長者山城(水戸市渡里町)
 水戸台地の北西端、田野川が那珂川に合流する地点を見下ろす台地上にある平山城。北と西は崖であり、台地下の水田からの比高は約20m。
 城域は東西250m、南北350mと比較的大きい。
 古代から館があったと伝えられており、現在見られる遺構は、戦国期に古代の館に手を加えて戦国城郭に拡張した姿である。
 この地には「長者伝説」があり、後三年の役で奥州に赴く源義家がこの地の長者に盛大なもてなしを受けたが、義家は余りに盛大な接待に疑いを持ち滅ぼしてしまったというものである。
 この長者としては奈良平安時代の駅(宿場)があり、そこからの利益で富豪となった「駅守長者」「市守長者」という説や義家の叔父源頼信の5男常葉五郎義政が永暦4年(1080)に居館していたという説がある。
 その当時の館は小規模なものであったが、これを今の姿に改修したのが江戸氏の家臣春秋氏と言われ、その居城となったものと思われる。
 残念ながらこの説も伝説の域を出ず、文献にも記載が少ない。
 しかし、戦国城郭の姿であることは間違いない。
 最後は佐竹氏の江戸氏攻撃で落城し廃城となったものと思われる。
 鳥瞰図は水戸市史記載の実測図と現地調査の結果を基に描いたものである。

 城は3あるいは4郭からなり、東と南は台地平坦部に続き堀と土塁で仕切られている。郭配置は前小屋城と同じである。
 本郭は台地突端部に位置し、本郭と二郭の北側の台地辺部には台地辺部と平行に堀と土塁が築かれている。
 この構造は見川城と同じであり、同じ春秋氏が関係した両城に同じ構造が見られるため、同一人物の縄張り(設計)が想定される。
 ほとんどの堀は堀の両側に土塁がある佐竹氏系の城郭に良く見られる構造を持つ。
 遺構はゴルフ練習場となった南部分は隠滅している部分があるが比較的良く残っている。

東側に建つ長者伝説の碑。 本郭、二郭間の堀、藪で良く分からない。
ゴルフ練習場内に残る二郭南側の土塁。 本郭南側。土塁があるが暗くて良く分からない。


武熊城(水戸市柳町)
 水戸駅より東に1km。水戸城と吉田城の間にある桜川の自然堤防上に築かれた平城。城域は東西500m、南北400mといわれる。
南北朝期延文年間(1356−1361)に大掾一族の石河十郎望幹が築き、江戸氏の水戸城奪取後は水戸城の南の備えとなっていた。
佐竹氏の時代には重臣の東義久が入った。
城は慶安4年(1651)に桜川の改修、新道開作で破壊され現在は全く遺構を残さない。

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