Essay2020

クレイマー1.25

趣味(と一部委託)で城の調査をしているが、住人に伝承とか、地名とか聞くことも多い。
でも、いきなり人の家を訪ねるのも神経を使う。
訪問販売も多いから住人も警戒している。

俺は茨城県の城郭調査委員会の委員をやっている。
その地位を利用し、その身分証を提示するとほとんどの場合、警戒は解かれ、すんなりいく。
まさに印籠である。
だいたいは親切に対応してもらえる。お茶が出て来ることさえある。お土産もらったこともある。
でもさあ、果物は嬉しいけど、ダイコンもらってもねえ・・。断りにくくて。

しかし、時にはとんでもない人物に遭遇することもある。
まあ、山の中で熊と遭遇するとか、蛇を踏むようなものか?

その日も伝承とか、地名を聞くために、ある家を訪ねた。
ドアが開き、主人が出てきた。そのオヤジの目を見た瞬間、「やばい」と直感した。
上手く表現できないが、ともかくまともな目じゃなかった。
「目は口ほどに物を言う。」と言うがまさにその通りである。
一応、身分証を提示し、聞きたい内容を伝えた。普通はそれで本題に入れる。
しかし、その人物は違った。そんなことは無視。
提示した身分証を見つめ「それは何を目的とした委員会なのか?何が最終目的なのか?」「どんな報告書になるのか?」「そういうのは市の教育委員会の仕事じゃないのか?」
「何で県が出て来るのか?」「市の教育委員会は知っているのか?」「やり方がおかしいんじゃないのか?」とまくしたて始めた。
「何じゃこいつは!こりゃ、だめだ。聞く余地もない。
相手をするのも時間の無駄」と判断し「結構です。他の人に聞きますから。お邪魔しました。」と言って強制遮断、そそくさと退散した。
相手にしないに限る。

オヤジはまだ何か言いたそうだったが、これ以上、こういう人間を相手にするのはアホ臭い!
どうやら、役所などに強い敵意を持っているように感じた。何らかのトラブルがあったのかもしれない。

俺は幸いこういう人物に遭遇する機会は少なかった。
普通、会社内部とか企業間とか組織の一員として動く時はその要素がある人間でも自制して本性は現さない。

しかし、自治体の窓口にはこの手の人間がけっこうやってくるそうだ。
精神科のセンセから聞いた話では自治体職員でメンタルがやられ通院してくる人が結構いるらしい。
会社員と比べても割合が多いそうである。
俺の場合は問答無用で遮断したが、役所窓口の人、そうはできないからねえ。
あんなのとまともに対応していたら、そりゃ、メンタル不調になるわ。
店のお客さん対応窓口の人も同じ目に会っているのだろう。
余程の精神力の強さか鈍感力がないと務まらないだろう。

クレーマーって皆、その要素は持っているらしい。もしかしたら俺も?気が付いていないだけか?
あのクレーマー氏も会社などでは、表向きは普通を装っているんじゃないかと思う。
何かのきっかけで爆発するのかもしれない。
どこかの国には特にそんな人間が多そう?国自体がクレーマーだもんなあ。
なお、その後、その近所のじいちゃんに聞いたら、懇切丁寧、この上なし。恐縮するほど。
色々なことを教えてくれる。
挙句、山を案内までしてくれた。同じ人間でも違うものだ。
もっとも、こういうじいちゃんが大多数なのだけど。
不良品発生確率同様、外れる人間も一定割合で存在するのだ。地雷のようなものか。
某国などはその発生確率が日本より高いのだろう。地雷原か?

