随想録2016

かまきり1.15
年末に庭木や落ち葉のかたずけをしていたら「かまきり」がいました。秋口にはやたら目立ちますが、冬でもいるとは驚きました。
でも12月に山ですずめ蜂を見たこともあるし、蛇を踏んで慌てふためいた人もいるので暖冬化が進んでいるのかもしれません。。
で、「かまりき」というと連想しちゃうのが、「かまきり夫人」。御存じポルノ映画の名作です。
五月みどり主演の日活ロマンポルノで、「痴漢満員電車シリーズ」「未亡人下宿シリーズ」「団地妻シリーズ」等と並ぶ作品と思います。
ストーリーは美しい未亡人が、男の精を吸い取り、増々妖艶となり、精を吸い取られた男は皆、惨めな枯死するというものです。
友人のEが大好きでこのビデオを持ってましたが、奥さんに見つかり、「この変態!」って捨てられて落ち込んでいました。・・って、ことはどうでもよくて。
しかし、これは現実にあり得る話です。

取引先の某大企業の取締役は、学生時代、受験浪人となり東京の某下宿から予備校に行ってましたが、下宿の未亡人に狙われエライ?目にあったそうです。
とても勉強どころではなく、2浪も覚悟したとか。
そこで決心をして、何とか下宿を移って目標の大学に合格したとか。
でも、俺ならそのまま身を滅ぼしても悔いはない気もするけど・・・やっぱり、大きな企業の取締役までなる人は違うねえ。意志が強い!

本題に入ります。
何の話かというと、以前、実家の信州筋の親戚のじいちゃんに聞いた「かまきり夫人」の話。

夫人は若くして2人の子供を残し、夫に先立たれてしまったかわいそうな人、家には舅もいたそうです。
当然、うずくのでしょう。愛人ができました。
相手は似た境遇の逆に妻に先立たれた男やもめ。
本来なら2人は再婚すべきなのでしょうが、お互い舅、子供がいたので身動きできなかったのでしょう。

・・・で、逢う場所が畑。畑ですることは決まってます。
しかし、そのことが噂になると、覗きたくなるのが男の性。
当時、AVなんてないしねえ。

好きもの、つまりスケベの塊の近所に住むKさん。
覗きたくて仕方がない。でもKさん、気が小さく、1人で覗きに行くほどの気概、根性?がありません。

そこで、仲良しのじいちゃんを誘いに来ます。
家にやってきて「来た、来た、見に行こう」って。
覗いた状況は話してくれませでしたが、だいたい想像はつきます。
多分、目とあそこを腫らして家に帰ってきたのでしょう。
その後、家で何が起きたか知りませんけど。
しかし、その愛人、結局、亡くなりました。
近所では、枯れてしまったとの噂が。要因はやはり・・・精を吸い取られて・・・。
そして、刺激がなくなったKさんも亡くなり、じいちゃんも亡くなり(こっちは97まで生きたけど)・・・
でも、夫人は今も元気そのものです。

固有振動数1.27
管理人、ブログでは城だ、模型だ、百姓だ・・って、話題を書いていますが、本業は最近、自分でも懐疑的ではありますが、一応エンジニアです。

放射線遮蔽、被ばく解析、化学反応、電気、火災爆発防御等、多岐にわたる分野に頭を突っ込みます。
城は土木工学の分野です。巨大な堀を見ると発生する土砂量、工事費用をつい計算してしまいます。
もちろん、重機使用の前提ですが・・これも悲しい性かも?
そして、やはり戦国時代の築城にもコストパフォーマンスの概念があるという結論に達します。
コストパフォーマンスの概念がなくなるのは江戸時代です。江戸時代には権威誇示が優先します。
おっと脱線、そんな工学分野の仕事の中の1つに、建物や大型設備の安全解析もあります。
最近は特に地震対応の業務が増加しています。
その地震に対する解析で使う用語に「固有振動数」というものがあります。

