根城内館と主水山館(那珂市鴻巣)
両館とも新規に発見された城館である。
那珂台地には溜池の水利権を管理して水田開発を行った領主の館が多数存在する。
那珂市の多くの平地城館のほとんどはため池の水利権をバックにした水田開発者の館であり、戦国時代に佐竹氏、江戸氏の家臣が入植したものである。

したがって、ため池も500年弱の長い歴史を有していることになる。
多くのため池はすでに失われ、城館もかなりが失われてしまい、ため池と城館がパックで残存している例は少なくなっている。


↑南から見た又三溜。現役の貯水池である。
左岸の森の中に根城内館がある。
右の森の中に主水山館がある。

しかし、この館は当時と同じように現役の溜池に隣接して存在する。
館は構造的には鷺内館、稲荷山館同様、館周囲を複雑に水堀を兼ねた用水路が巡る。


ただし、埋没もかなり激しく浅いくぼみ程度の痕跡であり、途中で分からなくなる部分も多い。
根城内館
JR水郡線常陸鴻巣駅の東600mの又三溜の西側に位置する。
大きさとしては120m四方程度と思われる。


溜池@との間には高さ1mほどの土塁Bが存在する。

溜池から水路で水を引き、調整池のような場所から複雑に水路が分岐する。
八坂神社の西側の40m四方の区画が主郭と推定されるが土塁は存在しない。
周囲は幅5mほどの堀が巡り南側に土橋Eが確認できる。
南側は水田になっているが、遺構が存在したのかもしれない。

@館跡の北側、東側は溜池となっている。 A池の脇、西に延びる用水路跡 B池に面して高さ1mほどの土塁が存在する。
C調整池跡と推定される場所には水がある。 D調整池跡から西には3本の堀、用水路が延びる。 E本郭(左)南の土橋と埋もれた堀
Fクランクして延びる用水路。 G寺院跡に残る弁天池跡

北側は水路、または堀が3重Dに存在する。その東側には水をたたえた場所Cがあり、調整池の跡と思われる。
さらに北側にクランクを有した感じの水路跡Fが確認できる。

館としての防御力は少ないが、周囲に水を引き込めばそれなりの防御力はありそうであるが、あくまで水利権管理のための館といった感じである。

なお、北側には寺跡があり、溜池の水を引いた弁天池跡Gが明瞭に残る。

館主については不明である。

航空写真は国土地理院が昭和55年撮影のもの。
50stormの古道を訪ねて 参考

主水山館
那珂市鴻巣にある灌漑用のため池「又三溜」の西側に「根城内館」がある。
そして東側にこの館がある。

両館とも最近発見された館であり、名称は発見者の50strom氏の命名を尊重した。

場所はJR水郡線常陸鴻巣駅の東600mである。

肝心の城館は?というと藪の中である。
「根城内館」も藪状態ではあるが、館に隣接して神社があったりするので藪度もそれほど酷い状態ではない。

ところが、主水山館は少し違う。
館本体のある場所は杉林で下草も少なく遺構も良好に確認できるのであるが、館主体部に行くまでが小竹が密集していてそれを突破する必要がある。
ここへは根城内館側から「又三溜」と北側の「上洞溜」間にかかる長さ50mほどの土橋を通って突入。

わたってさらに南に30mほど行くと東西に延びる堀跡(水路跡)がある。
ここを東に進むと幅は広くなり、50mほど進むと南側に分岐する。
この付近から藪も少なくなる。
堀さらには東に延び途中で南に分岐する。
一方、藪の少なくなった部分の南側に堀で囲まれた部分がある。
東西40m、南北60m位の広さであろうか。


J館の北側の堀(水路)

K 主郭北側の堀跡

形は歪んだ五角形をしている。
これが館の主体部である。
幅4mほどの堀が囲むが、南側は途切れる。

この館主体部の東に調整池の跡のようなものがあり、南北に堀が延びる。
北側で東西に延びる堀と合流し、南側は館主体部の南を覆い、さらに南に延びて行く。
堀は非常に複雑な配置になっており、各方面に水を送るようになっていたようである。
館主体部の堀は防衛用も兼ねたものと思われるが、それ以外は用水路であり、多くの堰を設けて送水を管理していたのではないかと思われる。
この複雑な用水路網、鷺内館や玄蕃山館の水路遺構に良く似ている。