Essay2022

「北の国から」鑑賞記 3 〜雪子〜
「北の国から」のほぼ全編で黒板家の一員、準家族として登場するのが、母親いしだあゆみ演じる令子の妹、竹下景子演じる「雪子」である。
純の彼女達とは違うが、彼女もこのドラマの「ヒロイン」の1人である。

雪子は演じる竹下景子はイメージ通り、清純な印象を与える。
当時の清純派女優の代表的存在だった。
でも、そうか?
全編、見終わって思ったのは、一見、彼女はまともだが、どこかおかしい。

彼女こそ、清純という仮面を被った魔性の女ではないのか?
みな、外見の清純で端正な顔に翻弄され、騙されてているような・・・。

もちろん、本人も自分に魔性があるとは気がついている感じはない。
周囲もそんな要素があることは気がついた感じはない。
しかし、行動と結果からすれば、あれはまともとは思えない。
周囲を混乱させている。
果たしてそれは俺だけが感じたことだろうか?

彼女は、付き合っていた男の子供を身ごもったが、妻子がいたことが分かり中絶し、別れ、失意のうちに富良野の来て黒板家に転がり込む。
何で富良野に来たのか?多分、五郎さんに助けを求めたのだろうが、ここで何をしたかったか分からない。
とりあえず、黒板家で主婦のようなことをやっている。
でも、その男を諦めきれず、復縁を画すこともあったが失敗。

一方で岩城滉一演じる草太のアプローチを受け、まんざらでもないそぶりを演じ(二股、保険、スペア確保が目的か?)、許嫁の松田美由紀演じるつららと草太の仲を破綻させる。

富良野に来て5年後、その男が離婚してやっと結ばれる。
富良野を離れる時「自分は旅人だった。」と言っている。
でも、14年後、その男が不倫に走り、また富良野に帰って来る。
今度は住人になるために。
・・こんな流れか?

富良野に帰って来た時はすっかりオバサンになっており、若い頃のはつらつさはない。
そりゃ、20年も経ちゃ。40代、50近いおばさんである。

彼女のこの行動、その根源は、姉、令子と同じ不倫、浮気の遺伝子ではないだろうか?
そうじゃないとあんな行動はしない。
普通は中絶して別れた時点で終わり、別の男を捜すだろう。

復縁を画し、最後にそれを達成するのも凄い執念である。
そこまで行けばそれが「強い愛」なのか?「強い想い」というより「執念」ではないのか?それなら恐ろしい。
しかし、最後は「奪ったものは、奪われる。」という結果に終わるが。

五郎さんの奥さん、令子の不倫、浮気の遺伝子は純や蛍も確実に受け継いでいる。
同じ遺伝子を雪子が持っていても姉妹なら必然である。
その遺伝で考えると彼女の一連の行動は理解できる。

しかし、なぜ、わざわざ親戚である黒板家に転がり込んだのか?
あんなサバイバル生活する気になるものか?
そこは良く分からないのだが、雪子の本当の狙いは姉の後釜、五郎さんの奥さんの地位だったのではないか?
現に純も周囲もそう感じているような所もある。

一方的に五郎さんが好きなのかもしれないが、全く振り向いてもらえなかったのではないか?
五郎さんが愛していたのはあくまで令子だったのは間違いないだろう。

結局、この雪子はどうにでも捉えることが出来る人物である。おそらく人により捉え方が異なるのであろう。
俺とは全く違う見方をする人もいるだろう。
そう翻弄させるのが、作者の狙いか?
やっぱり女は恐ろしい?

「北の国から」鑑賞記 4
「男はつらいよ」と「北の国から」
「北の国から」と「男はつらいよ」は作品の時期が重なることもあり、出演者もかなり共通している。
ただし、両作品の性格は大きく異なる。「

北の国から」はTVドラマであり、比較的真面目な物語であるが、「男はつらいよ」は映画であり、主人公「寅さん」を中心とした笑いを取ることが主目的のコメディ、娯楽作品でもあり、多くの笑いの要素をちりばめている。
比較的真面目な物語であるが、「男はつらいよ」は主人公「寅さん」を中心とした笑いを取ることが主目的の娯楽作品でもあり、多くの笑いの要素をちりばめている。
同時上映の「釣りバカ日誌」の浜ちゃんがそのまま登場する場面もあり、他の作品をリスペクトする「遊び」の要素を盛り込んだ場面も多い。