ちなみに固有振動数とは、
「ある物体が自由振動した際に現れる、その物体が持つ固有の周波数のこと。
外部から物体に強制振動を与えた際に、外部振動が固有振動数と一致すると、物体は共振(この時の周波数を共振周波数とも呼ぶ)して振幅が大きくなり、場合によっては物体の破損に繋がる。
建築分野や大型設備において、耐震性を考慮するために建築物の固有振動数が用いられる。
建物の場合、外部からの力とは地震であり、地震の揺れが建物の固有振動数と一致すると揺れが大きくなり建物が壊れることもある。
これを防ぐため、地震の揺れの振動数と一致させない設計を行う。」
とどこかに書いてありました。難しくてよく分らないですなあ。

音波に置き換えた場合のマイクとスピーカーで起こるハウリングもこの現象の1つと言えば分るかなあ?
音楽なら不協和音かな?

以上は物の話。
「物」を「者」に置き換えたら?もしかしたら人間同士でもハウリングは起こるか?
管理人、起こる思っています。人それぞれ固有振動数があり、固有振動数によってはハウリングが起き、場合によっては破壊的な結果を招くこともあると思います。

これが相性が悪いというのでしょうか。不協和音という用語は何も音楽だけの話ではなく、人間関係にも置き換えられて使われているくらいです。
どうも、お近くの国ともこの関係かも?
それで、思い当った節がある。中学時代の同級生Tとの関係である。
このあいだ、珍しく散らかった部屋の整理をしていたら昔のアルバムが出てきた。

中学時代の写真を眺めるていくと色々懐かしい顔が写っている。
その中でマジックで×印をつけた顔があった。Tである。
別に利害関係もないけど、性格が全く合わなく会話が成り立たない知人を誰もが何人か持っているはずである。
多分、誰とでもコミニュケーションが取れる人物などいないだろう。
いたらお会いしたいものである。

Tは管理人にとっての全く合わない人物の1人だった。
今、顔を思い浮かべただけでも腹が立つ。もうハウリングが起きている。それほどのレベルである。

Tの顔は「どらえもん」に登場する「スネ男」に似ていた。
陰湿な顔をしていた。「スネ男」を見る度、Tを思い出す。
多分、今会ったら年月が経ち、顔が変わってしまい奴と分るかどうかあやしいが、会話は全く成り立たないと思う。

産まれた時から持っている波長が全く合わないのだろう。と言うかお互いの固有振動数が共鳴しハウリングを起こすのだろう。
当時、管理人にとってはTは、別にいてもいなくても一向に差し支えない人物だった。
利害関係も一切なかった。

しかし、なぜかTは管理人に嫌がらせをしてきた。どうもTは管理人が大嫌いだったようだ。
一方的に嫌いだったようだが、無視してくれればそれでいいのだが、突っかかってくるので非常に迷惑だった。
管理人の何が嫌いだったかは知らないが、会った時の顔はいつも敵意が満ちていた。

嫌味などは日常茶飯事、色々な手を使いあれこれ仕掛けて来た。
喧嘩を売っているとしか思えなかった。Tには行動を伴にするグループがあったが、そこの仲間、誰もTには同調しなかった。
あくまで単独行動であった。それは管理人がT以外の仲間とは比較的友好的だったこともある。

蝿や蚊のような執拗な嫌がらせだったので、五月蠅くてしょうがないから駆除をすることにした。
喧嘩を売ってきているのなら買うのが礼儀。何もしないと付け上がってくるので強烈に1発かましてやらなければだめである。
それともかまってもらいたいだけなのかも。
いや、それはないなあ。まるで日本の近所の国に似たのがあるが・・・

相手が蝿や蚊ならキンチョールをぶっかけなくてはならない。Tの単独行動なので奴のみをターゲットにすればよい点で対応は楽であった。
これが、集団でやられたら上手くはいかなかったかもしれない。

Tの最大の弱みは、お頭がちと(いや、かなり)弱い点、すなわちお勉強がちっともという点である。つまり「おバカ」であった。
試験で取る点数は管理人の半分に満たない。(この妬み嫉みが原因だったかも?)

