雨引要害(桜川市本木)

桜川市の旧真壁町の北東、標高409mの雨引(あまびき)山の南の山麓に雨引観音(正式には雨引山楽法寺)がある。
その裏山に当る、雨引山が城っぽいという書き込みがHPの掲示版にあった。
ちなみに別名が「竜蓋山」と言うそうである。
これって「要害」が訛ったものである。
これも城跡である間接的な証拠である。

↓の写真は雨引観音の駐車場から見た城址のある北側の雨引山である。
かなりの迫力である。

遺跡地図などではこの場所には城址は登録されていない。
城とすれば未知の城である。

その情報を基に2018年2月11日にヤブレンジャー+下野勢の城マニア合計10名で確認に行った。
結果として、間違いなく城ということで10名の意見は一致した。
多くの城を見てきている大勢のマニアの目で見て判定されるのであるから城である。

なお、調査当日2月11日は建国記念日である。
雨引観音では建国記念日に係る祭事が行われ、大勢の人出で大混雑状態であった。
当然ながら参拝客はちゃんとした身なりの人がほとんどであった。
その中をいかにも山から下りてきたことが分るような服装で境内を歩く姿は完全に浮いていた。

雨引山、北側に電波塔があり、北から管理用の道路が延びているが、途中で進入禁止になっているという。
行くには雨引観音から延びる道を辿るのが最短コースである。
最短と言っても雨引観音の地の標高が190〜200mであるので比高は200mを越える。

かなりのものである。↑は城址から見た南の筑波山。右下が真壁の街である。

雨引観音の裏手から山道が延びるが、この道、堀底を通るような塹壕道であり山を越え羽黒地区に通じる古道でもあったらしい。
そんな山道を30分ほど進むと標高345mの尾根筋の峠に出る。
この尾根筋にはハイキングコース(関東ふれあいの道)が整備されており、南に向かうと加波山や筑波山に通じる。
この峠から北西に向かって登って行くと雨引山である。

その頂上部は東西に細長くバナナ状に平坦になっており、その場所が城址である。
城と言っても非常に単純なものであり、素人には山頂部が少し広く平坦になっているとしか思えないであろう。
ハイキングコース整備で多くの人が係っているはずであるが、城という認識はなかったようである。
それもそのはず、城らしい遺構はその北側下に存在する。

@東端部の堀切、深さは4mほど。埋没している。 A曲輪内、幅15mほど。北側が土塁状、風よけ土塁か?

城は全長約180〜200m、最大幅30m程度で東西に長いバナナ型をしている。
この内、山頂部は幅15mほど。東端@と西側Cに深さ4mの堀切があり、北側は帯曲輪に合流する。
その間が主郭部A、Bである。
内部は3つに区画され、東屋のある西端の15m四方の場所Bがおそらく主体部であろう。

Bに西側の平場に建つ東屋。ここが中心部だろう。 CBの西側の堀切、深さ4mほど。

この主郭部の北側5m下に幅4mほどの帯曲輪が巡り、途中に坂虎口があり、虎口の両側は堀C、Dになっている。

これは井戸跡かもしれない。
西側の堀切の北西に下る尾根にさらに曲輪があり、北側に犬走りを持つ。
山上部の平坦地の南下に帯曲輪と腰曲輪が認められるが遺構は曖昧である。

D主郭部北下の腰曲輪と横堀、井戸かもしれない。 E横堀は坂虎口を介し東に続く。

この程度の簡素な遺構であるが、城の性格としてはあまりに高い場所にあるので戦術的なものとは思えない。
想定としては雨引観音を始め付近の住人の緊急時の避難施設、北側のみに明確な遺構があり、この方面の守りが厳重なことから、尾根続きの北にある橋本城の詰めの城、
陣城、また、尾根上は重要かつ比較的安全な道でもあり、そのルートを抑える城であった可能性も想定される。

「大和村史」には“天正年間の笠間氏と益子氏の戦いで益子氏支援に派遣された結城家臣で橋本城将の片見伊賀守晴信が雨引山に砦を築く云々”との記述があるそうである。
橋本城は笠間氏の城であるが益子氏との間で帰属が揺れた時期があったようである。
この記録によると橋本城の詰め城ということになる。

なお、雨引観音こと雨引山楽法寺は真言宗豊山派の寺院である。
本尊は観音菩薩。坂東三十三箇所霊場第24番札所、東国花の寺百ヶ寺茨城6番札所。
寺伝によれば、587年(用明天皇2年)、中国(梁)出身の法輪独守居士によって創建されたという。

真壁城移築城門 仁王門。左の女性・・うちのかあちゃん。

山号寺名は旱魃時の雨乞いに霊験があったとして嵯峨天皇から勅命により賜ったとされる。
建長6年(1154)宗尊親王により再興され、さらに建武年間(1334 - 1338)、足利尊氏により再興されたという。

重要文化財(国指定)木造観世音菩薩立像 - 寺伝延命観音。平安時代前期。
八臂(8本の手)を有する、図像的に特異な観音像である。秘仏で、4月第一日曜に開扉される。

本堂、派手な元禄建築である。 多宝塔

茨城県指定有形文化財:本堂、仁王門、東照山王社殿(附棟札2枚)、多宝塔(附棟札1枚)、絹本著色 愛染明王画像(絵画)、
絹本著色 弁財天画像(絵画)、絹本著色 十一面観音画像(絵画)、木造 不動明王立像(彫刻)、五鈷杵(工芸品)、大般若経(書跡)(WIKIPEDIAより)