「男はつらいよ」には「北の国から」にも出演している吉岡秀隆はもとより、笹野高史、古本新之輔、美保純、笠智衆がレギュラーとして登場する。
ゲストとして田中邦衛、地井武男、大滝秀治も登場する。
いしだあゆみ、竹下景子、風吹ジュンはマドンナとして登場する。

もっとも、この業界では俳優があちことに出ているのは当然であり、名作と言われるこの2つの作品に出るというのは売れている証拠である。

最終作近くに至っての主役は寅さん(渥美清)から満男(吉岡秀隆)に移ってきている。
満男のキャラクターはほぼ純のキャラクターと同じである。

優柔不断で、ある面かなりクズでヘタレでかなり情けない。
もっとも、「三丁目の夕日」で演じた茶川龍之介も同様のキャラクターであり、吉岡秀隆が演じる役はだいたいこんな人物が多い。
このため、「男はつらいよ」で満男が写る場面は何となく純に見えてしまうのである。

一方、「北の国から」をリスペクトしている場面もいくつか登場する。
1982年8月公開の29作「あじさいの恋」のマドンナは「いしだあゆみ」である。
そこに吉岡秀隆が共演する。
二人は「北の国から」では母子の設定である。
公開時期は連続TVドラマ「北の国から」放映後である。これは明らかに「北の国から」を意識している。

「北の国から」の雪子役の竹下景子がマドンナとして満男と写る場面もある。

さらに1995年12月公開の最終作48作「紅の花」ではチョイ役で渡し舟の船長役に田中邦衛が登場する。
その船の客が吉岡秀隆である。「北の国から」では95秘密が放映された頃の作品である。
この二人が二人だけで映る場面がある。この場面だけを切り取ると「北の国から」の1場面となる。
ただし背景が奄美大島である。これで「北の国から」のバロディ「南の国から」が成立する。

それをとんねるずではなく、「北の国から」の出演者本人達でやっている。凄い遊び心である。
観客に話題を提供し、作品を盛り上げる目的なのだろう。
このような場面は「男はつらいよ」には多くちりばめられている。それを探すのも面白い。

「北の国から」鑑賞記 5 〜結婚式破壊〜
「北の国から」95秘密で純が初恋の人「れい」の結婚式で映画「卒業」のダスティンホフマンが行う花嫁強奪を「やってやろうか」と結婚式直前に「れい」に言う場面がある。

その花嫁強奪を「れい」は純に「やって」とまで言っているのである。 
なぜ、こんなことを言ったのか?多分、まだ、純が好きで未練があったためだろう。

この結婚の前、「れい」は「プロポーズされたの」と純に前に言っているのである。
これは、遠距離恋愛で自分から離れていく純の心を自分に引き戻すために言ったのであるが、純は突き放してしまう。
その結果、「れい」は結婚する道に進んでしまうのである。
結局、純は林の中から見ているだけで、花嫁強奪は実行できず未遂に終わり、初恋はここで完全に終わりを迎える。
見ていて悲しくなる場面である。
(「北の国から」の続編があるとしたら、二人の関係は復活するようだが。)

これとよく似た場面が「男はつらいよ」最終作、48作「紅の花」に出て来る。
こっちでは結婚式を見事に破壊する。演じるのはやはり吉岡秀隆である。
こっちでは遠距離恋愛状態にある彼女、泉(後藤久美子)に結婚話があり、泉が吉岡秀隆演じる満男に最終意思確認に来る。
泉は止めて欲しかったのであるが、パニックに陥った満男はうやむやのうちに了解してしまうのである。
しかし、後悔した満男は結婚式の破壊に行く。
そして見事に結婚式をぶち壊し、逃亡、最後に泉とよりを戻す。

この2つの作品、ほとんど同じ時期、1995年に放映されている。
役者も同じ・・筋も似ている。これは果たして偶然か?故意に思えるのだが。
結婚式破壊・・さすが真面目なドラマ「北の国から」じゃ余りに突拍子もないのでやらないだろう。

でも「男はつらいよ」は突拍子もない娯楽作品である。寅さん自体が突拍子もないキャラである。やりたい放題。
結婚式破壊など屁でもなく実行可能である。ストーリー上も全く違和感が感じられない。