藪の中2.11
俺は城を探しに、あるいは山深い場所にある城や神社等を見に行くため、山の中を放浪することが多い。
何人かで行くこともあるが、一人で行くことも多い。
だいたい、俺が行くような城、観光地化したメジャー級な城はあまりない。
ほとんど無名か、城かどうか怪しいものばかり。

一応、趣味なのだが、運動も兼ねている面もある。老化は足から来るというので足腰を鍛えるのも目的の一つである。
都会地なら交通機関が発達していることもあり、歩く機会も多いが、田舎は車社会、家から歩いて買い物に行くには遠すぎる。
どこに行くのも車である。したがって都市在住者より、歩かない。
夏場は畑で遊んでいれば運動になるが、冬場はそうはいかない。その代用が山歩きである。・・しかし、最近はきつい。
すぐにバテる。足や膝に疲労がたまる。そのうち、行けなくなるかもしれない。

一人で行く山の中、けっこう怖い。人によっては耐えられないかもしれない。
誰もいない静寂も不気味、鳥の鳴き声さえ聞こえない、静寂、無音の世界も体験した。
動物にもドキっとさせられることがある。ウサギやタヌキでさえ驚かされる。
カモシカや熊にも驚かされた。幸い、猪には会ったことはない。でも一番、驚くのは人間かも?特に鉄砲を持った・・・。
木にぶら下がっている元人間を見た人もいるそうだが、幸いお会いしていない。会いたくもない。
人が歩くハイキングコース沿いの山は日常世界の延長であるが、過疎化して誰も歩かなくなった山道沿いとか、山道跡さえない藪の中は非日常の世界、冥界である。

「孤独を楽しむ」という言葉がある。
山中に一人でいることは、これに相当することなのだろうか?いや、「楽しむ」余裕はないような?
急傾斜の斜面、這いつくばって登り、途中、木の幹につかまり、息が上がって休憩、あるいは藪に迷いこみ、野ばら、タラの木、篠竹地獄に囲まれ立往生。そんなこと、しょっちゅうである。
いつもその時「俺、何で、ここにいるんだ?こんな所で何やってんだろう?」と思うことがある。
「こんなことやってて、何になる?一銭の金にもならないのに。」と思うこともある。まるで哲学である。
「修験」というものがある。現在もなくなってはいない。その目的は、深山幽谷に分け入り厳しい修行を行うことによって悟りを開くということと言われる。
ちょっと似ているが「悟り」など俺とは無縁。考えたこともない。煩悩だらけの俺。

どこでもドア2.26
タイトル、ご存じ、「どらえもん」に登場するツールである。
「宇宙戦艦ヤマト」ならガミラスの「瞬間物質移送装置」がこれに相当する。
タイムマシンと並ぶ、人類あこがれの装置の1つである。すべての人にとって夢の装置である。
重力場で空間が曲がるというのは理論的には可能で立証はされているが、現実には実用は無理だ。

管理人のような、人があまり行かないような場所にある城ばかり狙う人間にとっても欲しい装置である。
たかが1本の堀切しかないような城に、とことこ1時間以上も山中を歩き、木にしがみついて山を登るのは極めてコストパフォーマンスが悪い。
時間と体力の無駄、合理的でない。それを「筋力トレーニングだ」とツッパているけど、言い訳である。
息を切らして木にしがみついて休憩している時、「どこでもドア」があれば・・と何度、妄想したことか?
でも、妄想は妄想、けして現実にはならないことは分かっている。ここが半島人とは違うところだ。

それは無理としても、将来、ドローンにその場まで運んでもらうのは可能になるかもしれない。
でも、墜落のリスクはあるし、木に引っかかって宙刷りになるかもしれない。
第一、俺、高所恐怖症だった。
これも無理か・・・。

どうやら一番現実的なのは車かバイクで至近距離まで接近する方法だろう。
もちろん林道が近くを通っていないと無理である。軽トラにオフロードバイクを積んでいけば可能かも?
しかし、金がネックだし、以前のように林道をオフロードバイクで走り回れるような能力があるか?
・・段々、現実に近づいてきた。
結局、ともかく、車で近くまで乗り付けられればいい!って結論になる。
つまりは車で乗り付けられて、遺構が良ければ、コストパフォーマンスが高い城ということになる。

名付け親 4.24
子供が生まれたら名前を付けなければならない。
そんなこと言うまでもない。当然である。
子供の名前はだいたいは親が付けることが多い・・・のではないかと思う。
しかし、俺は子供が3人いるのに1人も名前を付けていない。