この一番の触れられたくない弱点を攻撃のポイントにした。
「なんだ、こんなの小学生レベルの問題ができねえバカがいるのかい?信じられねえ」「へえ、数学17点!どうやったらそんな点、取れるのよ。」って調子で。

管理人は当時、クラスや生徒会の役員をやっていた。
その地位を利用してTだけに故意に連絡をしなかったり、行事のメンバーから外したりという無慈悲で容赦ない攻撃を行った。
メンバーにTの名がないのを指摘されると「あれえ、そんな奴、いたっけ?目に入らんなあ」って具合に。
もちろん、T以外にはそんなことはしないので、周囲は奇異に感じたことだろうが、不思議なことに誰からも注意もされることはなかった。

この反撃により、Tもおとなしくなった。
かなり傷付いたのだろうが、そんなこと知ったことではない。自業自得である。
そのうち、受験でそれどころではなくなった。なにせTには行ける高校がなかった。
結局、入試で名前を書けば入れてくれるという高校に入った。そして中学卒業で完全に縁が切れた。
今は何をしているか知らんが、多分生きてはいるのだろう。
やはり、この種のものは、反撃が最大の防御であるのだ。何もしなかったら相手をつけ上がらせることになる。
それが教訓だと思うが、この方法、1対1では効果があるが、相手が複数だと上手く行ったか分らない。
反撃がいじめ対応の有効手段なのかもしれないが、一方でエスカレートさせる危険性もあり効果としては何とも言えない。

今思うと、Tと近くの国が妙にどこかイメージが重なる。
紳士的な対応をしていると増長してくる点でよく似ている。
蝿・蚊退治には、キンチョールのようなものがいるのだろう。
なお、Tは困ったことに日本人だった(・・と思うけど、多分?)。またまた、連想の果てしない連鎖でした。
固有振動数からここまで行き着くものなのかねえ?

H君のこと4.4
H君は管理人の保育園から中学までの同級生です。
保育園と小学生の時、同じクラスになったことはありますが、それほど親しかった訳でもありません。
でもそんなHに強い印象が残っています。何が要因だったのでしょうか。

それは彼の家が印象に残る貧乏だったことと、そして、そんなことも気にしないあっけらかんとした彼の明るさじゃなかったと思います。
昭和30年代から40年代始め、日本は高度成長期でしたが、管理人が住む田舎は高度成長からは取り残されたような場所でした。

管理人の家も兼業農家でこの付近ではごく普通程度だったと思います。とても豊かだったとは言えません。
御近所もだいたい似たりよったり。周囲は田畑が広がる平坦な穀倉地帯。
あの「となりのトトロ」とそっくりの世界でした。

自動車を持っている家も少なく、交通手段の主力は徒歩と自転車と路線バス、でもちょっと離れてはいたけど国鉄の駅もあったのでそれほどの僻地ではなかった。
主要運搬手段はリヤカー、道路も舗装されていた記憶もなし、さすがにTVはだいたいどこの家にもあったとは思うけど、冷蔵庫はあったかもしれないが、どうだったんだろう。
洗濯機もあったような気もするが記憶が曖昧。
洗濯物の水切を2本のロールを通して行うタイプがあったけど、この時期のものだったかな?
あのころはそんな時代だったけど、Hの家は違った。藁屋根の古民家、白黒TVもなかった。自動車、あるわけない。洗濯は洗濯板にタライ。水は井戸。
子供用自転車を管理人は持っていておかげで行動範囲が広かったけど、Hが持っている訳がない。
彼は常に行動は徒歩、ともかく管理人よりは1ランク下の貧さだった。

家業は専業農家だった。リンゴ農家だったと記憶している。
彼の家に行った時、彼の机に驚いた。
机はリンゴの木箱だったのだ。これには一緒に遊びに行ったTと顔を見合わせた。でもHはあっけらかん。
何とも思っていないようだった。
彼の着ている服もみすぼらしいものばかり。多分の兄のお下がりものだったと思う。
でも、やたら明るかった。貧乏も気にしている様子はなかった。

探究心も旺盛だった。特に理科や社会が好きだった。
実験、観察が大好き、好奇心が旺盛だった。授業でも活発に質問をしていた。
でも、けっこう、的外れが多かったし、質問されても答えがトンチンカンな場合が多かったけど。
そのためか、中学終了時まで、好奇心は残念ながら成績にはほとんど結びつかなかった。

