羽黒館(石川町坂路新屋敷
石川町中心部から県道14号線(御斎所街道)を古殿方面に約6q、県道東側、古殿町境の谷地新屋敷地区にある。
館のある山が羽黒山といい、標高は460m、比高は140m、なかなか険しい山である。

なお、この街道筋の谷の西側、古殿町側には仙石館が存在し、この羽黒館とともに谷の両側から街道筋を抑えるのが役目だったのであろう。
ただし、館主は同じ石川氏一族、大寺氏系の坂路氏という。
しかし、規模は小さく、同じ石川氏一族、仙石氏と関わりがあると思われ、館の規模からして仙石館が主城であり、その支城であろう。
←北の麓に菅布禰神社があり、神社裏から行ける。

地図を見ると、山の西側を巻くように道が記され、その道を行き、山南側の尾根部から北側の山頂であるピーク部に向かうのがよさそうな感じがする。
神社裏付近には平場があり、ここが坂路氏の居館の地であったのかもしれない。

しかし、この道は藪化していて消えつつある。ほとんど誰も通らないのだろう。
特に日当たりの良い部分は小竹が密集していて難渋する。
それより、神社裏少し東の尾根筋を登るのが良い。この尾根、広葉樹の林であり、下が藪化していない。
冬場など非常に歩きやすいのである。
それを知ったのは山を下るルートを選択した時である。
@ここが主郭部であるが小さな平場、羽黒社がある。 A主郭北側の細長い曲輪 B Aの曲輪北端に岩があるが、物見か?

登りは藪化した林道を進み、途中から山頂に向けて直登した。
なお、山の中腹西側に物見のような平場Eがあった。
直登した山の西斜面は大きな岩がむき出しの急斜面である。

息も絶え絶えになったころ尾根に出る。
山頂部@は南北15m、東西5mほどの平場に過ぎない。
そこに石の小さな社があり、それが羽黒社であるが、3.11で崩壊したのかバラバラになっている。
とりあえずその社を復興。

その南側3m下に南北20m、東西10mほどの曲輪があり、さらに3m下に南北15m、東西15mの曲輪、さらに帯曲輪1つを介して、高さ15mの急坂になり、南側に続く尾根に通じる。
ここには堀切はなかった。
15mの急斜面が堀切のようなものなのだろう。
一方、山頂北側5m下には幅8mほどの帯曲輪Aがあり、北側に長さ50mほどの緩斜面と平場が続き、先端部に岩場Bがある。物見であろうか。

C北の尾根筋中腹に竪堀が。 DC西側は曲輪状、ここは水場か? E 西側の中腹にある平場は物見か?

その北側にも3つほど小曲輪がある。
ここから神社側に続く尾根を下って行くと、不思議なものがある。
尾根東側に竪堀Cが下り、末端が窪地になっている。
西側は崖になり、横堀Dのようになっている。
どうやらここは水場であったようである。



谷沢砦(石川町谷沢)
石川町中心部から古殿町に向かう県道14号と広域農道が交差する谷沢交差点南500mに県道と平行して東側に北から南に張り出している尾根がある。
尾根先端部の地名が堤ノ内、館の腰である。
この半島状の山の先端付近の標高380m、比高60mのピークが谷沢砦の主体部@であるが、砦というだけあり、簡易的な規模のものである。
例によってこの砦も藪の中である。
尾根上の城は、比高が稼げる尾根の付け根部から尾根上に出て、主郭部まで尾根上を歩くのが最も効率的なのであるが、尾根上までとりつくまでの畑がすでに放棄状態であり、そこにはあの難敵の葛とノバラが密集しているのである。
その場を突破しても今度は管理ができていない倒木だらけの杉林の尾根を歩くことになる。
過疎地の山にある城などだいたいこんなものである。


↑ 南側から見た館跡。
左の鳥瞰図の左上部先端が三角の山部である。
←@藪の中の主郭部

しかも、苦労して到達した最高部にある主郭@は20m×5m程度に過ぎずがっかり。
南側5m下にも曲輪があるが、小竹の密集でほとんど先に進めない状態で撤退を余儀なくされた。
結局、城郭遺構は主郭北側の虎口とほとんど埋まった堀切程度であった。

あとは平坦に加工された腰曲輪程度であった。
しかし、尾根を北に向かうと、杉林の中を幅8m、深さ4、5mほどもある横堀B、Cが尾根を分断するように西側斜面から延び、尾根上を北にカーブして続いているのを発見。
おそらくこれは道を兼ねた横堀であったようであり、尾根上では砦側から堀底を攻撃できるように横矢がかかるように直角に折れ曲がる等の工夫されているのである。

これは尾根続きの北からの攻撃、緩勾配である尾根西側斜面に沿った攻撃を遮断するための工夫であろう。
目立つ遺構としてはこの程度のものである。
この砦はこの街道筋の監視の砦であるとともに谷沢氏の居館、太鼓館を守るための城でもあり、狼煙リレーの中継点であったのであろう。
A主郭北側の堀切 B北側の尾根鞍部を走る横堀(または通路) C横堀は直角に曲がり横矢がかかる。


太鼓館(石川町谷沢戸賀)
谷沢砦の南側0.5q、羽黒館の北1.3qの戸賀地区が太鼓館跡である。
この場所は平地から比高20mほどの東から張り出た台地西端部であり、県道14号線に面した斜面が切岸状になっていることから、いかにもの館という感じである。
岡の上は民家と畑である。

名前通り、太鼓を叩いて敵襲を知らせたのかもしれないが、その場合にはもっと高い場所の方が適しているように思う。
ここは場所的には居館に適した場所である。
名前の由来の太鼓とは軍勢を集合させるための目的だったのかもしれない。
館主は石川氏一族、大寺氏の流れを組む谷沢氏という。