随想録 2015

五寸釘11.8

5寸は15.15p、五寸釘はれっきとした建築用の長釘なんだけど、藁人形とペアになると「呪い」用に変身。
どっちかというと、世の中ではこの方面での知名度の方が高い。

この呪いの藁人形、効果あるのか分らないけど。本当に効果はあるのかもしれない。
現代の科学で証明されていないだけなのかもしれない。

仕事上で知ったその5寸釘と藁人形に係る話。
ある会社に超パワハラ親父がいたとのこと。
多分、会社、職場では独裁者なのだろう。
独裁者と言えば思い浮かべるのは、スターリン、ヒトラー、毛沢東、チャウシェスク・・
現役なのは、カリアゲ君に習にアサドかな?スケールの大小はあるが、皆、殺人鬼でもある。

会社で殺人はめったにはないだろうが、部下を鬱病などにさせるのは傷害罪であり、準殺人だろう。
(中には上司を鬱病にさせるのようなトンデモ部下もいるけど。)
そのような超パワハラ親父は程度さえあれ、どこの会社にもいる。東芝の社長さんも?
スケールも大小であるが、だいたいやっていることは想像がつく。
そういう奴は嫌われ、時として本当に刃物などで殺害されることもある。
社内殺人は、だいたい金かパワハラが原因であることが多いのではないかな?(時として女性がらみも?)
そんなニュースも時々耳にする。これはパワハラした側の自業自得でもあると思うのだが。

そこで登場するのが、5寸釘と藁人形。
こっちは、直接刃物などで殺すまでの「根性」のない?奴がやるのだろう。

一度、どこかの神社の裏の木に藁人形が釘で打ち込まれているのを見たことがある。
思わず「ぞく」っとした。怖かった。本当に存在するのだ。

その親父も5寸釘をぶたれた。
これは部下の間で周知の話だったそうで、打った奴もほぼ特定されていた・・というより本人が釘を打ったと言いまわっていたという。
皆、半分冗談で、半分本当なのかとは思っていたようだが。

そいつはパワハラ親父の第一ターゲットだったそうな。
その男、けしてそいつ仕事ができない訳ではなく、仕事はやり手で人望も厚いと評判だったという。
仕事に対する姿勢、見方ややり方がパワハラ親父と路線が違うだけなのだ。
ただし人望(人格?)だけはパワハラ親父とは比較にならず、それに対する妬みで親父から執拗なパワハラを受けていたのかもしれない。
その後、そのパワハラ親父、病気になり闘病の末死んでしまった。

葬儀の席、会社関係の参列者は一応、悲しそうな顔をしていたようだが、下を向いて笑っていたのかもしれない。
誰もが、あの話を思い浮かべた。
しかし、その死で、一番ショックを受けたのは、その5寸釘を打った男だったという。
まさか自分がやったことの効果が出てしまうとは、願望が現実になるとは思わなかったようだ。
果たして5寸釘の藁人形とパワハラ親父の死の因果関係は?偶然か?必然か?それは何とも言えないし、分らない。
なお、その5寸釘男、その後出世して部長になったとか聞いた。

ところで、俺の藁人形、誰か打ってねえだろうな?
心当たり?なきにしもあらず・・・いや、「ある。」。
俺の昔のあだ名「○○課のキムジョンイル」だった。
隣の課に乗り込んだ時は、課長以下、顔が引きつっていた、とその課にいた人間が話してくれたことがある。
自覚症状はないのだけど・・・。俺何かしたかな。
そういえば最近、胸がチクチク痛む時が・・・ねえなあ。そんなこと。


窓際のおじさん
仕事柄、色々な業界の人に対応し、色々な話を聞く。
中にはよくクビにならないなあと感心するお人の話もいくつか。
その1つ、ある民間会社に実在する人物の話。しかし、役所ならまだしもよく民間で勤まるもんだねえ。
優しい会社だねえ・・って話。