なお、「男はつらいよ」はこの48作後、次作49作で満男と泉は結婚するシナリオだったが、渥美清死去のため、続編が作成できなかった。
2019年に製作されたその後を描いた第50作「お帰り寅さん」では、泉役の後藤久美子がスイスで生活している現実を反映しそれぞれ別に家庭を持っているという設定のストーリーにされている。

CASABLANCA 鑑賞記
モロッコの都市の名前ですが、、あの有名な映画のことです。
いかにもアラブといったいい響きです。
映画は名作として名高いが、そうかな?
俺、観たけどそうは思わなかった。これっていわゆるプロパガンダ映画じゃないか?
大陸の国や北の国やかつてのソ連が得意な!

イングリット・バーグマンの美貌に騙され、翻弄されているだけだろう。
内容は反ナチがテーマであり、それ以上でも以下でもない。
舞台のカサブランカ、ドイツに半分降伏したようなビシー政権の管理下にあり、ドイツ軍が目付でいる状態。
一応、独立しているようなビシー政権下の警察も本音は反ナチ、住民、亡命者全て反ナチ。
反ナチの人間が結託してナチに一杯食らわすという内容である。

それをイングリット・バーグマン演じるイルザとハンフリー・ボガード演じるリックの恋愛ドラマの形でプロパガンダをカムフラージュしているに過ぎない。
でもこのイルザ、夫とリックの二股をかけているのである。夫が死んだという話(ガセだったが)を聞いた直後にあっさりリックと恋に落ちるのである。そして最後まで二人を愛しているのである。とんでもない女である。
こんなのありか?二人の男は堪ったものではないが、何故か二人ともそれを認めているのである。まさに彼女は魔女である。

しかし、この映画を第二次世界大戦中の1942年に作るアメリカも凄い余裕。
とても日本やドイツが敵う訳ない。そんな背景から見るとまた面白い。
そしてイングリット・バーグマン、確かにすげえ美女である。

この後、続けて「禁じられた遊び」を50年振りに見た。でも途中で止めた。
ポーレットちゃんがかわいそうで、かわいそうで見るに耐えれなくなった。俺の神経は細いのだ!
これこそ反戦映画だ。

ローマの休日 鑑賞記
50年振りに見た。
50年も経ってまだ場面のいくつかが記憶に残っているのも凄いものだ。
それだけインパクトが強い映画ということだろう。
ストーリーは単純明快、王女様が堅苦しい世界から耐えきれずに逃げ出し、一日、市井の自由を謳歌し、また元の世界に戻って行くというものである。逆シンデレラとも言えるだろう。
そんな単純なストーリーの映画がヒットしたのは主演のオードリーヘップバーンの魅力とローマの街に尽きるのだろう。確かに彼女はこの時、若く輝いている。
1953年の作品、ヘプバーン24歳。

一番、面白いシーンは追っ手をギター(チェロ?)で彼女がぶちのめす場面だろう。
王女様とのギャップが一番出ている場面である。そして最後の記者会見のサプライズ場面か?
この映画のストーリー、というかパターン、色々な映画やドラマにもアレンジされている。

例えば、「男はつらいよ」の第31作、大物歌手都はるみが公演先から逃げ出し、寅さんとしばしの自由な旅をする話、寅さんは相手が誰か知っているのだが、知らない振りをして付き合う。
これはローマの休日と同じ流れである。

また1999年の「ノッティングヒルの恋人」、住む世界が違うハリウッド女優と小さな書店の店主の恋、彼女の気まぐれな行動に翻弄される男・・・最後の場面は「ローマの休日」と同じ記者会見の場。
それなので「ロンドンの休日」とも呼ばれる。

ヘプバーンの若い頃の作品は若さで押し切るような作品が多いが、俺が一番良いと思ったのは「暗くなるまで待って」(1967)である。
この時、彼女は38歳、既に中年、若さだけでは押し通せない年齢である。
この作品、ほぼ1つの部屋のみが舞台、劇である。
盲目の女性の役、彼女が預かった麻薬を仕込んだ人形を狙う悪人との1つの部屋を舞台にした攻防を描いたサスペンス。
照明を全て破壊し、部屋を真っ暗にすることで悪人を倒すというもの。この作品での演技がなかなかのもの、既にアイドル女優ではない。
しかし、この作品が実質的な引退作に近いものになった。