保育園にはプールがあった。水着はほとんどの親は何とか用意してくれた。
しかし、Hは買ってもらえなかった。そのため、園のプール遊びではスッポンポンだった。
女の子もいたが騒いだ記憶はない。まだ、そんな年頃じゃなかったのか?
ただ、管理人、やたらHの小さなポコチンが目に焼き付いている。

小学校に入学すると皆真新しいランドセルだったが、Hのは使い込んだ親戚からのお下がりもの。
それが目立っていた。
入学式の写真、皆、それなりに新しそうな服を着ている。
親のメンツでもあり、配慮でもあったのだろう。しかし、Hは見すぼらしい服装で写っている。

ある日、小学校で彼が声高らかに宣言した。
「雑誌でも何でもいいから、いらないものがあったら僕に下さい!」この宣言にクラス中、あっけにとられたが、クラスの者はかなり彼に協力した。
管理人は学研の「学習」「科学」の読み終えたのをあげた。
「科学」の付録の実験器具など感涙ものであった。
あまりの感激ぶりにこっちの方が驚いた。

Tは読み終えた少年マガジンとか漫画雑誌をあげた。
文房具をあげた子もいた。皆、やさしかった。
Hは感激し、リンゴを御礼に持ってきた。
こういう点ではけっこう、律儀な奴だった。

近くの寺社の縁日は夜店・屋台などが出るので、子供たちの楽しみだった。
皆、多少の小遣いを親からもらい夜店でおもちゃなどを買った。
Hもこういう場所には必ず来た。
だけど1銭も持ってはいなかった。
雰囲気だけを楽しみに来ているのかと思ったら、そうでもない。
必ずこういう場所にはお金が落ちているんだという。10円はよく落ちているそうだ。
かつて、100円を拾って使ったと言っていた。思わず、愕然とした。

小学校6年になり、修学旅行に行くことになった。
行先は新潟だった。海での磯遊びもメニューに入っていた。
教師が「海、見たことない人っていますか?」って聞いた。
Hは「はい!」元気よく手をあげた。
さすが手をあげたのはH程度であった。(見栄で手を挙げなかった者もいたらしいが。)
これにも驚いた。
貧しい信州の田舎とは言え、近くの駅には夏季にはSLがけん引する新潟の直江津方面への海水浴専用の直通臨時列車が運行され停車し、ほとんどの者はそれにお世話になっていたと思っていたのだが・・

そんな強烈なエピソードを持つH、貧乏だけどよく根性も歪もしなかったものだ。
高校は農業高校に行き、卒業後、家業を継いだと思うが、今、どうしているか知らない。
まあ、あの明るさと楽観さ、バイタリティなら何とかやっているとは思うが・・・。

じいちゃんが死んだ。4.24
我が家の「じいちゃん」が死んでしまった。
と、言っても人間じゃなく犬さんですが。御年17歳、大型犬だったので人間なら100歳くらいだとか。
1週間ほど前から寝たきり状態となり、ほとんど食べれなく、最後の2日は昏睡状態でした。数年前から老化が始まり、心臓が弱り薬がMUSTとなり、白内障が進んでほとんど目が見えない状況。
それでも足が弱るので時々散歩はさせていました。
目が見えないので逆盲導犬、人間がリードする必要がありました。
「散歩」というより「徘徊」がふさわしい感じでした。
若い時は自転車を曳いて2qくらい走るのが定番だったのが信じられないくらいでした。
奴が我が家に来たのは末娘が幼稚園の時、ちょうど近所でJCO臨界事故があった時でした。
この事故でさえ、もう、記憶の彼方になりつつあるくらいですので時間の流れを感じます。
その娘が小学校、中学校、高校そして大学を卒業し、今春から社会人として働き始めています。
遺体は7年前に死んだ同じ年だった「猫」の墓の隣に埋葬しました。
雨の中での墓穴掘り、大変でした。見た人は何と思ったでしょうね。
犬小屋も解体して焼却しました。
食器類もかたずけました。
犬がいた場所がぽっかり空いてしまいました。
いつもの癖で、夕ご飯を用意しちゃいました。
ああ、いないんだと虚しさを感じます。
すみません。
たかがペットの死で、つきわせてしまって。
家族でしたから、お許しを。