その会社の某部署、大卒のH氏と工業高校卒のS氏は同じ年。
20年ほど前、ある課でH氏が係長でS氏はまだペーペーでその部下だったそうな。
あれから20年が経ち、S氏は課長になったが、H氏は今だに係長のまま。
というより、かつては部下のいるライン係長だったが、今は部下もいない肩書きだけの「なんちゃって係長」、体のよい降格となっているそうだ。
いわゆる「窓際のおじさん」である。
こんな状態だから当然、仕事などたいしてできない。それは周囲の誰もが認める。
いなくても業務にはあまり影響は出ないそうである。
いや、いない方が周囲がイライラしないので仕事が進むという説もあるとか。

こんな人材採用した人事は何を評価したのだろう。
目が節穴か?強力なコネがあったとか?コネ入社、そんな噂も飛び交ているそうである。
そう勘ぐられるのも当然である。

さすが、S氏が課長になった時、かつての上司のH氏がその課に居たので、異動させてもらったという。
こうなるとH氏、立場がないのであるが、そんなこと「屁」とも感じていないとか。
羞恥心というのは幸い?持ち合わせていないらしい。

どうも自分の能力はそれほど低いとも思っていないようなのである。幸せな奴である。
とんでもない勘違いなのではあるが、彼の人生自体が勘違いだからしかたがない。
こういう奴は絶対「鬱病」にはならないだろうなあ。
「鬱病」を発症する可能性のあるのは奴の周囲である。
現に上司が少しおかしくなり診療内科のお世話になったとか?そりゃそうだろう。かわいそうに。
それだから、20年以上昇格もしない訳である。
会社も周囲もひたすら定年退職を待っている。
(ところが、定年延長や嘱託で残れるという話があり、暗雲が・・「冗談じゃない。勘弁してよ」って声が上がっているそうな。)
これに近いお方、皆様の周囲にもけっこうおられるのではないでしょうか?
H氏のノー天気な顔を見てると、野球バットでメッタ打ちにしたくなる衝動に駆られると者もいるという。

「そんな奴は、俺の所にゃ、いくらでもいるで!」と某自治体の方が言っていた。
確かにいるだろうねえ。よく噂、聞くし。
そう、俺が昔勤めていた役所にもいたなあ。
あの人、もう引退したはずだけど、何してんのかな?あの人物こそ間違いなく税金ドロボーと思ったなあ。
この手のお方、給料は同じ年より安いかもしれないが、数倍の差があるアメリカと違い、日本の賃金体系では半分以下ということはありえない。自分と家族の生活には支障ない。
出世も想定にない、当然、責任も少ない生き方、派遣やアルバイトの女の子にも軽蔑の目で見られ・・しかし、ふと思う。
でも、この生き方、これも正解なのかもしれないと。
2,3割高い給料もらっても苦労と責任、2,3割じゃペイしない。
・・・なんて言っていると欧州のどこかの国のようになっちゃうね。

バカボンのパパ 
夏は植物の成長が著しいです。
木の枝もどんどん伸びます。暑い日に伸びた枝を切るのも汗だくです。
枝を切るのには枝切鋏を使います。
以前、枝切鋏で枝で休んでいた蛇を知らずに切断しパニクリました。
「切った枝に鱗がある! え、枝があ、動いている!」って。

その枝切鋏で凄い事件がありました。ボクシング経験者が弁護士をぶちのめし、枝切鋏でチ○ポをチョッキン!
痛てえだろうなあ。俺の臆病なムスコさん、怖くなって小さくなっていたぞ。
指が手術で付くらしいので、あれも手術でくっ付くのか?くっ付いても機能が発揮できるのか?
どうして、俺はこういう発想をするんだ?