名前は提案するのだが、ことごとく却下されている。
俺は昔、「中森明菜」のファンだった。そこで生まれた子供に「明菜」と付けようとした。
しかし、周囲から「ばかだ、ちょんだ」と総スカンをくらい断念した。
それ以後、この件が心の傷となり、命名権を放棄した。いや剥奪された。
俺は繊細なんだ!笑うな!
末っ子に至っては父親が命名権を放棄したため、その「明菜ちゃん」になるはずだった当時、小1の子が命名した。
ちなみに某マンガの主人公の名前をパクって付けたというが・・・。
とりあえず両親はそれを承認、了解し、俺が役所に届け出て現在に至っている。

でも、実の子の名前は付けていないが、俺は遺跡や城に名前を付けているのだ。俺が名付け親なのだ。
城については、この手のHPを運営したり、自治体等に係っていてる経緯があり、名前を付けることがある。

新しい城館が確認されるとネーミングは、発見者、確認者に優先権があり、それが戸籍に相当する遺跡地図等に記載され公式なものになる。
新しく遺物を見つけ、古代遺跡名を仮称としてつけた文をどこかに載せたら、その名前がそのまま、遺跡地図に載ったことがあった。
名付け親になった訳である。

この業界、第一発見者、確認者あるいは報告者(公表者)に命名の優先権があるとのことである。それが慣例なのだそうだ。
どっかの誰かさんではないが、1番でなくてはだめなのだ。「2番目じゃダメなのだ。」権利はないのだ。

HPで新規の城館を仮称として紹介したらそのまま公式なものになったこともある。これには驚いたが・・・。
HPも公表媒体になるのだ。そりゃ、論文に参考資料名として記載されるくらいだから。
(それにしては暴言、ヘイト、妄想等、不適切な表現、明らかにウケを狙った表現、満載であるかけど。まっ、いいか!)
この間、新規に城館を確認したら「見つけたのあんただろ。遺跡登録するからあんたが名前を付けろ」と自治体の担当者から言われたこともある。
それは名誉なことではあるが、簡単のようでそうでもない。
ヘンテコな名前も付けれない。

多くの城館の名称、前半に字名等の地名がついて、後ろに城郭を表す単語が付く。

本来、城館に名前はなかったようである。
通称、「〇〇城」などと言っているのは、たくさんある城館の識別名に過ぎないのである。
ほとんどは「ようがい」とか「たて」と呼んでいたようである。
そのため、城館のある山を「要害山」「館山」と呼ぶ場合も多い。
「要害城」とか「館山城」なんて安易なネーミングも多い。
これに「城山城」も加わる。

さらに、「根小(古)屋城」「堀の内館」「箕輪城」もしかり。これらも「城館」に係る単語に城を重ねたものである。
これらの名前の城、全国にいったいどれくらいあるのだろうか?「城館」を意味する単語を2つ重ねてもねえ・・・。
既にそう現地で呼ばれていればその名を登録するのも仕方ないかもしれないけど・・・・。
しかし、新規城館にこんなセンスのない名前は新規に確認された城館には付けられない。

これらは例外として、まず前半部分、ファーストネーム。
これは所在する地の字名や所在する山の名前を付ければまずは妥当だろう。
そこに社や祠があれば「愛宕」とか「羽黒」とか、祀神名を加えてもいいだろう。「〇〇愛宕山館」とか。
地区や市町村境にある場合、悩むけど・・。

そして後半部分、城郭に相当する部分の名称、これをどうするかが悩みどころである。
「城郭」は総称であるが、それを表す単語としては「城」「館」「楯」「要害」「砦」「物見」「狼煙台」「出城」(出丸)「郭」「柵」などがある。
「屋敷」と名が付くが、庄屋屋敷ではなく城館の場合もある。

既に周知、公知の城館の名称をみてみるとネーミングが疑問なものも多い。
どんな規模だろうが、規模に関係なく、とりあえず「〇〇城」と付けられていることも多い。
「江戸城」「名古屋城」も「城」なら、小さな曲輪と堀切1本の物件も「城」である。
これも既成事実優先なので仕方ないが・・なんか凄い違和感がある。