夢で見た未来の光景
行ったことがない場所の風景を記憶していたりすることをデ・ジャブと呼ぶ。小説などのネタとしてよく使われる。
デ・ジャブはフランス語で、日本語では「既視感(きしかん)」という。
Wikipediaによると「実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じる現象である。」と定義されている。

さらに「一般的な既視感は、その体験を「よく知っている」という感覚だけでなく、「確かに見た覚えがあるが、いつ、どこでのことか思い出せない」というような違和感を伴う場合が多い。
過去の体験は夢に属するものであると考えられるが、多くの場合、既視感は過去に実際に体験したという確固たる感覚があり、夢や単なる物忘れとは異なる。デジャヴは神経の“通り道”が違ってくることで起こる脳内の情報処理プロセスに起因するものである。 」
と解説される。
難しくてよく分からん!もっと簡潔に表現できないのか?

人から聞いた話、小説の世界、TVや映画で見た映像が強烈に脳裏に記憶され、それが各自の脳の中で映像化され、それらがあたかも自分が経験した現象として現れることもあるのではないだろうか?
夢の中ではドラマの舞台に入り込んでいたこともあるし、行ったこともない外国に行った夢を見たこともある。
その脳の中に形成された世界と現実が混線しちゃい、あたかもそれを現実のこととと信じてしまうのがこの現象なのではないだろうか?

精神病としてのアプローチもされているようである。
確かにどこかの国などは、誇大妄想とか、精神病としてアプローチした方が妥当と思うが。
未来を扱った小説、TV、映画が脳裏に強烈に残れば、それが影響して未来の光景を見たということもあり得るだろう。

しかし、その光景が未来においてそのまま実現したら?
俺はそんな体験をしたことがある。
夢の中に出てきた光景が、現実にそのまま目の前に現れたことがある。
それに直面した時「あの夢の中の光景はこの場面だ!」と思った。

俺の家内は大病を患い、病院からもう治療方法はないと言われ自宅に戻った。
絶望が家庭内を覆い、家内の状態も徐々に悪化、精神的に家族全員がおかしくなってきた。
段々「死」を意識せざるを得ない状況になってきた。
必然的に死んだらどうするんだ?と手続きなども調べざるを得ない状況になった。

すると、俺の夢に、家内が亡くなり、葬式をしている夢が出てくるようになった。
それも何度も。
決まって、葬式をしているところを式場の天井部から見下ろしている場面だ。

祭壇、棺があり、俺が喪主席に座っている。
横に子供達が。後ろには兄弟家族が並んでいる。
家内はまだ生きているのに縁起でもないこの夢!

でも、家内の寿命は尽き、葬式を挙げることになった。
その会場、夢に出てきた場所、そのものだった。
そこは始めての場所。
インテリア、配置、全て夢の中のまま。

式の最中、読経を聞きながら俺は天井のインテリアを見ていた。
そのインテリアの位置から見たシーンが夢で見たものだ。
誰かと目が会ったような気がしたが、あれは俺の視線か?
俺同士が視線を交わしたのか?


夢の中で
夢は眠りが浅い時に見ているそうである。
一晩で沢山の夢を見ているらしい。
夢を見たという漠然とした記憶はあるのだが、夢の内容はほとんど覚えていないという。
覚えているのは目覚める直前のものともいう。

しかし、中には鮮明に記憶している夢もある。
だいたいにおいて夢の中のストーリーはめちゃくちゃ、絶対にありえないものである。
だから「夢」なのである。

寝ている時に見ているのが「夢」であるが、起きている時に見ている「夢」もある。
「妄想」「願望」「希望」の類をそう呼ぶことがある。
もちろん、「夢」は「夢」、仮想の世界、現実ではない。

「夢」の世界なら、俺はイケメンであり、頭脳明晰、スポーツ万能、金には不自由しない。
奥さんは美人・・・ってことになる。
そんなスーパーマン、いる訳ないのは承知している。
あくまで願望である。

しかし、中には時には「夢」と「現実」が区別つかなくなる人もいる。
ここまで来ると病気である。周囲には迷惑をかける。
どこかの国など国民ばかりか、国までこの病気に罹っているくらいである。
病気という認識がないので大変である。

・・・どうも話がずれる。寝ている時に見る「夢」に話を戻す。
皆さんは、夢の中で自分が夢の中にいるという認識を持ったことがありますか?
多分、ないのでは?