その枝切鋏の使い手の名手といったら、あの人物、そう「バカボンのパパ」の右に出る者はいない。
バカボンのパパって、かの名漫画家、赤塚不二夫さんの生んだ最高のキャラ。
架空の人物ですが、皆に愛されるキャラです。管理人も「則巻千兵衛」氏とともに尊敬する人物?です。

でも、設定ではパパは元々は天才で、転んで頭を打った時、頭のネジが1本外れたのであのような人物になったということになっています。あのパパを見ると、パパと少し重なるある人物を思い浮かべます。

話が連想式にどんどん飛びます。付いて来れるでしょうか?
ここから本論に入ります。
彼はもう10年ほど前に亡くなっています。生きていたら80後半です。
世に貢献した?いや、していません。いてもいなくても世の中に何の影響もない人物です。
でもどこか強烈な印象が残っています。

彼の名は「まさちゃん」と言います。
本名は分りません。我が親父サマの同級生で幼馴染です。
子供の頃は地区で一番優秀だったそうで、親父はいつも比較されていたと言ってました。
特に記憶力が凄かったそうです。
将来、大物になると地区では期待されていたそうです。それほどの秀才だったようです。

その「まさちゃん」小学生の頃、高熱を発し生死の間をさまよい、何とか死はまぬがれました。
戦前でもあり、病院にも行かず(田舎なので行く病院も近くにはなかった。行ってどうなったかも分らない。)ただ、家で寝かし看病していただけなのでしょう。
しかし、命は助かりましたが「まさちゃん」の脳は熱で破壊されていました。
菌が脳に入り脳炎に罹ったのでしょう。
思考機能は失われ知恵遅れ状態になってしまったのです。幼稚園児状態で発達が止まってしまったのです。
それでも幸いなことに歩行等の運動機能は失われず、言葉も何とか話せました。

その後、家の農家を継いだ兄を手伝い、力はあったので農作業や地区で行う用水路掃除等では重宝されていました。
困ったのは農閑期です。徘徊クセがあり、地区内を変な姿でシャベルなどを持って、ぶつぶつ独り言を言いながら、時には奇声を挙げあちこち歩き回っていました。
この姿、一見して変質者です。まさに「タリラリラン」の世界です。
しかし、人の出入りの少ない閉鎖状態の農村地帯の田舎、近所の住人は彼の存在を理解し、特段のトラブルはありませんでした。
うちの父親が彼に対して、相手にしていた記憶はありませんが、なぜか彼はうちの母親を慕っていました。
多分、多少、彼の相手をしてくれたからと思います。
しかし、このやり取りを見ていたが、まるで犬に指示を出す主人という感じでした。

彼の兄の依頼もあり、母親は何らかの仕事も与えていました。何かをやらせていないととんでもないことを仕出かすので・・。
例えば、用水路の掃除とか、道路沿いの除草とか、枝木の片づけとか、畑の草取りとか、生ゴミを入れるゴミ穴掘りとか。
しかし、やることは並みではありませんでした。
畑から確かに草は消えたが、ついでに野菜・作物も消え・・何もない完全な更地となったことがありました。
草と野菜の区分が付かなかったのだ・・・というより「草は抜いても、野菜は抜くな」という正確な指示を出さなかったのが原因だったのです。
依頼したゴミ穴は棺桶を入れる土葬用の穴になっていました。「誰、ここに埋めるんだ?井戸でも掘るんか?」
母親は怒る気もなく、自分の指示内容が不明確だったこと、作業を監督していなかったことを反省していました。
万事がこんな調子でした。

そんな「まさちゃん」には困った時代がやってきました。急激な都市化です。
田園風景が広がる田舎に4車線の国道が通り、沿線は大型商用施設が多数進出、その裏手は新興住宅街になり、新住民が増加しました。
現在、町内会は8割が新住民になっています。
(土地の所有率は原住民がいまでも半分以上だそうですが原住民は特に大型店舗の土地賃貸料やアパート経営が大きな収入なのです。)
都市化により「まさちゃん」が徘徊していた農道はほとんどなくなってしまったのです。
でも、彼の脳にインプットされた昔の農道ナビデータは更新されません。
その昔からのナビデータを基に歩き回っていたようです。
当然、新住民が「まさちゃん」の存在を知っている訳がありません。
その結果は火を見るより明らか。
知らない人が見れば彼は変質者です。そして通報され・・そんなトラブルが連続したようです。
人に危害を加えることはけしてないのですが。

