水戸城2020
2020年11月14日、水戸に行ったついでに時間があったので約15年振りに水戸城の本丸、二の丸に行ってみた。
最大の目的は復元(再建)された大手門を真近で見るためである。
水戸駅から県道232号線が通る二の丸と三の丸間の堀底を歩き、大手門に。
途中、駅前の歩道からは復元された二の丸隅櫓が望まれるが、コンクリートで補強された切岸に違和感が・・あれ、センスない。
上に人工芝か何か張って誤魔化せないのか?

大手門、なるほど、昔の工法でよくここまで。
真新しいのが違和感?どんなものも新築したてはあんなもんだろう。
白石城や白河城もあんな感じだった。でも、中に入れないのは残念。

@復元された二の丸南西隅櫓。切岸が・・残念! A復元された大手門 B大手門前、二の丸、三の丸間の堀跡に県道232号線が通る。
幕末、この堀を境に天狗党と諸生党間で銃撃戦があった。

二の丸は全て学校である。
この地が城の中心だったそうだ。
歩けるのは中央の道だけ。
でもよく雰囲気が出ている。以前より解説板も充実している。
そのうち、水戸三高内にあった御三階櫓も再建されるのだろうか?

C大手門内は内枡構造になっている。 D水戸二中構内に残る二の丸西側土塁。 E御三階櫓があった水戸三高・・入れないねえ。

以前はこんな学校ばかりの場所をカメラを持った親父がうろついていたら、白い目で見られたものだが、さすが天下の水戸城、そういう人間が沢山うろちょろして、そこら中で写真を撮っている。
幸い、この一帯では不審者に見られることはない。
水郡線の線路が堀底を通る本丸と二の丸間の堀にかかる橋を渡ると本丸、水戸一高。

F水戸二中から見た那珂川、水運管理の城でもあった。 G二の丸から北、那珂川方面に下る杉山門があった杉山坂 H本丸、二の丸間の堀跡をJR水郡線が通る。

本丸と言っても、江戸氏時代の本丸、江戸時代は倉庫群があったとか?
水郡線の通る堀は元々はこんなに深くはなかったそうである。
線路を通すために掘り下げたとか。それ以前は堀底にトンネルがあったとか?
かつては土橋のような感じだったそうである。
そうでないと橋の橋脚が立てれない。
本丸の遺構は結構良く残っている。

I二の丸東を南に下る坂下門の坂。
高校生の通学路である。
J本丸内に移築されている佐竹氏時代の藥井門 K水戸一高内に残る本丸西側の土塁。

さすが、水戸一高、今のご時世でも比較的オープンである。
一言、断れば校内に立ち入れる。
先端の現在校庭になっている下の丸間との段差、堀もしっかり残っている。

L下の丸跡、水戸一高のグランド。
本丸との段差が切岸となって残る。
M下の丸南東端は断ち切られてJR常磐線が通る。
戦国時代は下の丸先端部から丘が南東に続いていたという。

下の丸の先端はJR常磐線の線路で断ち切られている。
江戸氏の時代は丘が南まで続いており、先端部が武熊城だったという。
桜川を真っ直ぐ東に流す工事で丘を削ったとのことである。