ある親子のこと 7.13
管理人、職場には車で通勤してる。
だいたい通勤ルートは一定しているので同じ場所を同じ時間帯に走る。

その通勤途中に1つのバス停がある。
そのバス停を通過するたび、ある親子のことを思い出す。

あれは7、8年前までのこと、そのバス停で1組の親子がいつも待っていた。
なぜか訳あり気でその親子が妙に印象に残っている。

なお、親子とは書いたが、正確には親子3代、じいさんと母親、そして男の子の3人。
男の子の乗る通学バスを待っていたのだ。
じいさんと母親は見送りに来ているのだ。
その乗るバスは養護学校のバス、男の子は普通の学校には行けない事情があるようだが、一見、それが何か分らない。
明るそうなどこにでもいる普通の男の子にしか見えなかった。

ある時、たまたま道路が渋滞し、バス停前で車が動かなくなった時、じっくり親子の顔を見た。
母親も何らかの障害を持っている顔だった。
ポカンと口が開いており、多分、知的障害者ではないかと思えた。
じいさんも似た顔だったので、母親の父親だと思う。
当然、男の子の父親もいるのだろうが、それらしい人物は見た記憶はない。

その後、管理人、職場が変わり、勤務時間帯も変わり、必然的に通勤時間も変わったのでその親子に会うこともなくなった。
その4年後、また職場が変わり、再度、昔の通勤時間帯で通勤するようになった。
相変わらず養護学校の通学バスは走っているが、あの親子の姿を見ることはなくなった。
おそらく男の子は中学を卒業し、その上の学校に行ったのかもしれない。

どの家もそれぞれ大小はあるが色々な問題を抱えている。
問題にない家庭はありえないのだろう。
あの一家もその点では同じなのかもしれない。
しかし、どことなく気になる。
全く見ず知らずの何の係りもない一家なのだが、あれから7、8年も経つのに鮮明に記憶している
あの子は今、どうしているのだろう。あの母親は?

献血 9.8
職場に日赤の献血車がやってきた。
その献血の様子を見て思い出すのは高校時代の同級生Nのこと。
Nは今はもういない。

彼は事故に会い輸血が間に合わなかったことも要因となって亡くなってしまったのだ。
その時、30代手前だった。
結婚していたのかどうかは確認していない。

彼の死を知ったのは高校の同窓会名簿が送られて来た時だった。
Nの名前の前に「故」という字があったのだ。
目が点になった。

その後、母校に行った時、その真相を聞いた。
Nは頭も良く、おとなしく色白、男の目でも、奴は「イケメン」、いい男だった。
高校の時は色白の美少年という感じだった。
それに、何事にも真面目であり、社会人になってもさぞ、女性にもてたのだろう。
あんな男、女がほおっておくはずがない。

でもどことなく影が薄いような印象があった。
どこか姿が透けている感じ、とでも言ったような・・・。
それはけして印象ではなかったのだ。

Nについて強く記憶に残っていたことは、授業中、2回ほど拉致されたことである。
彼の血液型がRh Bマイナスだったのだ。
この血液型の生徒がNともう一人いて日赤の血液センター登録されており、緊急時に日赤の車が学校に来たのだ。

確かに平日なら人が多い学校や会社を回れば血液の確保は効率的だろう。
なお、管理人の親父は Oマイナスであり、やはり職場に日赤の車が血液採取に来たことがあったと言っていた。
授業中、保健の先生が来て「N君とO君、ちょっとお願い!」といって拉致して行った。

結局、その血液型が彼の致命傷になってしまったらしい。
それがすべてではなかったようだが、大きな出血を伴う怪我をして輸血が間に合わなかったことも大きな要因だったと聞いた。
Nは多分、それまでに間接的には何人かの命を救ったのだろう。
でも彼は救われなかった。
何のために彼は生まれてきたのか、彼の存在は何だったのか、と今でもふと思うことも・・合掌。