俺にはそういう時があった。夢の中に死んだ女房が出てきた。
俺は何故か夢の中でも女房が既に死んでいることを認識していた。

「死んだ人間がここにいる訳はない。俺は今、夢を見ているのだ。ここは夢の中だ。夢の中は何でもあり。だからここに女房が出てきてもいいんだ。」と妙に納得している自分がいた。

その夢、俺は一人で、大型ショッピングセンター内を歩いている。
誰かが横にいるような気がした。女房が横にいた。
別に驚きもしなかった。

ここでこの世界が夢の中であることに気がついた。
しかし、顔は見えない。
パーカーを着て、フードを深くかぶって下を向いているためである。
どこにでもついて来る。
何もしゃべらない。病気の最末期、声もほとんど出なくなっていたからだ。
物を買ってレジで金を払おうとしたら、横から女房の手が出て料金を払った。

店内でもずうっと無言で横に付いて来る。
そして、車に乗り込み家に帰る。助手席には当然、女房が座っている。

俺はふと、顔を見たくなった。そこで車内の物をわざと助手席の床に落とし、身をかがめて手を伸ばし取ろうとし、フードの下から顔を覗き込んだ。
そこには・・・・顔は見えなかった。
フード内は真っ黒なスモークで覆われていた。
・・「あっ」と思ったその時、夢から醒めた。


記憶の中の光景
記憶はどこまで遡れるのだろう。
以前、娘が話した内容で唖然としたことがある。
それは彼女がまだ歩く前の記憶だった。

親父が抱っこしていたと言っていた。
確かにその時、俺が抱っこしていたのは間違いない。
1歳前の記憶なのだ。
で、自分の記憶がどこまで昔に辿れるか?

実家に、ある山にある神社境内の大きな木の下にシートを広げ、そこで家族と近所の一緒に行った人たちがお弁当を食べ休んでいる写真がある。
子供が写っているが、それは2歳の管理人。
昭和30年代のこと。
管理人2歳なのだけど、どういう訳か、このことをはっきり覚えている。

それも動画で。ここに来るまでのことさえ記憶している。
当時、自家用車などなく、移動は徒歩、バスか自転車である。
この神社には自転車で来た。
自転車の運転席前のフレームに子供用の座椅子を付け管理人が座り、親父が自転車を運転。

母親は別の自転車だった。
その乗っている時の光景も記憶にある。
当時、道路は舗装はされていなく砂利道だった。
敷いたシート周辺を歩き回っていたことも記憶している。
その周囲の風景も鮮明に残っている。
だけど、不思議なことに写真に写っている一緒に行ったはずの近所の人の記憶が全くない。

その山の神社、その後、行けば行けないことはなかったが、縁がなかったのか、行くことがなかった。
高校生のころ、行こうとしたが、途中で夕立が来そうになり断念した。

あれから、50年後、半世紀ぶりにその神社に行った。
驚いたことに記憶に残っている光景がそのままそこにあった。
大木は相変わらず大木だったし、シートを広げた場所も特定できた。
神社社殿も周囲の山の景色も記憶の通りだった。
なぜ、2歳の時の記憶がこんなに鮮明に残っているのか?

母親にこの話をしたら驚いていた。
しかし、この神社にはその3年後に妹も一緒にもう1回行っているのだそうだ。
でも、3年後の記憶は全くない。
記憶の動画にも妹は登場してこない。
なぜ、古い記憶が残り、後の新しいはずのことが記憶から消えているのだろう。
今も頭がこんがらがる。
しかし、記憶回路ってどうなっているんだろう。

栗の木の思い出
お犬様の散歩に付き合うルート上に栗の木がある。
犬がイガの棘を足に刺し、大騒ぎした。
けっこう立派な栗の木である。その木を見上げて思いだした。
我実家の前に大きな栗の木があった。直径50p以上ある大木だった。