安易に「城」を使うが、「城」の定義も曖昧、「館」「楯」「要害」「砦」の定義も曖昧、混乱もあるし、人によって抱くイメージが違う。

俺は「城」と言えば、大名や領主の居城を始め、土塁、複数の曲輪、堀等のちゃんとした防御施設を持つある程度の規模を持つ城館というイメージがある。「やかた」を意味する「館」は方形館等の領主の家臣の居館がイメージだろうか?
困るのは「館」と書いて「たて」と読む場合である。本来は「楯」と書くべきであろう。
北日本の山城に多い名称のように思える。
「砦」「物見」「狼煙台」は小さな曲輪と堀切がある程度の小規模な山城だろうか?
規模の順番に並べたら 城、館(たて)、砦、物見、狼煙台かな?
居館なら「館(やかた)」という名が妥当だろか?

もっとも、今になって見つかり、命名対象となるのは小さな山城ばかりである。
「〇×城」などと堂々と「城」を名乗れるような物件はほとんどない。
地元で「たて」とか「ようがい」と呼んでいれば、地名(字名、山名)+「館(たて)」、「要害」でいいだろう。
(「要害」は「ようがい」という地名になっているものもあるが、訛って「竜会」「竜海」「有蓋」「ゆうげい」とかの名前で伝わっている場合も多い。)
そんな地名もなければ「砦」を使ってもいいだろうし、すごく小さいが、眺望が良ければ「物見」、「狼煙台」か?
曲輪に土盛りがあり穴が開いていたら問題なく「狼煙台」を使っていいだろう。

城郭はほとんどが広がりを持つ。平城なら2次元、山城なら3次元の物件である。
しかし、広がりを持たない直線状、1次元の物件も中にはある。
長塁や堀の類である。これらは「△△長塁」とか「□□堀」という名称もあり得るだろう。
今だに未確認の城が出て来ること自体、田舎である証拠ではある。
せっかく、昔の人が命をつなぐ場所、一族の存続を図る場所として造ったのだから、その執念の証を名前を付けて記録として残してやるのもこの道楽にはまり込んだ者の義務だろう。

ごみ屋敷6.2
かあちゃんの実家はプチゴミ屋敷である。いや、かなり捨てたので「であった。」と言った方が妥当か?

何しろ昔の人は「勿体ない。」がモットー。
「勿体ない」はいいことなのであるが、度が過ぎるとゴミ屋敷となる。

ともかく捨てない。
「まだ使える。まだ動く。」ということで取っておく。
確かに買い替えたとしても、壊れて買い替えない限り、まだ十分に動く。
したがって、ゴミじゃない。バックアップとして取っておく。
その繰り返し、積み重ねがゴミ屋敷を築く。

でも、結局、「まだ、使える。」は「もう、使わない。」のだ。
農家であり敷地も広く、蔵もあると保管場所に余裕があることも助長要因である。
これは我が家も我が実家も多少スケールは小さいけど似たようなもの。

したがって、ゴミ出しもあまりやらない。
精々、缶、瓶等の不燃ゴミ程度しか出さない。
今ではできなくなったが、畑があり、周囲に家も少ないので家庭用焼却炉で可燃物は燃やしていた。
このため、ゴミ出しが定着していなかったし、昔は田舎なので回収頻度も少なかった。

そのゴミ屋敷にあったゴミの処理、古い農機具、耕運機2台、トラクター、稲刈り機、バイク、自転車数台、脱穀機等の大物は鉄くず業者に渡して処分。
でも、まだまだガラクタが倉庫の奥にある。

家の中には大量の本、雑誌があったが、そのまま、本棚に並び、床に積んである。
なんと戦前の本まであった。これらを束ね資源ゴミ回収に出す。

衣類も凄い、30年前に死んだ祖父さんの服も、15年前に死んだばあさんの服もそのまま。
これらは90リットルのポリ袋に詰めて、資源ゴミとして出す。
その数、20袋。

さらに古い家電のコレクションも凄い。
昭和初期のラジオ、古いレコードプレヤー、初期のカセットテープレコーダー、カラオケマシン、カセットデッキ、古いステレオ、見方によっては産業遺物のような・・・マニアが好きそうなものも。
でも、そこは「無慈悲に、容赦なく」廃棄!
これらの物が入っていた棚やキャビネットなども廃棄。
これらを軽トラに積んで清掃センターと往復、1回100s以上の廃棄物を積んで何度も。
ついでに我が家の粗大ゴミも便乗。

