上州の風景

草津温泉(群馬県草津町)
日本でもっとも有名な温泉の1つが草津温泉。
名は「くさうず(臭水)」がなまったものという。歴史的には、奈良時代「行基」が発見したと言うが確たる証拠はなく、721年に行基が薬師堂(現在の草津山光泉寺内)を開基したと伝えられることによる。
多分、猟師の間では温泉が自然に沸いていることは知られていたのであろう。

文献では「吾妻鑑」に登場し、源頼朝が浅間山で巻狩りを行った際に草津温泉に入ったとされる。
その湯が湯畑脇の白旗の湯という。

室町時代には湯治場として整備され、多くの有名人が訪れている。
戦国時代は真田氏が統治し、「湯銭」を取っていたという。戦国時代には丹羽長秀、堀秀政、豊臣秀次、大谷吉継、前田利家などの有名武将が訪れている。
草津の湯はpH1.6〜2.3の強酸性で、ケガをした場合の消毒効果が抜群で、大腸菌でも5分〜10分程で死滅する殺菌能力を持つ。

草津温泉には多くの源泉があるが、もっとも有名なものは湯畑源泉。
草津温泉のシンボルで中心地と言ってもいいだろう。
この湯畑周辺には旅館やお土産物店が立ち並び、観光客が一杯。
いかにも温泉という雰囲気が最高である。
周囲の旅館はかつては木造3、4階建ての味にある建物ばかりであったが、最近は老朽化で建て替えられ、風情は少し失われている。

ところで湯畑とは何かというと湯の平面冷却場なのである。
緩傾斜面の上部の岩の間から毎分4600リットルもの湯が湧出している。これが湯畑源泉である。
湯温は70℃くらいあるので熱気を感じる。
夜になると蒸気が立ち上っているのが良くわかる。
周囲は温泉特有の硫黄臭い臭いが充満する。この湯畑では高温で湧出する湯を外気により自然冷却する。
湧き出た湯は緩い傾斜を持つ7本の木樋に通し、下手方面に流して冷まし、木樋に湯の花を付着させ、パイプの詰まりを軽減させ、最後にある湯滝を流れ落とす。この時点で湯温は50℃くらいとなり、その後、パイプを通じて旅館に運ばれる。
ちょうど旅館の風呂に入れるころには43℃前後の適温になるという。
この方式は加水による冷却に比べ、温泉成分濃度を希釈させることがない利点があるという。

湯畑 白旗の湯
山本館 煮川の湯

山本館
草津温泉のシンボル湯畑に隣接して建てられている旅館。
かつてはこの周辺は3階建ての山本館のような、江戸時代の旅籠風の純和風温泉宿という感じの旅館が多かったが、老朽化による建て替えなどで数が減りつつあるので、かなりの存在感がある。
この建物があるから逆に湯畑が引き立つ。湯畑とペアになる風景である。と言っても、管理人泊まった訳ではない。
入ったこともない。この建物が気に入ったから絵にしてみただけである。

この旅館は江戸時代からあり、東海道中膝栗毛の作家、十返舎一九が、「山本十右衛門はんじゅうのゆやどなり」と、方言修行善光寺草津温泉道中金草鞋に記したというほどの老舗宿である。
さすが建物は江戸時代のものではないが、今のこの建物は大正時代の建築だという。当然、かなり改装はされているようだが、なかなか良い雰囲気。
室内は入ったことはないけど、付書院や欄間の精巧な細工、高い天井など数奇屋造りの部屋だそうだ。
お湯は白旗源泉で青みがかった白濁だそうだ。泉質は酸性-硫酸塩・塩化物温泉(酸性低張性高温泉)でPH2.2の酸性。神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・うちみ・慢性婦人病・冷え性・皮膚病一般・健康増進にきくそうである。
ちなみにお値段は2〜2.5万円(休日前日)とか。詳細 http://yamamotokan.com/ 

草津温泉には18箇所の町営の無料共同浴場がある。いずれも小さい浴場であるが、これらを梯子する「通」も多いという。
建物も木造の古風な感じなものが多く「味」がある。思わず惹かれる。