その栗の木は昭和34年9月に来襲した伊勢湾台風で地面から1mくらいの位置で折れた。
この木の下は絶好の日よけ傘の下で遊び場だった、そこで遊んだり、イガを踏んで、足の裏に針が刺さり、大声で泣きわめきながらばあさんに抜いてもらった記憶がある。

そして、折れて残った木の幹を覚えている。
なぜか、残った幹はそのままの状態で小学校低学年まであった。
そのうち、内部が腐食して撤去された。

しかし、木が折れた時の記憶、つまり台風が来た時の記憶と折れた木の幹が転がっていた風景や片付けている風景の記憶はまったくない。
前後の記憶はあるのだが、中間がすっぽり抜けているのだ。
台風が来た時、俺はばあさんに抱かれて避難し、ばあさんがずうっと抱きしめていたそうである。
恐怖で記憶がなくなっている可能性もある。

我が家の近くに栗の木がある。
犬の散歩でその下を通る時、落ちたイガを見る時、実家前にあった栗の木を思い出す。
ついでながら、俺を抱きしめていたばあさん、その名前は娘の1人が引き継いでいる。

ゴミ屋敷のタイムカプセル9.14
無人になったかあちゃんの実家の片付け・整理を続けています。
ここはいわゆるプチゴミ屋敷です。
それでもTVで報道されるゴミ屋敷に比べるとずうっとまともです。
少なくとも外見からはゴミは見えません。

農家なので敷地が広く、大きな納屋が2つあり、平屋の母屋は押し入れ等の収納スペースが充実しているからです。
ところが、家の裏に回ると・・、納屋や押し入れ等の扉を開けると・・・
ガラクタやゴミが山積み。
雪崩が起きたら埋もれそう・・。こんなところで遭難したら?
何しろ、物を捨てるという概念がないので全てのものが使い終わったらそのまま詰め込まれています。
分別なんかテキトー。

おそらく、「まだ使える。」という理屈なのでしょう。何でも取ってあります。
戦中・戦後の物がない、買えないという時代を生きた爺さん達の恐怖心の裏返しなのでしょう。
「また使えるものはもう使わない。」なのですが・・・。
あの80代、90代の人たちは大体似たようなもの。
我が両親も少しまともなくらいですが同類です。
聞けば、ご近所のじいさん、ばあさんのいる家、それほど変わらないようで、子供世代は皆、嘆いていました。

昔は各家の焼却炉が畑にあり、燃やせるものは燃やしてはいたようで、缶、ビン等のゴミ出しも多少はやっていたようですが・・・。ビニール系のゴミは燃やせなくなり、今では焼却さえできにくくなっています。
そんなことで処分を進めていますが、苦戦と難航の連続。
コンバイン、トラクター、田植え機、乾燥機、耕運機等の大物農機具を処分。
次いで、冷蔵庫等のリサイクル家電の処分、
納屋などには4台の冷蔵庫、4台の洗濯機、2台のTVが詰め込まれている。
処理を一人でやったら腰の爆弾がさく裂する。
そのため、人を頼んで処理、リサイクル券の購入、人件費で計数万円。

納屋や押し入れの天袋の不用な可燃物は40リットルのゴミ袋に詰め込み排出、その数、今までに100袋、まだまだある。
昔は冠婚葬祭を自宅でやっていたので陶器類や大きな鍋類の量が凄いこと。
廃棄物処理センターに軽トラで数往復、搬出した総重量はトンのオーダー。

納屋の奥に古い箪笥を発見。引き出しを開けたら古い服がぎっしり。
それらは可燃ゴミの袋に詰め込む。引き出しの下に敷いてある新聞紙の日付を見たら昭和36年!
なんと60年以上前じゃないか!俺は60年ぶりに引き出しを開けたのだ。
並行して古い写真の整理もしているが、死んだ親父が当時着ていた服と引き出しの中の服が一致。
小判など金目のものは皆無。
聖徳太子さんと伊藤博文氏等のブロマイドは少し見つけたが、あれは束じゃないとねえ。
明治時代の古銭もあったが・・・それらは手数料として没収!
納屋の中二階がまだ手付かず。梯子で登り、ちょっと覗いた。
・・・見てはいけないものを見てしまった。・・・「見なきゃよかった。」
夏場は暑くて中断していたが、そろそろ再開か?苦戦は続く。