でも、清掃センター、ここの不燃物置き場が面白い。
ここは骨とう品の山、凄いものが転がっている。
マニアなら宝の山である。オークションに出したら金になりそうなものも。
ゴミを持ち込んだ俺が魅せられる物がある。
担当者に断れば貰えるそうではあるが・・・・。
これじゃ、ミイラ取りがミイラになりそうである。

すでに廃棄処理したゴミ、トンオーダーになるが、まだまだ、続く。
最大の課題は6台ほどある冷蔵庫のコレクション、処理料金がかかることもあるが、重量物のため、運び出しができない。
古いTVも、洗濯機も・・。さて、これどうしようかなあ。

まむしの愛ちゃん7.15
草刈りをしていたら蛇に腕を噛まれた。
野菜の間に生えていた草を手で安易にむしったのがいけなかった。油断である。
無毒の生まれたての小さなやつである。チクっと感じ、ちょっと腫れた程度で済んだ。
しかし、悔しいことに逃がしてしまった。
今度見つけたらぶっ殺してやる!
ってことで蛇の話。

タイトル、斎藤道三とは関係はない。
俺のばあちゃんの子供の頃の愛称である。
「ウ○コがでない」という記事に蛇の骨の写真を掲載したので本記事を書いた。
そう、「まむし」って、あの毒蛇として名高いアレである。
俺なんか、見ただけで逃げ出す。
しかし、センスがない凄い愛称である。
ばあちゃん、斎藤道山とは違い乗っ取りなどするような人間ではない。
ばあちゃんは俺が高校生の頃、死んだ。
優しい人だった。霊視能力がある人は俺の守護はそのばあちゃんと言っていた。
この愛称、どこから来ているかと言うと、「まむし捕りの名人」だったからだそうである。
凄い特技である。父親から教わった技だそうである。
父親がまむし捕り用の竹製の遠隔操作用のマジックハンドを作ってくれて、湿地で捕っていたそうである。
捕ったまむしはビクに入れ、街の漢方薬屋に持っていくと高値で買い取ってくれたそうである。
今の価値なら1匹数千円だったそうである。
明治の話なので家族の生活のため・・と思うがそうではない。
ばあちゃんの実家は豪農、その金はすべて自分の小遣い、子供ながらかなり裕福だったそうである。
あのばあちゃんにそんな特技があるとは想像もできなかったが、じいさんの話によると、畑に蛇がいると下駄で踏んづけて捕まえ、尾を持って振り回して、藪に放り投げたこともあったそうである。
じいさん、目が点だったそうである。
なお、ばあちゃんの名前、娘の名前にいただいている。

かまきり野郎8.19
ネタがない・・じゃなくて、あるんだけど記事を作る気力がない。
そんなんでこれ!

職場に行ったら、若いあんちゃんが上司に仕事の指示をされたら「はい」ではなく「死んでも嫌だね」と答えていた。
もちろん、冗談で言っているのはお互い認識しているが、ちょっと冗談がきつすぎる。
そして、業務が終わったら、上司に「おしまいdeath」と報告していた。

ドラマの見過ぎである。
まだ、上司に土下座はさせていないようだが。
しかし、上司もよく耐えているもんだ。
もっとも俺が、「奴のガス抜きのため、笑って受けろ。」とアドバイスした結果であるが・・。
しかし、上司が今度は心配になる。