白旗の湯
草津温泉にいくつかある無料の共同浴場の1つであるが、ここが一番大きく有名かも。
湯畑に隣接し、平成6年に建て替えられ、建物は比較的新しいが内装は昔のままの雰囲気だそうだ。
源頼朝が建久4年(1193)八月三日浅間山麓で巻狩をせし時たまたま此処に涌き出ずる温泉を発見し入浴したと伝えられる。
「御座の湯」と称していたが、明治30年に源氏の白旗に因んで「白旗の湯」と改称されたという。
酸性-硫酸塩・塩化物温泉(酸性低張性高温泉) pH2.05 源泉温度は55℃。 


煮川の湯
「湯畑」と「大滝乃湯」の中間にある小さな共同浴場。
湯は無色透明、白い湯の花が浴槽の淵についているという。
ここも強酸性泉で、硫黄臭も強い。酸性・含硫黄-アルミニウム- 硫酸塩・塩化物温泉。「大滝乃湯」もこの源泉で名の通り、かなり暑いらしい。

碓氷第三橋梁(群馬県安中市松井田町)
通称「めがね橋」。この名の方が、正式名の「碓氷第三橋梁」より遥かに有名。
国の重要文化財でもある。
この橋は国道18号線のカーブが連続することで有名な旧道を坂本宿側から軽井沢側に碓氷城(愛宕山城)の裾野を通り、3qほど走った場所にある。
付近の道路は狭く、少しの駐車スペースはあるのだが、見学者が多く、路上駐車も凄い。

碓氷川谷に架かる煉瓦造りの 4 連アーチ橋で、国鉄信越本線横川駅〜軽井沢駅間の橋梁の一つとして日清戦争の少し前、1893年に完成.。
新線が開通した1963年までの70年間使用された。
設計はイギリス人技師のパウナル (Charles Assheton Whately Pownall)と古川晴一。
全長は 91m、川底からの高さは 31mあり、煉瓦が約 200 万個使われ、現存する煉瓦造りの橋の中では国内最大規模。

1993年には「碓氷峠鉄道施設」として、他の 4 つの橋梁等とともに国の重要文化財に指定。
下から見上げると写真などで見る以上の大迫力。
120年近い歴史があるものであるが、明治期の人間の気合を強く感じる。


群馬県庁昭和庁舎 (群馬県前橋市大手町)
群馬県庁は現在、高層のビルになっているが、その麓に古風だけど、やたらセンスの良い建物が建っている。
2階、3階部分は茶色レンガの部分と交互に白い部分が重なり、白い部分には大きな上部半円の細長い窓やバルコニーが目を奪う。
これが前の本庁舎であり、現在は、PO、ボランティアサロン、パスポートセンター、会議室、展示室、NHK文化センターなどとして利用されている群馬県庁昭和庁舎である。

この建物は、道路を挟んで東側にある同デザインの群馬会館や栃木県庁舎、早稲田大学大隅講堂なども設計した佐藤功一の設計による。

昭和3年4月9日落成し、平成11年夏まで使用された。
施工 清水組。鉄筋コンクリート造、地上3 階、地下1階、建築面積2019u。昭和初期の典型的洋風建造物で、1階外壁を石貼り、2・3階をスクラッチタイル貼り、玄関正面は半円アーチの車寄せとし、その上を知事室前のベランダにしている。

当時、関東近県では、最も先進的な建築技術を用いた県庁舎であった。
1階部分を石張りにし、2階から上部がスクラッチタイルとモルタル仕上げを交互にすることで立体的を出し、1階の主要開口部の上部はファンライトと呼ばれる半円形の欄間を取り付け、2階から上部は縦長の窓を採用。
正面玄関車寄せには大型なアーチ状の開口を設け、その上部の2階の下部には凝った彫刻の手摺を付けるデザイン構成。
庁舎は平成8年に国登録有形文化財に指定。
平成13年11月に庁舎を国民文化祭の会場として使用することになり、平成12年改修工事に着手、16億円をかけて改修修理を行い、平成13年11月国民文化祭に使用。平成14年4月1日から昭和庁舎として再利用のためオープンした。
平成16年5月18日 第13回BELCA賞ベストリフォーム部門を受賞。