最後に彼を見たのは15年ほど前でした。CD・DVDレンタルショップを兼ねた大型書店で立ち読みしている時でした。
この店も都市化により新たにできたものです。
突然、きたないTシャツに麦わら帽子、長靴のひげもじゃの男が、手に藁束を抱え店内に現れました。
管理人は誰かすぐにわかり、立ち読みを継続していましたが、店内はパニック状態になり110番されました。
多分、警察が実家まで送ったのでしょうか。

でも、考えてみればあの店内は彼の徘徊ルートであった農道の上にあったのです。
昔、店が建てられる前、その場所にあった農道を歩いている彼を見た記憶があります。
彼は彼の頭の中の古いナビ地図に従って歩いていただけなのです。
このあと、しばらくして亡くなったようです。おそらく、姿を見かけなくなったので、外出を禁じられ、軟禁状態に置かれていたのではないかと思われます。
そのストレスが寿命を短めたのではないかと推定してます。
時代の急激な変化が彼が住む環境を破壊してしまったのでしょうか。

彼についてはもう地元でさえ、存在した事実さえ忘れられつつあります。
あの書店に行くと、彼の魂がかつて店が建つ前に存在した農道にそって徘徊しているような錯覚を覚えます。
お盆は過ぎてしまいましたが、管理人が線香代わりに本文を供えて供養します。
こういう無名の人物もいたのです。
(この文、お盆休みにどこにも行く宛ても、その資金もないので、時間潰しのため、PCに向かって思い出しながら書いたものです。)


レンボーブリッジ7.20
お江戸湾にかかる橋ではございません。7月19日、関東甲信地方、梅雨が明けました。
とたんに猛暑が、来襲、といっても当地、海が近いせいか、内陸部より若干低い31℃程度。
でも、あちい!やる気はしない。日差しもきつい。そんな中、1日中、畑で草取りしている人がいた。狂っているんじゃないかと。
梅雨が明けると襲来するのが雷。早速やってきたが、一時豪雨になったが、雷もほとんどならず、すぐに通りすぎた。
散水したようなもんで一時的に気温は下がった。晴れ間が広がると、東の空に見事な2重レインボーブリッジが出現した。
家の居間の窓から撮影、しかし、晴れ間がさらに広がると消えてしまった。

藁馬6.11
藁馬は豊作、商売繁盛、子孫繁栄、子供の成長、交通安全を祈願して造られ神社等に奉納される民俗行事で日本各地でみられる。
特に長野県各所に多いが、これは古代から「牧」が多かったためと言う。
牧の興隆、商売繁盛を祈願したものだろう。
その他の地域では農耕馬の健康安全と豊作を祈ったのだろう。

もともとは馬そのものを神社に奉納したらしいが、高価な馬を奉納できる者は少ない。
その代用が藁馬などとなり、さらに転じたのが「絵馬」である。
今では「絵馬」が圧倒的に主流であり、藁馬はマイナーになっているが、こっちが絵馬の元祖なのだ。

造られる藁馬も販売用?の凄く凝ったものから、ごくシンプルなものまで各種ある。

ある過疎の田舎の山に登ったら山頂の祠に素朴な藁馬が奉納されていた。
これほどシンプルなのも珍しいのかも?
比較的新しいので最近奉納されたのだろう。

古くからの伝統的な民俗行事は過疎の田舎でも残っていたのはどこか「ほっ」とした。
近くにあった石の祠の屋根石が多分、3.11で脱落していたが直っていなかった(直せなかった?)ので、当然、奉納したのは老人なんだろうなあ。
もちろん、管理人達がそれを修復したけど・・けっこう重かったなあ。

素朴なものだけどなかなか素晴らしい行事である。
ただ、ここは過疎の山間、この行事はいつまで続くのだろうか。

おくやみ欄
新聞の地方版を開くと「おくやみ」欄がある。
葬儀等のお知らせのコーナーなのであるが、このコーナー、読んで(眺めて)みると結構、奥深いものが秘められている。

