地に筑摩県の第一中学区 第一番小学 開智学校 として開校。

明治9年(1876)4月、この校舎が竣工。
昭和38年3月まで約90年間使用され、昭和36年(1961)3月23日に国の重要文化財指定される。
当時は市街地の中央女鳥羽川のほとり(現中央1丁目)にあったが、河川改修のため昭和38年1月から翌39年8月にかけて現在地へ移転、保存修理後、昭和40年からは教育資料を展示した博物館になっている。

建物は明治時代の代表的な擬洋風建築で、校舎は白を基調、中央に塔があり、その下に彫刻がある。
建てたのは地元出身で東京で西洋建築を学んだ大工棟梁の立石清重。
西側に同じく2階建ての教室棟が存在し、現存する校舎とつながっていたが、移設の際取り壊された。
なお、資料館として修復される際に塔を中心に左右対称のように見えるが、良くみれば左右対称ではないそうである。
(でも、一見では分からない。)

奥信濃の春

朧月夜(作詞高野辰之、作曲岡野貞一)
 
菜の花畠に、入日薄れ、
見わたす山の端(は)、霞ふかし。
春風そよふく、空を見れば、
夕月かかりて、にほひ淡し。
 
里わの火影(ほかげ)も、森の色も、
田中の小路をたどる人も、
蛙(かはづ)のなくねも、かねの音も、
さながら霞める朧月夜。
 
この曲、もう名曲中の名曲、1914年に音楽の教科書に登場、今も掲載されているのでほとんどの人が知っている曲と言えるだろう。
何とも言えない懐かしさを感じさせるメロディ。

その原風景とも言われるのが飯山市北部の瑞穂地区にある「菜の花
公園」
ここから北を見ると、菜の花に、千曲川に、雪が残る山(正面が戸狩スキー場)まさに絵になる風景が展開する。
その世界を絵に。

旧三笠ホテル(長野県軽井沢町)
旧軽井沢から白糸の滝方面に三笠通りを2qほど行くとカラマツ林の中に褐色の外壁に白いアーチ型の窓枠が印象的な2階建ての洋館が見える。
これが、旧三笠ホテルである。
日本郵船や明治製菓の重役を務めた実業家 山本直良により明治39年(1906)5月にホテルとして開業。
建物は岡田時太郎の設計で明治38年(1905年)に竣工。ちょうど、日露戦争の時である。
日本人のみの手による本格的純西洋風建築である。
西洋なんかに負けるか!という明治人の気合を感じる。

文化人財界人が多く宿泊したことから、「軽井沢の鹿鳴館」とも呼ばれていた。
客室は30、宿泊者定員は40名(客室は本館だけで20ほど?30は別館等を含めた数か?)とそれほど大きいものではない。

しかし、宿泊客には渋沢栄一、団琢磨、住友吉左衛門、乃木希典、近衛文麿、有島武郎、大隈重信などが名を連ね、政財界の注目の場でもあり、裏舞台でもあったらしい。

おそらく、戦前のいくつかの重要事項の密談が行われたのではないだろうか。
太平洋戦争中は、軽井沢が駐日外国人の主要疎開地として指定された事から、外務省の軽井沢出張所が設置された。
戦後は進駐軍の施設になり、その後、返還され、昭和27年「三笠ハウス」の名で営業を再開し、昭和45年(1970年)まで営業を続けた。

廃業の時点で竣工当初のおよそ50%の建物(日本館が山崩れで崩壊、別館が火災で焼失)が現存していた。
その後、軽井沢町に寄贈され、昭和55年(1980年)に国の重要文化財に指定を受け、修理が行われ、館内は一般公開されている。
館内には幾何学模様のガラス窓や天井の意匠、有島生馬デザインによる三笠のマークをあしらった洋ダンス、猫足型のレトロなバスタブ、机、ベッド、暖炉、洋式トイレなど、明治・大正のレトロそのものの世界がそのまま残っている。

内部はいかにも明治、大正時代の木造洋風建築という感じであり、古い学校などの洋館内共通の感じ。
室内の調度品は今の水準からすれば、粗末な感じであるが、当時としては最高級の部類なのだろう。
当然、宿泊代も当時の普通のホテルの2倍以上の高額であったらしい。

館内を見ていると、何故だか横溝正史の小説を連想する。「仮面舞踏会」などは、ここ軽井沢が舞台の殺人事件という設定だった。ホテルだか別荘に宿泊している上流階級の者で殺された者が出て、宿泊者全員が疑われるという探偵物である。

どうもその小説の舞台とこのホテルの部屋のイメージがダブるのである。同じことを他の見学者が言っていたので、同じ印象を持ったのであろう。

碌山美術館(長野県安曇野市)
荻原碌山の彫刻を展示している碌山美術館。
教会風の赤レンガ造りの貫禄ある建物。尖塔に不死鳥をいただき、外壁に焼きレンガを積み上げた西欧教会風の建物。
荻原守衛(碌山)の作品を展示・公開するために1958年に開館し、以来、安曇野のシンボルとして有名。
周囲が紅葉した秋の姿が最も美しいと言われる。