きつい冗談がストレスになって溜まっていないだろうか?
余りに酷い部下のおかげでメンタル不調に陥った上司もいた。
つくづく、人の管理は難しい。

鷹の爪10.3
タイトル、鳥の「鷹」じゃなくてあの辛い唐辛子の1種のことである。
細長い実の形が鷹の爪に似ていることからこの名前が付いたという。
日本じゃ最も辛い唐辛子とされ、世界でも辛い方の種類に属するが、世界にはもっと凄いのがたくさんある。
ハバネロなどに比べたら、数十分の一の辛さに過ぎないそうである。
唐辛子は南米が原産、日本には戦国時代、ポルトガル船がもたらしたとか?
それなら、本当は南蛮辛しというべきだが、いつの間にか「南蛮」が「唐」に変わってしまった。昔の人には南蛮も唐もいずれにせよ渡来品には変わりはないのでどうでもよかったのだろう。
当初、日本では食用ではなく、忍者の目つぶしの原料、つまり武器の材料として、そして靴底ポッカイロとして足軽の草鞋に仕込んだで使ったという。
そのような用途で文禄慶長の役で使うことで朝鮮にもたらされたが、あちらでは食用にした。
あれがなければキムチはあり得なかった訳である。
あんな辛いものは食べすぎると刺激が強すぎ、身体にいい訳がない。
胃ガンや大腸ガンの原因にもなるだろう。
かの国の人々はあれを食べすぎ、いつもカッカし過ぎている状態なので、そのうちに脳味噌がやられてしまったのかもしれない。

その唐辛子の一種、鷹の爪、我が家では毎年、2株ほど育てている。
(1株で十分だけど、2株育てるのは枯れるリスクを回避するための保険である。)
もちろん、直接、食べる訳がない。実を乾燥させて、ペペロンチーノや辛い系の炒めもの、漬物にも使う。
あのピリッとした辛さで料理の味が引き立つ、癖になる辛さ。麻薬的な面もあるのかもしれない。
でも、使う量はしれたもの。
鷹の爪を含む食べ物、たくさん食べたら、トイレで「大」をした後、ムズムズして困ったことになる。
多くは米倉の中に乾燥させた実を粉砕して置いて米の防虫剤として使う。

その鷹の爪、実が赤くなり収穫した。これから天日乾燥をする。
ちなみに乾燥前の実、それほど辛い訳ではない。辛いのは実の下、三分の一。上半分(先端部)はそのまま食べても全然辛くない。
乾燥させることにより実全体が辛くなるそうである。

収穫した実を乾燥させるため、籠に入れたら、あの悪夢を思い出した。
鷹の爪、扱いには注意が必要である。
生の実は素手でも扱えるが、乾燥させたものを扱う時は油断できない。
昔、乾燥させた実を粉砕した。・・素手で・・・。途中でトイレに行きたくなり、中座。
そして悲劇が・・・。所用後、しばらくしたら、ムスコさんが猛烈に痛み始めた。耐えられないくらいに・・・。
痛くてムスコを抱えて床をのたうち回った。手を洗うのはトイレ後だけでなく、場合によっては前にも必要なのだ。
それを怠った俺がいけないのだが。

俺の苦しがる様子をを見ていたかあちゃんは、「どうしたの?」とは聞いたが、事情を知り、薄情にも、涙を流しながら「い、息ができない!!」と床を笑い転げ・・・そりゃ、他人事じゃ、可笑しくて立っていられないわねえ。
もっとも助けを求められてもどうにもできるものではないが。
そして、まだ小さかった子と猫は「お腹が空いた」と床を転げまわり、結局、3人+1匹、それぞれ違う事情で床を転げ回っていた。
第三者がこの様子を見たら、一家が気が狂っているように見えただろう。
俺のムスコは鷹の爪のようになった。いや、腫れたので赤パプリカ?
写真は公開不可のため代用品で。こんなにはなってないけど・・誇張し過ぎ!
後日、この話は近所にも知られ、笑いものになった。誰が漏らした?こんな家族の秘密を!
記事のスタートは良かったのだが、結局、いつものように内容が爆発して終わってしまった。
反省?・・してない!する訳ないじゃん。

しんさん10.16
「しんさん」は俺が小学生だった頃、近所にいたガキ大将。その通称、呼び名である。
本名は「慎一」だったと思う。(字は曖昧だが)姓はここでは書かないが、姓名を?げると、芸能人のような結構、かっこいい名前である。そして、今思い出しても、「いい男」イケメンだった。

俺が小学生だった田舎には、子供は結構いた。
過疎化とか少子化なんか無縁の世界だった。
だいたい集落単位でガキどものグループができていて、集団で遊び、時には集落間でケンカ(抗争?)もしていた。