それぞれの方の人生がそこに凝縮されているようにも思える。
掲載されている大半の人は80代、90代の人であり、お子さんや配偶者が喪主という場合がほとんど。
90歳近くまで生きれば、ほぼ天寿は全うしたと言える。人生、ご苦労様!ということでしょう。
中には100歳以上の方もチラホラ。
凄い生命力だ。さぞ、長寿の遺伝子を持った人なのだろう。

でも、最後の数年は寝たきりとか、痴呆などでご家族も大変な思いをしたのだろうなあとも・・・。
そんな面もあるが、80代、90代まで生きた人は、人生に波風はあっただろうが、比較的、満足した人生だったと言えるでしょう。

そんな中で「?」と、目が留まる場合も。
まず、自分と同世代、あるいは若干、若い世代の人。
事故で亡くなったのか、病気だったのか?
家庭の中心であるべき男性の場合、残された家族の生活はどうするんだろう?
子供の進学等はどうするんだろうと思いを巡らす。

他人事じゃないのだ。
それから中年以降の人で喪主が配偶者でない人。姉とか兄とか。
多分、独身だったのだろが、どんな暮らしをしていたのか?
長い間、病気だったのか?想像が駆け巡る。

記事を追っていた目が完全に止まるのは、喪主が親の場合。
親として子の葬儀の喪主となるのは最大の悲劇だ。
これ以上の親不幸もないのだが、悲しい運命としか言えない。

特に、亡くなった方が10代、20代の場合、事故なのか、病気なのか要因は分かりえないが、そんな若くして、人生が突然終わってしまうのは本人、親にとっても悲しさの極みだろう。
その悲しさが伝わって来て記事を見た方まで暗くなってしまう。
合掌。

夢の実現2 1.12
小学校の時の同級生Fのこと。
Fはいわゆる「クソ餓鬼」の代表的な奴だった。
地域の悪童の1人であった。当然であるが、得意科目は「体育」と「給食」である。
その他の科目の授業中は「意識不明」または「死んだふり」「仮死状態」である。

そのF、爆竹やロケット花火に凝っていた。そこら中で花火を打ち上げていた。
この年代、そういう時期があるのだ。(大人になっても変わっていない奴もいるが。)そして、心配していたことをやってしまった。
農家の藁小屋を燃やしてしまったのだ。
幸い、田圃の中にポツンとある小屋、延焼の心配がなかったのが幸いであった。
中途半端に消火すると片づけが大変なので消防も小屋の持ち主も消火は敢えてしなかった。

その燃える様子と赤く染まる周囲の風景は今も記憶にある。・・って、火事を見物に駆けつける管理人も、管理人ではあるが。
その事件後、全校集会で校長の訳のわからん講話の後、何故かFが登壇した。
「いったい何をするんだ」と思ったが、Fはあの事件の反省文を読み始めた。
その最後に「・・僕はこの反省として、消防士になります。」と結んだ。

狭い話題も乏しい田舎、この件はあっと言う間に父兄に拡散した。「おい、あのFが消防士になるんだとよ。」
それから時は経ち、高校を卒業したFは本当に消防士になった。
管理人の母親が「おい、Fが本当に消防士になったぞ。
宣言どおりになったんだ、たいしたもんだ」って教えてくれた。
同級生の間でもその話題はもちきりだった。
あの時の宣言は皆、覚えていたのだ。

それからさらに年月は経ち、ついにFは消防署長になった。
そんな衝撃的なニュースが飛び込んできた。
Fは立派に夢を実現したのだ。

この件で思い出した。中学3年の時、入試直前、バイクの無免許運転で補導された2人組がいた。
入試前のため、担任と校長が走り回り補導歴は抹消された。
もみ消しである。
その2人、1人は警察官になり白バイ隊員となった。
もう1人は自動車学校の教員になった。
奴らも夢は実現したのだ。

そこにいくと自分は・・・夢さえなかったもんなあ・・
第一、大人になりたくなかったし。