茨城の風景

里川八幡橋(常陸太田市河合町)

久慈川の合流点付近の里川にかかる八幡橋付近の2010年4月24日の風景です。もう菜の花は終盤です。
ここの橋は里川に多い地獄橋という名です。
ご覧のように超田舎です。多分、数十年前からこの風景は変わっていないのではないでしょうか。

2010年のNHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」のロケ地がここです。
一応、故郷の川の風景という設定だった場所がここです。

もう一箇所のロケ地がこの八幡橋から2qほど上流のここ、機初(はたそめ)橋です。
なお、八幡橋は、2004年の日本テレビ系の天海祐希主演の「ラストプレゼント」にも登場しています。

旧町屋変電所(常陸太田市町屋町)
この建物は、茨城県常陸太田市から里川沿いに国道349号線を福島県矢祭方面に北上した町屋地区にある。
この地区は谷間であり、この建物の少し南が佐竹の黒川金山があり、東の山の上には、この金山を管理する城「地徳館」がある。
とてもレトロな赤い煉瓦造りの建物。

残念ながら国道349号からは見えない。
河内小学校前の交差点を左折し、西の山方面に向かい、
この道が小学校を過ぎ、里川にかかる橋の上から南下に見えて来る。

この旧町屋変電所は、日立鉱山が明治42年(1909)1月に電力不足を補うため、300KWの発電機1台を備えたこの町屋発電所を新設し送電を開始するが、その変電施設として建てられたという。

これを、常陸太田市出身の前島平が設立した茨城電気鰍ェ譲り受け、明治44年11月、民間向けに送電を開始し、旧太田町に電灯を灯したという。

茨城県内で電灯が灯ったのは水戸、笠間、土浦についで4番目だったと言う。
このため、当時の町屋の人々は「電気みたけりゃ町屋へ行け」と誇りにしていたという。
平和な時代があったものだ。

昭和30年頃に使命を終えた町屋変電所は、長い間公民館として使われ、老朽化に伴い壊される運命にあった。
しかし、地元で、保存活動が起き、保存されることとなり、平成11年には国の登録有形文化財として登録された。

笠間市歴史民俗資料館(旧宍戸町役場庁舎)

宍戸城の南端部に建つ木造の古風な建物。宍戸町役場として昭和12年に建てられ、その後、宍戸町は友部町となり、昭和33年まで町役場として使われた。
その後、友部町歴史民族資料館になり、さらに笠間市と合併したため、現在の名前になる。内部は考古遺物から古い道具類が展示されているよくある資料館。
でも、内部は戦前昭和のまま、超レトロ。
外観は薄いピンク。
窓枠が赤茶色で目をひく。
解説によると、「(国登録有形文化財平成16年2月17日登録)昭和12年建築。
L字型平面、寄棟造、下見板張の2階建役場庁舎で東面に車寄、北面に大谷石造平屋建の文書庫を張り出し、西方奥に物置を配する。
庁舎主体部は1階を窓口及び事務室、2階を議事堂とした標準的構成をとり、車寄の間口を広くとる点に特色が認められる。」とある。


善光寺楼門(茨城県石岡市太田)
茨城県石岡市の旧八郷町北部、笠間市に向かう県道42号線の道祖神峠の南の山麓にある国の重要文化財の建物。
県道42号線を笠間方面に走って行くとド田舎であるこの太田地区を通る。
すると左手に民家の屋根の間に茅葺の変わった屋根が見えてくる。
思わず「あれ?」と思う光景である。田舎にミスマッチのようでいて、周囲の緑に溶け込んでいる。
これが善光寺楼門である。今、寺はなく、この楼門だけがポツンと建っている。
寺の本堂があったと思われる門の北側は、地区の集会所の庭で、ゲートボール場になっている。

この建物、今から500年以上前の室町中期1501年ころに建てられたものと伝えられる。
そのころ、ここは小田氏の領地であり、この善光寺は「善光寺縁起」によると1501年(文亀元)3月当時、小田氏12代当主、小田成治の母堂が善光寺如来を深く信仰していたため、母の願いをかなえるため、万代安穏の地としてこの地を選び建立したものという。

この楼門の確かな建立時期は不明であるが、頭貫や木鼻,蓑束,紅梁,蟇股などの見られる絵様繰形などから室町時代中期の特色が見て取られ、創建時の1501年のものではないかと推定されている。

楼門は、現在は二階部分を造りながらも、何らかの理由で断念した「三間一戸楼門」という形式で、これが当時の流行でもあったようである。

このド田舎に似合わないような小さいながらも重厚で貫禄ある建築物である。

門の裏手の山の中腹に半ば廃墟となった寺とも神社ともつかない建物がある。
倒木で屋根が破壊され、その後、修復もされずに見捨てられているようであり、大きな建物でもあり、別の意味で不気味である。
そのさらに裏手には小田一族の墓(五輪塔)がひっそりと建っている。

笠間市内の建築

京染の店(既に取り壊され存在しない。)

笠間鳳凰閣

「間宮酒造」(茨城県常陸大宮市高部)

「間宮酒造」さんちの「御三階櫓」。
酒を仕込むための三階建ての城の櫓のような建物。
今は操業していないみたいだ。

ここ茨城県常陸大宮市の旧美和村地区は、栃木県境の山間であり、「茨城のチベット」と悪口を言われることがある。
今では道路が整備され、山間僻地という感じは全くない、自然が美しい地である。
しかし、道路が整備されていない時代は、本当に「茨城のチベット」状態であったらしい。
その旧美和村の中心地が高部地区である。
ここは中世は高部城の城下町であった場所である。

この地区に何棟かの珍しい建物がある。
下の写真のような洋館もあれば、和風の建物もある。
しかし、明らかに現代風ではない。

昭和レトロの時代以前のものである。

この地はかつて和紙の産地として大繁栄したそうである。
その遺産がちゃんと残っているのである。

まるでこの地だけ、時間が止まっていたのではないかと思うほどである。
「茨城のチベット」と言われた時代は、おそらく目立っただろう。