平成の名車

アンフィニRX7
ロータリーエンジン搭載車を量産したのはマツダだけである。
そのロータリーエンジンを搭載したスポーツカーがRX7である。
小型で高出力、高速走行が実現でき、車体を小さく、車高を低くできるのでスポーツカーには理想的である。

すでに1967年(昭和42年)ロータリーエンジンを搭載したコスモスポーツが販売され、ファミリア、サバンナ、ルーチェ、カペラ等、マツダのほとんどの車種に設定された。
このうちサバンナに搭載されたRX7シリーズが独立して、RX7を名乗った。
1991年(平成3年)2度目のモデルチェンジ版FD3S型から新に設立したアンフィニブランドから販売され、この時サバンナの名前が消えている。

エンジン出力は、シーケンシャルツインターボが搭載された13B型ロータリーエンジンで255psだったが、1996年1月のマイナーチェンジで265ps(MT車)、1999年1月のマイナーチェンジでは280psに達した。
世界唯一のロータリーエンジン搭載量産車としては車体の軽量化やエンジンの高出力化を図るなど、開発が続けられたが、バブル崩壊に伴う不況による日本国内市場および北米市場におけるスポーツカー需要の低下や、ターボ過給機付ロータリーエンジンの環境対策の行き詰まりなどの理由により、2002年(平成14年)8月に生産終了となった。

なお、マツダではロータリーエンジン搭載車は新規にRX8が設計生産され、2003年3月-2012年6月の期間、生産された。
以後、ロータリーエンジンを搭載した車は資産されていない。

大きな可能性を秘めたエンジンであったが、生産には高度な技術が必要とされたという。
しかし、排気中の炭化水素が多いという環境課題があり、低回転域での熱効率が悪く、低回転域で走る市街地走行では燃費が悪かったという短所があった。
レース用等高速走行向けであり、普通の車として使う実用面ではかなりのハンデがあった。
今のハイブリット車主流の省エネ車からは全く逆にあったことになる。結局、これが致命的なものとなってしまった。
とは言え、車のデザイン面では30年近い前のものとは思えないような素晴らしいシルエットである。

ポルシェ993型911
ポルシェさんはヒトラーの友人であり、あのビートルや駆逐戦車エレファント、マウスを開発した天才自動車設計者である。
天才と狂気を併せ持った極めて魅力的な人物である。
しかし、今では「ポルシェ」とはこの天才技術者というより、その名を冠したスポーツカーの名前としての方が有名だろう。
この分野ではポルシェはフェラーリと双璧をなす存在である。

でも、管理人にとって、近くの病院の評判の藪医者が乗っているので、スポーツカーのポルシェにはいい印象がまったくない。
ポルシェと言えば、あの藪医者を連想してしまうのである。
ドイツの工業力の象徴のような工業製品にとっては、まったく以て迷惑なことである。
全てはあの藪医者がいけない!(って、半島人のようなことを言っている。)
でも、俺も本業はエンジニア、工業製品としては魅力的な存在である。欲しいとはまったく思わないけど。

写真の模型は廉価模型メーカー アリイの製品。600円という価格であり、中国製。価格に比例した品質のため、部品の精度は低い。
何しろ金型がすり減っているのか、バリだらけ。
カッターでバリを削り取る必要があるが、それでもまだ不十分、組み立てには高度な誤魔化技術が必要とされる。
一応、色はイタリアンレッドにしてみた。

以下、Wikipediaによる解説をアレンジして記載。
ポルシェ993型は911の4代目、空冷最後のモデル。
キャビン周りに964型のシルエットを残しながら、太腿とも呼ばれたフロントフェンダーの峰を低くしヘッドライトを傾斜させる一方、ボンネット前端の高さを40mm上げ、さらにテールエンドのデザインも変更することで外観の印象は一新された。
1989年にハーム・ラガーイのデザインで発表されたコンセプトカー、ポルシェ・パナメリカーナとデザインテーマ上の共通点が多く見られる。
リアフェンダーも964型よりさらに拡幅され(964までのNAモデルは日本の5ナンバー枠に収まる)、トリッキーさが最後まで仇となった964型の操縦性を改良すべく、リアに採用されたマルチリンク式サスペンションのスペースを確保するとともに、マフラー容量の増大と左右独立等長のエキゾーストを実現し、排気系の改善に寄与した。
エンジンは964型と同様、空冷 F6 SOHC 3,600cc、内径φ100mm×行程76.4mmのままだが、272馬力/6,100rpm、33.6kgm/5,000rpmに強化されるとともに、MTモデルは964型の5速から6速へアップグレードされた。
ATモデルは964型の4速を継続使用するが、1995年に登場した「ティプトロニックS」では、シフトレバーに加えてステアリング上のスイッチでの変速操作が可能になった。駆動方式はRR 4WD 。
このモデルまでは「ナロー」から連綿と続く共通の室内レイアウトであり、「ポルシェを着る」とされたタイト感が残る最後のモデルといえる。
ただし964型よりベンチレーションの改良による静粛性の向上、主に新形式サスペンションによる乗り心地の改善があり快適性は向上した。
「最後の空冷モデル」であることから愛好家からの人気も高く、中古車市場でも高価格を保っている。
・・・だって。

