ESSAY2026

罠に掛かる 1.31

「罠に掛かる」・・非常に意味深でビミョーな言葉です。
色々な意味を含みますね。
詐欺に引っかかるのも罠に掛かる、というので騙すという意味も含みます。
英語だとトラップですね。
俺の場合はかあちゃんの罠に掛かった?。
かあちゃんが娘に「うちのとうちゃん、単純だからあんなの騙すのはお手のものよ。」とほざいたそうな。
妙に納得できる。見抜かれている。
で本題に。俺、詐欺にかかった訳じゃない。

俺が掛かったのは、本物の罠です。
道もない藪の中をうろつく、いや徘徊するのが俺の趣味。
その日も堀切1本物のチャチな城を見て、下山した。道なんかない。
藪をかき分け、尾根を麓に下りる方向に進んだ。
今はスマホにGPS機能があるので便利だ。
ひと昔、前なら、山中放浪した挙句、岩場や崖で進退窮まり孤立、プチ遭難なんてこともあった。
その日、もう少しで山麓という所で、靴に何かが絡まり前につんのめった。
リング状のワイヤーが靴に巻き付いていた。
(本来の)罠に掛かった。
いわゆる、「ククリ罠」というやつだ。
イノシシ用である。
トラバサミはもう使用禁止になっているので幸いなのだが。
確かに歩いてきたのはイノシシが歩く道だ。
だいたい、俺、イノシシのようなものだから仕方ないような・・
俺が歩くルート、ほとんど獣道、普通の人間が歩くような場所、歩いてないもんなあ。
そこに罠を仕掛けるのは十分納得してしまう。
大変なのは巻き付いたワイヤーを外すことだ。結構、きつい。なかなかとれない。
人間は手と工具が使えるので、何とか外したけど。動物じゃ無理だろう。よく出来ていると感心。

ちなみに俺は山でイノシシに遭遇したことは一度もない。
奴と縁遠いのは結構だけど。
カモシカには何回か会った。奴らは好奇心の塊、至近距離まで逃げない。カメラ向けるとポーズまで取る。
でも何故か、会いたくもない熊には5回も会っている。
一度は熊に威嚇され、逃げ帰る。
一度はステッキで熊を威嚇して崖から落としたけど。
(奴が勝手にパニックになって崖から落ちただけだが)
6回目の遭遇は御免こうむりたい。

罠に掛かる・・別の意味もある詐欺には気をつけましょう。
その手のメール、あの手この手で多いですね。本物か、と思わせる技巧的なものもある。AIで作るのか?
送り手のアドレス見れば大体分かるし、本人の名前宛じゃないもの(アドレス名宛)は詐欺メールでしょう。
架空請求も多いですね。俺、東京ガス使ってないし、中部電力から料金請求?なんじゃい。
俺の場合はハニートラップが危ない。近づいてきて、鼻の下伸ばしたら、そのうち投資勧誘?
ところで、1月も今日が最後ですね。
日本海側は大雪だというのに、当地では1月、雨が降りませんでした。
雪がちらついたことはありましたが、降水量はゼロ。
そんな事って今まであったのかなあ?これも夏の暑さ同様、異常気象か?
お陰で近所で山火事発生。
乾燥しているうえ、風が吹き、野焼きの火が燃え移ったらしいです。
我が家では有機農業用に専用の焼却機で剪定した枝葉を乾燥させ、処理し、草木灰肥料を作っています。
石灰代わりの中和剤、土壌消毒剤兼カリウム肥料です。
焼却にはハニトラ同様、気をつけたいです。

遺書 6.13
6月に俺は毎年落ち込む、軽い鬱状態か?
このシーズン、山城探訪も終わりとなり、畑も日差しが強くなり余り出ない。
ストレスが発散できない。モヤモヤが解消されない。鬱憤が身体に溜まる。
そんな季節的なこともあるが、もう1つの要因がある。
もう8年前のことだが、家内の命がもう最終時期となり、家で看ていた。
病院ではもう治療法がなかったのだ。
その姿、直視できるものではなかった。家族以外の者にも会わせられる状態でもなかった。
その現実から逃れることもできない。

そんなことでその頃は酷い精神状態だった。

唯一、会社に行くことが、その鬱憤を忘れる、いや、一時的に逃げる?手段だった。
そんなことがトラウマになったのか、以降、6月になるとあの時のことを思い出してしまい、6月はどうしても気分が落ち込む。
家内は翌7月に俺の前から姿を消した。

本題に戻るが、先日、遺書をテーマにした映画を観た。
それで思い出した。

8年前、家内は自分の命がもう残り少ないことを悟り、友人等何人かに遺書を書いていた。
俺はそれを知っていたが、知らんぷりをしていた。
その遺書は封印され、死後、発見された。娘に送るようメモが残されていた。
娘宛の遺書もあった。

