中山城(群馬県高山村)
中之条から沼田を結ぶ国道145号線と月夜野に通じる県道36号線が交差する中山交差点の北西の比高15mの丘(36.6282、138.9511)が城址。
東に西沢川が流れ、西に五領沢川が流れる低地に挟まれた標高568mの丘であり、丘全体が城域である。

県道36号線から西の丘を見ると本郭の鋭い切岸が目立つのでここが城だということが一目瞭然である。
↑の写真は東側、県道36号線からみた城址である。
中央部が本郭、右側が北郭である。
城に行くには特に駐車場はないが、農閑期なら農道にテキトーに車を駐車してもそれほど問題はないだろう。


@下郭と本郭の切岸。きれいに管理されている。

A本郭(T)内部。西端に社が祀られる。

この丘、南北約600m、東西約200mの南北に長く、丘全体が城域である。
本郭とその周囲の堀が非常に壮大であるが、それ以外はテキトーな感じである。
1点豪華主義のような城であるが、まずは堅固な本郭を造り、徐々にその周囲を整備していく途中で工事が中断された感じである。

B本郭は東側以外土塁が覆う。 C本郭周囲の堀の規模は大きい。箕輪城級である。 D二郭(右)西側の堀跡、かなり埋まっている。
E三郭南側、林の部分がニ郭。 F三郭(右)と捨郭間の堀 G捨郭を三郭間との堀越しに見る。

言わば未完の城であったのではないだろうか。
この城は北条氏と真田氏の吾妻、沼田を巡る攻防線において、北条氏が岩櫃、沼田の連絡を絶つために築いたと言われる。
その抗争の途中で北条氏が沼田を手に入れ、さらに名胡桃城を奪うことで目的が達成され、工事を止めたのではないだろうか。

本郭には東下から入るが、東下には川が流れ、これが水堀の役目を果たす。
丘下の畑が下郭、そこから約15mの高さに本郭の切岸が聳える@。
本郭は約60m四方の広さA、東側以外を土塁Bが覆う。

土塁上に立って外側を見ると深さ10m幅20m以上もある壮大な堀Cが土塁に沿って本郭をコ字形に覆う。
本郭の周囲を半円状に二郭が囲む。
さらに外側を三郭が囲む。つまり梯郭式である。
本郭からは藪の堀底を通って行くのは二郭に行くのは大変。

このため、南側に迂回するがその迂回する道F、三郭とその南の捨郭を隔てる堀跡なのである。
大きく迂回して入った三郭E、ただの畑である。
二郭はほとんどが杉林であり、本郭の外側を覆っているだけ、二郭、三郭間の堀Dは南側は失われているが、西側に一部残る。
かなり埋められている感じである。
三郭西側は丘の切岸である。
北側には北郭が存在し、南側には捨郭Gがあるが、明確な遺構はない。