檜沢城(常陸大宮市(旧美和村)下檜沢)
緒川支所から緒川沿いに県道163号と29号を5q、桧沢郵便局から緒川をはさんで西に見える山が城址である。
緒川から主郭部までの比高は80mである。

城址は東の貯水池脇から登っていくのであるが、かつてはそこに標識があった。
そこから沢沿いに西の山に入っていったのであるが、直進せず、メインルートと思われる右側に道を登った。
比高100mほど登ると、ようやく城に出あった。それが「下桧沢館」である。
しかし、それは物見台程度のものであった。

でも、実は右に行くのは間違いではなかったが、木橋をわたり直進するのが正解であった。
その道を行き、途中で左に折れ、沢を越えて南の岡に登るのである。
登った場所には墓地があり、東が平坦な畑になっている。
ここに字名が「館」。文字どおり居館の地である。

下の写真は東下、緒川河畔から見た城址である。右の平坦地が館跡の平坦地。
中央部が主郭部、左のピークが上の城「下桧沢館」として紹介した城である。

肝心の城は墓裏の高さ4mほどの塁壁を上がる。
そこは竹林。そして段々に5段ほど、100mほどにわたり曲輪が続く。
南北は50mほどある。ここの南側は崖である。
北側は沢になっており、この北下7mに横堀がある。
段々状の曲輪、横堀に面し土塁がある。その先が急になり、山上曲輪群が展開する。
下の段々状の曲輪群を守るものである。

2つの堀切を越え、急な塁壁を登ると主郭部である。
その北側には横堀があり、何か所か竪堀となって北の谷に下る。
主郭が変わった形をしており、南北100m程度、4段構造になっている。
北端が最高位であり、東西50m、北側は土塁となっている。
その西側が見事な2重堀切がある。深さは5mほど、幅は15mほど。竪堀が南北に下る。
南側は帯曲輪になり、主郭部西側を覆う。
一方、2重堀切の西側は平坦地があり、登りとなり物見である「下桧沢館」である。
したがって、麓の城は麓城、あるいは桧沢城と呼ぶべきであろう。

@東端の台地は館跡か? A山に向かって曲輪が段々に展開する。 B主郭部入口部の堀切
C本郭東下の堀切 D本郭内部、北側に土塁がある。 E本郭は南に段々、曲輪を展開させる。
東野城同様、佐竹義篤書状に「烏山の番衆として、初番として野口、東野、高部、小舟の者共を、次番として小瀬、檜沢の衆を差し向ける」という記載に登場する城である。
この沿道も佐竹氏が烏山の那須氏領に進軍するルート上にある。
対那須氏用の軍勢の宿城、集合地として、遠征ルート上に築かれた番城の一つであったようである。


Pの遺跡侵攻記を参考にした。
F本郭背後の二重堀切の1本目 G二重堀切の2本目、城の西端、この先が上の城