現在も似た集団はある。
駅の近くにたむろし、うんこ座りをしている連中である。
今も昔もそいつらに共通なのは、メンバー、総じてお勉強の方は「?」マークが付く奴が多いことである。
しかし、共通なのはそれくらい。相違点の方が遥かに多いと思う。

当時のガキどもグループのメンバー、得意科目は共通して「体育」と「給食」、それ以外の科目の学力はほぼ平均以下、小学校では「体育」と「給食」の時間以外はほとんど意識不明、または死んだ振り、あるいは教室には身体は置いておいて、魂は幽体離脱し校庭で遊んでいた。

もちろん、いわゆる良い子はそんなグループには入らない。このグループは無視していた。
そのガキどもグループのリーダーが「しんさん」だった。
もちろん、俺も有力メンバーだった。

通常は「しんさん」ではなく「しんちゃん」と呼ばれるのが普通だろうが、「ちゃん」ではなく「さん」と呼ばれたのは、一目置かれた存在だったからだろう。
「しんさん」は俺より3学年くらい上だったかと記憶している。
このグループ、普段、何をやっているかといえば、林の中に隠れ家(秘密基地)を造り、武器を造り、戦争ごっこ、探検ごっこをよくやっていた。
野外活動が主体である。少しボーイスカウトにも似ているかも。
学校から帰ったら即参加、俺はそれがとても楽しかった。
至極の時間だった。集合場所は神社、お寺、公民館の庭が定番。
俺が今やっている畑での土遊びや山城巡りなどは多分、その延長と思う。
ベースはあの時である。

このグループ、貧しい家の農作業を手伝うこともあった。
農作物を盗むこともしなかった。(もっとも皆、農家の息子ども、リンゴ、スイカはおやつに持参していた。)
仲間うちで虐めをすることもなく、女の子や仲間外の良い子を虐めることもなかった。
さらにはちょっと知能が遅れた子も仲間に受け入れ、保護していた。

さらにはリーダーを中心に小学校低学年の子も仲間に入れ遊ばせているため、今でいう時間外学童保育機能的な面もあり、忙しい農家や共働き家庭からはありがたられてもいた。
田畑を荒らすこともなかった。このもあった。
このため、大人達からも特段嫌われることはなかった。
むしろ「おやつ」などの差し入れがあったくらいであり、地区の半公認組織という面もあった。
一種の社会的コミュニティというべきかもしれない。
今の不良グループとはこの点は大きく違うのではないかと思う。

そのリーダーであった「しんさん」は親が大工で、家には材木の加工場があったこともあり、各種の道具を駆使し色々なものを造り、メンバーに渡していた。
親の血を引いて器用だった。秘密基地備え付けの椅子などの備品から、武器まで様々のものを造った。
面倒見が良く、親切で誰にも平等に接していた。

造ってくれるものの材料費や加工賃は全て自前だった。それが彼の生きがいでもあったのだろう。
武器としては木刀、ライフル型ボウガン、タイヤチューブのゴムを使った迫撃砲まで。それらは工夫されておりけっこうよくできていた。

ちなみに迫撃砲弾は、土を固めた土塊弾、砂を詰めた袋、いわゆる「煙幕弾」、おしっこを詰め込んだ「ビニール袋」、いわゆる「しょんべん爆弾」、その中身をウ〇コにすれば、究極の兵器になる。
それを使用することはなかった。
核兵器相当の恐怖のバイオ兵器である。
この兵器の難点は中味の調達であった。

そんなものを持って飛び回っていた。
俺がミリオタなのはこの影響かもしれない。ちなみに「しんさん」はその延長か?後に自衛隊に入ることになる。
ちなみに顔に「しょんべん爆弾」の直撃を受けた奴がいた。
さすがこのバイオ兵器による被害の惨状と奴がパニックになった様子は衝撃的だった。
穴を掘り、中にウ〇コを入れ、偽装を施した「ウ〇コ地雷」も凄かった。
暗がりの中で造った本人が落ち自爆して果てたが・・。