その内容の中には俺に対する指示も書かれていたという。
「おとうさんを頼む」と。

でも、俺宛の遺書はなかった。
実はどうも存在している(た?)可能性がある。

家内がまだ生きていたある時、何気なく書類ケースを開けると中に便せんがあった。
そこに「あなたへ」という文字があった。俺宛の書きかけの遺書らしい。
俺は「あなたへ」という文字を見ただけで、「ヤバイ、今、読んじゃいかん」と思い便せん閉じて、書類ケースに戻した。
しかし、それっきりになった。

家内の死後、その遺書を探したが「ない」「見つからない」
今もひっそりとどこかに存在しているかもしれない。

未完成状態のままかもしれない。あるいは破棄されているのかもしれない。
読みたい気もするが、今は読みたくもない気持ちが勝っている。
読むのが怖いのだ。臆病なもんだ。
もし、存在していたとしても永遠に見つからないのがいい。
でも俺は思っている。続きが書けず捨てられたのではないかと。
とても、続きなんか、書ける精神状態じゃないかと。
それならそれでいい。

こんなことを書いていること自体、俺はやっぱり、鬱状態にいるようだ。
さて、外に出なくては!

家内の9周忌と不審者 7.9
今日で家内が俺の前から姿を消して8年が経った。
俺の独身生活も9年目に入る。
何だか、今となっては彼女が実在していたのかピンと来なくなってきている。
俺に奥さんいたのか?

でも、子供や孫の顔を見ると現実に戻る。
家内と同世代の女性に会うことがある。
昔、美人だった人も申し訳ないがかなり劣化している。

それが宿命だけど。
まあ、男も同じことだが。まだ、俺には髪の毛がある。髪の色も黒い。

でも顔はジジイになってきている。口元に締まりがない。
鏡を見るとがっかりする。悲しい。

脳裏に浮かぶ家内の顔は童顔だったこともありまだ若い。

そこで時間が止まっている。
年老いた家内の顔を見ずに済んでいるのはある意味いいのかもしれない。

昨年秋、近所の家内の小中学校の同級生だったおっさん(若いジジイ)から
「あんたの奥さんの若い頃とそっくりな娘にあった。俺、ずうっと見惚れちゃったよ。」
と言われた。「見惚れた」?そんな娘いるのか?

いたら会ってみたいもんだ、と思った。

それから半年、あるスーパーマーケットに行ったらその娘が「いた」。確かにそっくりだった。
俺の奥さんだった人が・・・もちろんそんな訳はない。
似た人ってよくいる。珍しいことじゃない。
親子親族ならそっくりな場合もある。同じ遺伝子を持っていたら当然である場合も多い。
ご先祖様とそっくりなんてこともある。
俺の末娘も俺とよく似ている。昔から周囲に言われている。
まあ、当然と言えば当然だけど。顔はともかくテキトーな性格まで似ているのは困ったもんだが。
その子供、つまり孫もどことなく俺に似ている。

つまり末娘の遺伝だ。やることすぐ飽きる。あれ俺の遺伝だ。
おっとまた本題からズレる。

俺はかあちゃんにそっくりなその女性に目が釘付けになった。
しかし、よく似ていた。でも、彼女の姿は、高校生の頃のかあちゃんの姿だった。
昭和の女子高校生の姿、容貌である。令和の女子高校生の姿ではない。
古風な顔、今、存在しているタイプではない。でもそんな昭和な感じの娘、まだいるんだ。
髪の毛は茶色ぽくオカッパ、丸顔、色白、童顔・・顔はそっくり。
違うのは長身だった。かあちゃんに比べると低い。

彼女は母親と買い物に来たようだ。その姿を俺はずうっと追ってしまった。後ろをつける訳じゃないのだが。
無人レジも横の機械を使った。その間、俺はチラリチラリと彼女を見ていた。そして彼女は母親と帰って行った。

どこか名残惜しいような・・。でも、俺の行動、振り返ってみればあの行動、後をつける不審者だ。
まあ、山を徘徊する俺、不審者そのものだけど。
でも、いるもんだ。似た人って。

この話、家に帰って話したら、上の娘が既に彼女を知っていた。
昔見た写真に写っていたの母親の昔の姿にそっくりな人を見て、思わず見つめ、後を付いてしまったと。
見た瞬間に何かを感じたと。
どうも俺が会った娘と同一人物のようだ。

親子、ジジイとおばさんが高校生を付け回す・・とんでもない笑える行動だけど。
その後、また、彼女に会えるかもしれないとそのスーパーマーケットに何度か行ったけど、結局、あれっきりになっている。
何、俺、期待してるんだ?
暑くなってきたしなあ・・。