群馬県嬬恋村の城

大前城と大前館(妻恋村大前)
群馬県最西端の城が大前城である。
高原の村、妻恋村にあり、城址の標高も921mである。
妻恋村役場の西400mにある山が城址、麓に諏訪神社(標高883m)@があり、神社裏の尾根を登って行くと城址に行ける。


Yahoo地図の航空写真より。
大前城の北の谷を挟んで、その北側の台地が大前館であったという。

城は南側が吾妻川沿い、大笹街道(国道144号)が通る市街地A北を覆う山、北側に沢が流れる西側から東に突き出た尾根状地形を利用している。
市街地の標高が876mなので比高は45mほどである。

なお、吾妻川の標高は837m、その南の対岸にJR吾妻線の終点大前駅がある。
神社裏を登ると直径10m程度の曲輪があり、その先の登りに数段の段差があるが小曲輪の可能性がある。
頂上部が本郭であるが、その東に幅9m、深さ3mの堀切Bがある。
本郭Cはひょうたん形をしており、東側がやや高い。

@諏訪神社の北側の尾根に小曲輪が展開する。 A @から見た大前市街、この先が鳥居峠方向。 B本郭東側の堀切。
C本郭内部は2段になっているが平坦。 D本郭西側の堀は良好に残っている。 E本郭西側も曲輪だろう。堀らしいものがある・
しかしタラの木が密集しており探査不能。

東西60m、最大幅30m程度、内部は平坦である。西に幅8m、深さ4mほどの堀切Dがある。
その西側も曲輪と思われるが、段々地勢が低くなり、南側から抉りが入る。E
途中からはタラの木の林となり、探査は不可能であったが、何か先にありそうな感じである。
大笹街道を抑える城であり、西窪城とともに東にある鎌原城の支城であったと思われる。

大前城の北の谷津を挟んで、北側に大前館があったという。
大前城の城主の居館だったという。その場所に行ってみたのだが・・。
ただの高原野菜の畑があるだけ。
土塁のようなものや、切岸のようなものがあるが、遺構かどうか分からない。
下の写真が大前館のあったという場所である。
左の林が大前城である。
遠くの山は浅間山である。


大笹関所(嬬恋村大笹) 
嬬恋村役場のある大前地区から国道145号線を鳥居峠方向に約2.5ほど行くと、大笹地区になり、国道脇に大笹関所の門が復元されている。
解説板を参考にすると、この関所は、寛文二年、沼田薄主、真田伊賀守により、大笹村に設置された。
明治2年に廃関となるまで約200年余り沼田−吾妻−菅平−仁礼(須坂)−善光寺を結ぶ大笹街道の通行人や草津温泉の入湯客などを管理した。
この街道は、北国街道(国道18号線)の脇街道であり、善光寺平から菅平を経て高崎に至る道で、越後や善光寺平から上州を経て江戸へ出る重要な街道であったという。 

この街道は、北国街道より短いのがメリットであるが、千曲川端の福島宿(須坂)から鮎川沿いにのぼり、仁礼宿を経て標高1600mの菅平、峰の原高原を横切り、鳥居峠から上州大笹宿にいたる間、峠越えの険しい道だったが、距離が短いことから繁栄し、北信濃の種油が大量輸送された。

 
仁礼から沓掛までは2宿14里(北国街道では10宿20里)と短いため、荷駄は専ら大笹経由で運ばれたという。宿継ぎに要する経費や荷いたみに優れ経済的でコストパフォーマンスが良かったという。
今の国道406と国道144号線が大笹街道にあたる。

 しかし、北国街道福島宿〜仁礼(須坂市)〜菅平〜鳥居峠〜大笹の間は「山道八里」と称し、標高1000メートルを越える菅平高原を越える険しい道であり、冬季は積雪吹雪のため交通不可能になる事が多かった。
また、冬の厳しい時に峠越えの道筋で犠牲になった旅人や牛馬は数多かったという。
その供養と旅の安全を祈って、仁礼宿の外れから、仁礼峠の頂上というべき峰の原の供養塔まで、約17kmの間に60体ほどの石仏がある。

遺構である門扉は国道脇に復元されている。
この門は廃関後取り壊されたが、当時大笹の土屋源三郎氏の先祖が払い下げ秘蔵していたものを特に寄贈してもらい当時の絵図によって1946年復元したものという。