諏訪山砦(行方市藤井)
行方市藤井にある香取神社から国道355号線旧道方面に南西500m、船子城からは北西に約1qにある。
岡の末端に諏訪神社の小さな祠がある。

↑西側、国道355号線から見た砦跡

その祠のある場所が本郭、その北に二郭、三郭が並ぶ長さ200mほどの直線連郭式の小城館である。
規模は小さい城であるが堀は明確に確認できる。

国道旧道側から登る道があるようであるが、登り口は民家の間を通ることになるのでよく分らない。
管理人は背後,北東側の道路になっている鞍部から突入した。

三郭は果樹園Cであるが、その先の神社までの間は藪であるが、それほど酷い状態ではないので、冬場は問題なく遺構を見ることができる。
先端部、神社の祠が建つ本郭@は台形に近い形であり、長さは最大でも40m、周囲約4m下に帯曲輪があり、本郭と二郭の周囲を巡る。

北側の二郭は20m四方ほどの小さな曲輪であり、本郭との間には堀が存在し、緩い縦堀Aとなって帯曲輪に合流する。
堀の埋没は進んでいるようだが、土橋があった痕跡を残す。

その北の三郭との間にはこれも帯曲輪と合流する幅20mほど、深さ4mほどの堀Bがあるが、幅は広いがかなり緩い感じである。
三郭は果樹園と畑にになっており、長さ70mほど、幅は30mほどの広さ、北西側に突出部がある。
その北側は鞍部になる。
鞍部は道路になっているが、堀切だった可能性もある。
@本郭に建つ諏訪社 A本郭、二郭間の堀 B二郭、三郭間の堀であるが・・・藪!
C三郭内部は畑になっている。 三郭の北側の鞍部の道路から見た西側の霞ヶ浦、対岸はかすみがうら市出島地区。

ここの標高は24mである。
本郭の標高は30m程度であり、霞ヶ浦の眺望がよく水運監視用の城館である。
船子城の北の防御も兼ねた支城であろう。
館主は船子城の下河辺氏の家臣であろう。

稲荷館(行方市手賀)
人見館前から国道355号線旧道を約2q北上するとさらに旧道から道が分岐するが、その分岐部に消防団車庫と稲荷神社の鳥居と石段@がある。

↑館跡から見た西側の霞ヶ浦

その石段を登った岡の上に建つ神社社殿の地が館跡である。
ここからは西に霞ヶ浦を望むが、館から霞ヶ浦までの間の低地部には鯉の養魚池が密集する。
社殿東側が緩やかな土手状Aに南北60m程度続く。

ここの標高は23mである。
さらに南端で西側に30mほど突き出る。
しかし、内部は平坦ではない。
切岸部、斜面も非常に曖昧であり、どちらかというと古墳のような感じである。

東側は尾根続きであるが、堀切が道として残る。

この館も霞ヶ浦東岸に2qほどおきに存在する湖内監視用の城館の1つであるが、隣接する付近の城館の中ではもっとも単純である。
城館ではないと見る人もいるだろう。
居住性はなく、防御性はほとんど考慮していない。

単なる物見の場所、隣接する北の手賀城や南の人見館とのつなぎの場所なのであろう。
@稲荷神社の鳥居と石段の参道。この上が館跡である。 A館跡最上部。平坦ではない。まるで古墳上のようである。

代田館(行方市井貝)
小高城の北側の谷津を介して反対側の岡にある。
ちょうど小高氏の菩提寺常光寺の真北にあたり、館のある部分の標高は33m、谷津部が8mであるので比高が25mである。
館のある部分は東側に位置する井貝の集落のある岡が半島状に西に延びたその先端部分に当る。

南側の常光寺前からの道を登って行った頂上部から西側に入って行く道@がある。
その道自体がどうやら帯曲輪を転用したもののようである。

そしてこの道の分岐する部分が堀切だったのではないかと思われ、北西下方向に竪堀が下っている。
道を西に進むと南側は高さ5mほどの切岸になっている。
この切岸を登るとそこは土塁A上である。

東側は土塁があるだけであるが、西側は土塁が平行四辺形状に覆う曲輪Bになっている。
50m×25mの規模である。
曲輪内から土塁上までは約2m。
一方、元の道を西に進むとそこには豚小屋?の廃墟があり、曲輪内に入るため土塁が崩されている。C
曲輪内は藪であるが、豚の放牧か何かに使っていたようである。

豚小屋の南側も帯曲輪が覆い、東側に回り込んでいる。
非常に単純な構造の城館である。
位置からして小高城の北側を守る砦であろう。
@北側の道は帯曲輪跡 A主郭の土塁上
B主郭内部、今は藪状態 C帯曲輪西側の廃墟と土塁間に開く主郭への通路

人見館(行方市井上)
名刹「西蓮寺」の南約1.5q、霞ヶ浦東岸を通る国道355号線旧道脇に「酒の松本」というリカーショップがあり、その東に消防団の車庫がある。
その前の道路の反対側に山に登っていく山道がある。

ここを登って行けば館跡である。単郭の小さな城郭である。
霞ヶ浦の湖内水運監視の城であるとともに主城の船子城の支城である。

山道を登ると腰曲輪@のような場所があり、さらに登ると墓地がある。
ここは腰曲輪と推定される。
主郭部はここの東側である。
主郭部の標高は約31m、内部は藪状態である。東西50m、南北60mほどの広さがあるが、藪でよく分からない。
内部は多少、凸凹しており、それほど平坦ではない。

@西側の腰曲輪には墓地がある。 A主郭の土壇には石の祠がある。 B東側の岡続きは堀で遮断するが、藪!

小さな祠が低い土壇Aに建つ。
東側は若干低くなり、定番の堀切Bを置いて尾根を遮断しているが、堀底は倒木などで藪状態である。
なお、消防車庫の裏の岡も独立した土壇状であり、城域ではないかと思われる。
船子城の下河辺氏家臣、人見氏の館と言われる。(余湖くんのホームページを参考)