スカイラインGT-R R33型

1995年から1998年にかけて製造された4代目スカイラインGT−RがBCNR33型。
第30回東京モーターショーで9代目スカイラインR33型プロのトタイプを発表後、1年5か月後に4代目GTーRBCNR33型として市販された。
ニュルブルクリングでのテストドライブではBCNR33型のプロトタイプモデルが7分59秒のタイムを記録し、先代のBNR32型に対して21秒速かったことから「マイナス21秒のロマン」とのキャッチコピーのテレビCMが放映された。

全日本GT選手権やル・マン24時間レースにも参戦した。
エンジンは先代のBNR32と同じ、RB26DETTを搭載。
しかし8ビットECUを16ビット化、過給圧を0.75kg/cm2から約0.84kg/cm2へ上昇させたことにより、出力は280PS/37.5kgf・mと増加。
ブレンボ製ブレーキキャリバーを全車標準装備し、アクティブLSDを採用。
このアクティブLSDとシンクロして動作するアテーサE-TS PROを搭載。
全長が130mm、ホイールベースで105mm拡大され、全体的にワイドボディとなり、重量も先代より50sほど増加した。
セールス的には先代には及ばず、その3分の1程度にとどまった。

設計統括 渡邉衡三
エンジン RB26DETT 最高出力 280PS/6,800rpm
最大トルク 37.50kgf・m/4,400rpm
変速機 5速MT
駆動方式 4WD
サスペンション マルチリンク
車両重量 1530kg
総販売台数 1万6,435台

セルシオ(Celsior )初代 F10型
もう発売されてから24年も経つ車である。
いつの間にかその名前はレクサスに変わってしまっている。
発売時期からしてバブルの絶頂期、バブルの象徴のような車という印象が強い。
高級車だけあり、落ち着いたデザインであるが、クラウンなどと同様、こういう車は乗るのが難しい。
品のない親父だと、成金趣味ミエミエになるし、バカあんちゃんじゃ、バカを引き立ててしまう。
嫌味になってしまう場合も多いだろう。

トヨタ自動車が1989年から2006年にかけて販売した高級セダンであり、現在は「レクサス」と名前が変わっているが、アメリカでは始めから「レクサス」として販売された。
位置的にはクラウンとセンテュリーの中間といった感じであろう。
昭和末期のトヨタのアメリカ市場戦略は、高級車市場はキャデラックやリンカーンといった米国メーカーや、メルセデス・ベンツやBMWといった西ドイツメーカーの独壇場であったため、その下の大衆車クラスを狙った。
とても高級車では日本車メーカーが割って入る余地はないと思われていたので妥当な判断であり、品質で他国製を圧倒し、大衆車では圧倒的なシェアを達成した。

その一方、静粛性や快適性、高品質を追求することで高級車市場にも新規参入余地はあると判断して初代レクサスの開発がスタートした。
レクサスが発売されるとアメリカ市場で人気となった。
特に卓越した静粛性や、搭載されるV型8気筒エンジン(1UZ-FE型)の完成度の高さなどは他メーカーに大きな衝撃を与え、同クラスの高級セダンの車作りの概念をも変えてしまったと評価されるほどだった。
この成功を受けて1989年10月、日本国内で「セルシオ(CELSIOR)」の名で販売を開始。
国内では「クラウン」があったため、発売は考えていなかったが、当時はバブル最盛期であり、日産シーマが爆発的なヒットを記録し、「シーマ現象」と呼ばれるなど国内の高級車マーケットが拡大傾向にあった。
これに対抗しての発売となり、大ヒットとなった。
なお、現在の楕円形を組み合わせたデザインのトヨタマークはこのセルシオから使用を開始した。

初代 F10型(1989年 - 1994年)
設計統括 鈴木一郎 乗車定員5人
エンジン 1UZ-FE型 4.0L V8 DOHC
変速機 4速AT 駆動方式 FR
全長4995mm 全幅1820 全高1400
車両重量 1,750 - 1,790kg

日本車としては初めて自発光式メーターを採用。
その後、自発光式メーターは従来のデジタルメーターに代わって高級車を中心に多く採用され、現在は軽自動車や商用車までに広く普及している。
1992年8月にはマイナーチェンジが行われ、16インチホイールとブレーキローターの採用され、助手席エアバッグやGPSカーナビゲーション対応のエレクトロマルチビジョン(当時は珍しい音声ガイド付で90万円だったそうである。)のオプション設定などが行われたが外観の大きな変化はととんどない。

NSX
ホンダが2005年まで製造し、今度復活する予定のスポーツカーである。
「世界に通用するHondaの顔」として開発され1989年に発表、翌1990年から2005年までの15年間にわたって製造。
当初の価格は800万円(AT仕様は60万円高)、当時の日本の乗用車の中では最高額だった。
その後、改良や装備追加で値上がりし、900万-1300万円台となっていった。


エンジンは、レジェンド搭載の横置きV6をベースにしたC30A型 V6 DOHC VTEC NA 3.0Lで、運転席後方に搭載し後輪を駆動するミッドシップエンジン・リアドライブ(MR)。
また、「オールアルミモノコック・ボディー」を採用したため、流れ作業での製作ではなく、ほとんどを手作業で製作されていた。
発売当初はバブル景気で予約が殺到したが、バブルが弾けると販売は落ちたが、累計1万8734台を販売、そのうち日本での販売台数は7415台であった。