蕨砦(鉾田市借宿)
青柳小学校の南東300mにある標高22.7mの山が城址である。
東は巴川の流れる低地であり、巴川が注ぐ北浦と巴川上流の岩間方面まで河川水運による輸送が行われていた。
それを取り仕切っていたのがこの地の領主武田氏である。

東から見た蕨砦、民家の場所が居館跡か?

巴川流域は武田氏の財源確保上重要な河川であり、その監視管理用の砦であったと思われる。
廃城は天正19年(1591)の三十三館主謀殺事件で武田氏が滅亡した時であろう。
城址には南東側から登る道があるが、民家に行く道でもあり、民家の脇を通るので行きにくい。
一声かけるのが良いだろう。

@北側の腰曲輪の南に曲輪Tの切岸が聳え立つ。 A曲輪T(左)の切岸と東下の帯曲輪

低い山なのですぐに城址に至るが、砦と名が付いているくらいで小規模なものである。
しかし、なかなか素晴らしいメリハリの効いた遺構であり、しかも完存である。
土塁、堀、切岸の風化、埋没は進んでいない状態である。

曲輪は2つあるが、どちらが主郭か分らない。
どちらの曲輪も高さ3mほどの土塁が囲む。
まるで高射砲陣地である。

B曲輪Tは周囲を土塁が覆い、真ん中に仕切り土塁がある。 C曲輪Tの土塁

北側の曲輪Tは東西25m、南北40mほどの楕円状であり、中央部に仕切りの低い土塁があり、南東側に虎口がある。
この曲輪の東側から北側、西側にかけて6m下に幅15mほどの帯曲輪がある。
この帯曲輪は比較的緩い傾斜の山であるため、曲輪Tの切岸の勾配を鋭くするためにできたものである。

曲輪Tの南西側に位置する曲輪Uも土塁が囲む。
南端部の土塁が城内では一番高い場所であり、簡単な櫓があったのではないかと思われる。
曲輪Uは30m×25mほどの広さであり、東側に虎口がある。

D曲輪U内部。西側はEの堀が合流し土塁はない。 E曲輪Uの周りを横堀が覆う。この堀が登城路だろう。

しかし、これが元々ここにあったのか分らない。後世のもののように思える。
曲輪T周囲の帯曲輪は途中から横堀となり、曲輪Uの南側から西側をその横堀が覆い、曲輪Uの北西側で途切れ、曲輪Uに入る構造になっている。

この横堀が堀底道を兼ねた本来の登城路であったのではないかと思われる。
東下の民家付近が居館であり、曲輪Uには避難用の建物や武器庫、食糧庫等が置かれていたのではないかと想定される。

紅葉城(鉾田市紅葉)
文献には登場するが、場所が分らない謎の城、行方不明の城というものがけっこう存在する。
場合によっては城名が間違っていたり、他の城を誤認している場合もある。
場所を間違っていることも多い。

都会ならこれは仕方のないことであるが、田舎ならそのようなケースは少ないように思えるがそうでもない。

この「紅葉(もみじ)城」もその1つである。
あるとされる場所は茨城県鉾田市の北西端に位置する紅葉地区である。
といってもほとんどピンと来るような場所ではない。

茨城空港及び航空自衛隊百里基地北端から北1qの場所がこの地区である。
頭上を自衛隊機や旅客機が離陸、着陸で低高度で頻繁に通過していく。
この城も名前は知られているのだが、「ここだ」と断言できる明確な遺構が確認できないのである。
でも茨城県遺跡地図には場所が掲載された。

その場所とは県道18号線の新道と旧道が紅葉地区で合流する交差点の北側の岡である。
この岡標高は26m、比高18m、それほどのものではない。

ということで県道沿いから延びる山道を通って突入・・・で?
結局、それらしいものはなかった。
行けども行けどもただの山に過ぎなかった。

岡先端部の最高地点が城である場合が多いのだが、そこは確かに比較的平坦ではあるが、人工的な感じはなくほとんどただの自然地形にしか見えない。
どんどん奥に進んでみても何もない。
あったのは墓地と土砂を捨てた土盛りと畑であった。

@東中腹に土塁のようなものを持つ平坦地があるのだが・・ A岡先端部の平坦地・・ただの自然地形にしか見えない。

唯一、岡先端部近くの南側斜面部に25m四方ほどの斜面部を削って平坦地にした場所@があっただけである。
この場所の南側には削り残しの高さ1mの土塁はある。

岡の南側斜面であり、日当たり良好、北風も背後の岡で防げる場所で居住性はそれなりではある。
しかし、背後に高くなっていくのに何もない。
背後がけ険しい山ならこのような立地は想定できるが、この岡は少しづつ高くなっていくだけである。

それでも背後に堀切でもあればこの場所を城としてもいいのかもしれないが、何もないのではあまりに無防備すぎる。
ということで、ここではないのではないかな?
けっこう、遺跡地図ってマーキングミスがあり、隣の山に印を付けたりしている間違いがある。
ということでやはり行方不明のままである。

しかし、どうでもいいこのような城に執着するのって「ストーカー」以外の何物でもない。
そういえばここの少し南に「下吉影城」というのがあった。
この城も文献には登場するが、どこにあったか分らない城なのである。
この付近は城のミステリーゾーンか?