さらには、「しんさん」はクワガタやカブト虫を採り、低学年の子供に配布していた。
やはり、クワガタやカブト虫は当時から子供らの憧れだったのだ。
それにより「しんさん」のステータスはさらに向上していった。

楽しい時は流れ、楽しい宴にもいつか終わりが来る。時は戻せないのだ。
「しんさん」も中学生になった。

中学生になると、このグループからは卒業、それが慣習であり暗黙の了解だった。
さすがに、中学生になったら「しょんべん爆弾」「ウ〇コ地雷」の世界じゃないだろう。
次のリーダーは俺になるはず・・・。
しかし、「しんさん」は中学生になってもこのグループから抜けなかった。
小学生の集団に一人だけ中学生?
中学生が戦争ごっこ、忍者ごっこ、探検ごっこ?それはないだろう。

それは何故か?
「しんさん」、手先は器用で「図工」「技術家庭」と「給食」は得意だが、それ以外が致命的にできなかったという。
「体育」はそれほど得意ではなかったのか、運動部系の部活もやっていなかったようだ。いわゆる帰宅部だった。
結局、彼は中学では他に熱中できることが見つけられなかったようだ。
自分の居場所を見つけられなかったようだ。
あの優れたリーダーシップを発揮する場はなかった。

しかし、いくらリーダーシップがあっても小学生の集団に中学生が1人、これは違和感は拭えない。
「中学生にもなって、まだ、やってるの?そろそろ卒業でしょ。ここはもうあんたがいる世界じゃないよ。」「勉強、やらなくてきていいの?こんなことやってていいのか?」多分、皆はそう思っただろう。
さすがに徐々に仲間からは浮き始めた。
仲間からの視線が変化していることを感じ、もはやここは自分のいるべき世界でないことに気付いたのか?
そして、いつしか、「しんさん」はメンバーから消えていった。

寂しかったとは思う。しかし、それは仕方がないこと。時が来たのだ。
結局、「しんさん」は過去の栄光に縛られ、過去からの脱出、現実打破、方向転換ができなかったのだろう。
「ピーターパン症候群」だったかもしれない。

俺はどうか?俺も「ピーターパン症候群」の「気」はある。
それは自覚している。
成人した子供がいるのに今もあの頃のように探検ごっこを続けている。それは、あの頃の延長だと思う。
そうじゃなきゃ、夏場にマムシがうろちょろするような藪の山には行かんだろう。
それでもあの時と同じように楽しいのだ。
「しんさん」のこと、どうのこうのと言えないかもしれない。
俺も卒業してないじゃないか!
「HPだ、本だ。」は絶好の言い訳、隠れ蓑である。
ある意味、「しんさん」は半分、俺でもある。

幸い、俺は中学に入ったら部活に活路を見出し、そっちに方向転換ができた。
「給食」だけが得意という訳ではなかったので、何とか勉強もついていくことはでき、中学校生活には対応できていた。

「しんさん」の姿を最後に見たのは中学3年の時、地区内を無免許でバイクを乗り回している姿だった。
俺の前を俺を完全に無視して走り抜けて行った。
それを見た時、俺たちのヒーローだった「しんさん」のイメージははかなく砕け散った。
泥を塗られた想いである。
「それしかやることないのか?情けない。落ちぶれたもんだ。」
それは落胆であり、軽蔑であり、怒りの感情でもあった。

その後の「しんさん」の消息はあやふやである。
結局、高校には行けず、中卒で自衛隊に入ったとは聞いた。
自衛隊でどうだったか、という話も、故郷に帰って来たという話も聞かない。
両親はとうに亡くなり、「しんさん」の家があった場所には違う人の家が建っている。

でも「しんさん」は子供の頃、俺に強烈なインパクトを残した人物の1人として記憶にある。
今じゃ、こんなガキ大将は存在しないだろう。
というよりガキ大将が君臨できる集団が形成できる人数が揃わないだろう。
今、「しんさん」はどこで何をしているのか?
あの類まれな技術力と発想力、リーダーシップを上手く活かせたら、かなりの優秀な職人、エンジニア、場合によっては工務店の社長あたりになっていても不思議じゃないのだが。
そういう潜在力は持っていたはずである。
いや、そうであって欲しい。