大胡城(前橋市(旧大胡町)河原浜)
大胡町の中心部にあり荒砥川の西岸の南北に細長い比高30mほどの丘の上に築かれた丘城。
現在は本丸と二の丸程度しか遺構が残っていないが、かつては南北670m、東西300mの広い城域を有し、近戸曲輪、3の丸、西曲輪、南曲輪等の郭が並郭式に並んでいた。
「城郭体系」掲載図と現地を見た結果を基に鳥瞰図を描くとこんな感じである。 廃城から400年、陣屋が廃されてからも300年の歳月がたつが、本丸周辺の遺構は良く残っている。 |
二の丸桝形門の石垣。 | 二の丸水手門から見た三の丸。 | 本丸塁壁と堀。 | 本丸内から見た土塁。 |
本丸から見た東の荒砥川方面。 人家は武家屋敷跡。 本丸は15m近く高い。 |
本丸北側の堀。右側は北の丸。 | 本丸の東側は段になっており、 石垣がある。 |
東側の荒砥川付近から見上げた主郭部。 |
中村城(前橋市(旧粕川村)粕川町中寺皆戸)
県道3号線沿い、上毛電鉄粕川駅南に「中村城」の標識がある。 ここを北の月田小学校方面に北上し、約900m、右手100mに中村城がある。 しかし、そこは民家であり、道路沿いからは、よく見ないと土塁は低いため、見逃してしまうほどである。 現在は北側に約100m、西に約20mの幅7mほど堀が残っており、深さは4mほど、一部、水がある。 それ以外は湮滅して畑となっている。北側には土橋のような土塁がつき出る。 一見、100m四方程度の単郭の方形館のようにも思えるが、実際は2重方形館であったらしく、その周囲をさらに曲輪が囲んでいたという。 内部は民家である。この城の歴史を物語る文献は見られないが、膳城と女渕城の中間地点にあり、いずれかの城主家臣の館と思われる。 伝承によれば、「中村右馬之丞」の居城で、武田勝頼の膳城攻めの時、共に落城し、廃城となったものとされている。 東北に「姫塚」があるが、落城の時、城主の娘が奮戦して、最期を遂げた所と伝えられ、伝承の所に碑を建て、今尚土地の人々に供養されている。 膳地区や新里小林地区には、中村姓が多く、中村右馬之丞の子孫ともいう。 しかし、城跡に住んでいるのは中村さんではない。(航空写真は国土地理院が昭和55年に撮影したもの。) |
北側の堀と土橋状の出っ張り部 | 西側の堀と土塁 |